久々になんとなく「これは読まないとあかんのでは?」という勘がはたらき、職場のお昼休みに『件p新潮』2月号を手にする。特集は源氏物語だったが、それはスルーして。
目的は4pのちいさな記事。『松浦弥太郎編集長「暮らしの手帖」の喜怒哀楽』、これである。彼については、ほぼ先入観も知識もなくて、でも妙に気になった見出しだったのだ。で、大当たりだったのである。
かつて花森安治という名編集長がいた『暮らしの手帖』は、しかし30年前に彼を失い、少し前までは低迷と没落を更新していた。
そこで外部より人を招いての思い切った立て直しを決断し、「暮らしの手帖社」社長・横山さんは松浦さんに「編集長就任」を要請した。
なぜ僕に?というのが、松浦さんのとまどいだった。商業誌の編集経験もなく、組織に属したことさえない松浦さん。子どもの頃から本好きで、古本屋の行商、トラックでの移動書店を経て自分の店を持つ傍ら、文筆家としても活躍していた彼が、悩み抜いた末にたどり着いた結論は。
「自分の安全圏のなかでちやほやされていただけ。そんな業界人っぽい人がいちばん嫌いだったのに、そのいやな大人に自分はなっていると気付いたんです。やり直すなら、いましかない」そして編集長に就任。
おお~、カッコいい!! 潔いし、冷静に自分を批評出来る人ではないですか。こんな人はめったにいない。
しかし彼のカッコ良さはそれだけではない。
初の社会人となり、9時15分に出社、5時半に帰宅という規則正しい毎日を送るのだ。これにエッ??と怪訝に思った方も多いだろう。彼は雑誌の進行を一から見直し、作業の効率化をはかり、深夜残業を許さず、編集部員には「とにかく自分の時間を大切にしてください」とお願いする。
「『暮らしの手帖』をやっていて自分の暮らしがないなんて、そんな読者への裏切りはないと思うんです」
出版関係で定時に帰宅するなんて、無謀な話なのは素人にも明白なのだけど、そこに鮮やかでまっとうな理念を持ち込み実現にむけて全力で努力するなんて、やっぱりカッコいいじゃないですか。
もっともリニューアルには批判がつきまとう。2号目までは、電話が鳴り手紙が山をなし、そのひとつひとつがまたヘヴィーな批判と反発で、松浦さんも相当こたえたらしい。が、それも3号目からは批判が減り、逆に励ましが増えて来るようになる。
彼が読んだ花森編集長の『暮らしの手帖』には、「人格」があったという。好き嫌いもあれば、笑ったり泣いたり怒ったりもする。いつもは襟を正した人なのに、ときどきへんなところがあって、人間的でユニークな雑誌というのが、彼にとっての『暮らしの手帖』だった。それ(「人格」)をメインに受け継ぐとすれば、今後は松浦カラー全開になる。
だから
「『暮らしの手帖』は1年に6冊、友だちから届く手紙みたいな形になるといいなと思うんですよ。人間だからたまにはヘンなことを言ってみたり、弱気になってみたり、威張ってみたりということがあると思う。でもそれも一友人の言っていることと受け取ってくれたらうれしい。そのかわり、うそはつかないし、裏切ることもしないし、失礼なことも乱暴なこともするつもりはないので」
なんだかこれと同じスタンスを、どこかで感じたことがあるな。とふと思う。これを書き始めて、ああ、村上春樹の誠実さに似ているんだ、と気付く。
でも松浦さんは花森編集長のようにワンマンではない。編集部に対しても松浦さんの精神さえちゃんとスタッフに伝われば、それを手だてにたとえ自分がいなくても編集部は自立できると経験上、信じている。
現在『暮らしの手帖』で彼がはじめて提案した連載が大きな反響を呼んでいるらしい。「暮らしのヒント集」という短い言葉が20ばかり書き連ねたもの。彼がいうには「子どものころにいわれたような小さなこと」なのだが。
「朝起きたら、深呼吸して大きく背伸びをしてみましょう。すっきりと目が覚めます。おはようと声にするのも大切です」なんていう言葉である。
そのあまりの反響の大きさに驚く松浦編集長だが、
「みんな目に見えるものではなくて、ささやかだけど日々のちからになる心持ちを求めている」のだと知るのだ。
松浦さんは自分の人格と同様に編集部員の人格も尊ぶ。
「修道院みたいに内向的になっていた編集部員に言い続けたことは、新しいことにチャレンジすること、やりたいと思ったら自分の責任でやっていいんだよということ」なのだ。こんな素敵な「ヘンな酋長」(敬愛をこめて勝手に命名)こと松浦編集長のもとで働くのは、やりがいがあって楽しいだろうなあ。
目的は4pのちいさな記事。『松浦弥太郎編集長「暮らしの手帖」の喜怒哀楽』、これである。彼については、ほぼ先入観も知識もなくて、でも妙に気になった見出しだったのだ。で、大当たりだったのである。
かつて花森安治という名編集長がいた『暮らしの手帖』は、しかし30年前に彼を失い、少し前までは低迷と没落を更新していた。
そこで外部より人を招いての思い切った立て直しを決断し、「暮らしの手帖社」社長・横山さんは松浦さんに「編集長就任」を要請した。
なぜ僕に?というのが、松浦さんのとまどいだった。商業誌の編集経験もなく、組織に属したことさえない松浦さん。子どもの頃から本好きで、古本屋の行商、トラックでの移動書店を経て自分の店を持つ傍ら、文筆家としても活躍していた彼が、悩み抜いた末にたどり着いた結論は。
「自分の安全圏のなかでちやほやされていただけ。そんな業界人っぽい人がいちばん嫌いだったのに、そのいやな大人に自分はなっていると気付いたんです。やり直すなら、いましかない」そして編集長に就任。
おお~、カッコいい!! 潔いし、冷静に自分を批評出来る人ではないですか。こんな人はめったにいない。
しかし彼のカッコ良さはそれだけではない。
初の社会人となり、9時15分に出社、5時半に帰宅という規則正しい毎日を送るのだ。これにエッ??と怪訝に思った方も多いだろう。彼は雑誌の進行を一から見直し、作業の効率化をはかり、深夜残業を許さず、編集部員には「とにかく自分の時間を大切にしてください」とお願いする。
「『暮らしの手帖』をやっていて自分の暮らしがないなんて、そんな読者への裏切りはないと思うんです」
出版関係で定時に帰宅するなんて、無謀な話なのは素人にも明白なのだけど、そこに鮮やかでまっとうな理念を持ち込み実現にむけて全力で努力するなんて、やっぱりカッコいいじゃないですか。
もっともリニューアルには批判がつきまとう。2号目までは、電話が鳴り手紙が山をなし、そのひとつひとつがまたヘヴィーな批判と反発で、松浦さんも相当こたえたらしい。が、それも3号目からは批判が減り、逆に励ましが増えて来るようになる。
彼が読んだ花森編集長の『暮らしの手帖』には、「人格」があったという。好き嫌いもあれば、笑ったり泣いたり怒ったりもする。いつもは襟を正した人なのに、ときどきへんなところがあって、人間的でユニークな雑誌というのが、彼にとっての『暮らしの手帖』だった。それ(「人格」)をメインに受け継ぐとすれば、今後は松浦カラー全開になる。
だから
「『暮らしの手帖』は1年に6冊、友だちから届く手紙みたいな形になるといいなと思うんですよ。人間だからたまにはヘンなことを言ってみたり、弱気になってみたり、威張ってみたりということがあると思う。でもそれも一友人の言っていることと受け取ってくれたらうれしい。そのかわり、うそはつかないし、裏切ることもしないし、失礼なことも乱暴なこともするつもりはないので」
なんだかこれと同じスタンスを、どこかで感じたことがあるな。とふと思う。これを書き始めて、ああ、村上春樹の誠実さに似ているんだ、と気付く。
でも松浦さんは花森編集長のようにワンマンではない。編集部に対しても松浦さんの精神さえちゃんとスタッフに伝われば、それを手だてにたとえ自分がいなくても編集部は自立できると経験上、信じている。
現在『暮らしの手帖』で彼がはじめて提案した連載が大きな反響を呼んでいるらしい。「暮らしのヒント集」という短い言葉が20ばかり書き連ねたもの。彼がいうには「子どものころにいわれたような小さなこと」なのだが。
「朝起きたら、深呼吸して大きく背伸びをしてみましょう。すっきりと目が覚めます。おはようと声にするのも大切です」なんていう言葉である。
そのあまりの反響の大きさに驚く松浦編集長だが、
「みんな目に見えるものではなくて、ささやかだけど日々のちからになる心持ちを求めている」のだと知るのだ。
松浦さんは自分の人格と同様に編集部員の人格も尊ぶ。
「修道院みたいに内向的になっていた編集部員に言い続けたことは、新しいことにチャレンジすること、やりたいと思ったら自分の責任でやっていいんだよということ」なのだ。こんな素敵な「ヘンな酋長」(敬愛をこめて勝手に命名)こと松浦編集長のもとで働くのは、やりがいがあって楽しいだろうなあ。