昨日のタイトルが『イパネマの娘』のパクリだというのは、非常に判りづらかっただろうけど、本日は日本文学のフィールドなので、まだしもかも。もちろん菊池寛の『父帰る』を受けているのである。『ちりとてちん』の週タイトルに、もろ影響を受けてしまったのだ。
午前中は、おばあちゃんの退院、午後は介護用品の調達(準備)と家事で夫婦とも目一杯働く。私としては、もう少しリハビリを受けてから退院の方がよかったのでは?と、かなり不安で一杯だったが、晩ご飯の後、延々と話し込む親子(おばあちゃんとH氏)の様子を見ていると、H氏の決断に従ったのは、やっぱり正解だったなと確信できた。
おばあちゃんは足の不自由な人になってしまったが、やはりいるべき人が戻ると、みんなが落ち着く。何もしなくても(利益を生み出したり、いわゆる『役に立つ』ことをする、というのと対極にいる)、そこにいるだけで充分という存在なのだ。つまりほとんど「神様」なのである。
午前中は、おばあちゃんの退院、午後は介護用品の調達(準備)と家事で夫婦とも目一杯働く。私としては、もう少しリハビリを受けてから退院の方がよかったのでは?と、かなり不安で一杯だったが、晩ご飯の後、延々と話し込む親子(おばあちゃんとH氏)の様子を見ていると、H氏の決断に従ったのは、やっぱり正解だったなと確信できた。
おばあちゃんは足の不自由な人になってしまったが、やはりいるべき人が戻ると、みんなが落ち着く。何もしなくても(利益を生み出したり、いわゆる『役に立つ』ことをする、というのと対極にいる)、そこにいるだけで充分という存在なのだ。つまりほとんど「神様」なのである。