今日は、本日『秘密基地』(小学校&学園の飛び地)で出会ったaskaさんのリクエストにより、昨日お亡くなりになった氷室冴子さんについての思い出を書いてみることにする。
いっとき彼女の『なんて素敵にジャパネスク!』が流行りまくっていた頃には、たぶん私はSFにハマっていたようなので、完全にすれ違っていた。その後もコバルトで読んでいたのは、同学年の新井素子さんだったりする。
それが『本の雑誌』での対談で、少女小説、あるいはティーン向け文庫のベスト(つまりおじさんたちにも支持を得た少女小説)に氷室冴子さんの『恋する女たち』(集英社文庫コバルトシリーズ 1981年)が挙げられていた。それほど推されているのなら、ということで、映画化され主人公役だった斎藤由貴の写真が表紙になった『恋する女たち』を読んで見た。
たちまち、すかさずハマる。ひとくせもふたくせもある高校生女子の友情と恋愛をこんな風に描いた小説って、読んだことないぞ! へんてこなキャラの少女たちが数人登場するが、変だけどいやにリアル。そして女子高校生だったことのある私は、それがいかにリアルかを(恐ろしいことに)知っているのだ(笑) で、その「変」なところが、彼女たちの個性であり魅力であることも。
その後はお定まりの、「じゃあ、『ジャパネスク』読まなくちゃ」ということになり、『なんて素敵にジャパネスク』は赤ちゃん子育てで、すっかり煮詰まっていた私の唯一の気晴らしとなる。
主人公は平安時代のお姫さま瑠璃姫。貴族の姫は顔を見られるだけでもとりかえしかつかない、という時代に、お忍びで町中に出歩き、政治的陰謀を見つけ出して解決したりという冒険野郎な姫なので、お付の者やご両親はハラハラで、宮中のウワサの的でもある。そんなとんでもない姫でありながら、しかもウワサでは「物の怪憑きの姫」とまで言われていながら、なぜかモテモテだったりする。
そんな彼女を想う男性のひとり、右大臣・高彬とのスローテンモネいきさつもおかしいが、もっとおかしいのは彼の教育係で乳兄弟でもある守弥なのだ。守弥はクールで策謀家なのだが、主人思いの彼はトンデモな瑠璃姫を敵視し、主人と瑠璃姫の仲を裂くべく、さまざまな陰謀を巡らす。クールに計算したはずなのに、なぜかどんどん計算とは違う方向へいくのが、おかしくて、脇役ながら偏愛すべきヒトなのだ。
また守弥の陰謀により発掘された煌姫(あきひめ)も好きなキャラで、輝くような美形なのに、日々の食事にも事欠くほど零落していたため、「人を見たら泥棒と思え」「うまい話にはウラがある」を信条とする超リアリスト。彼女が守弥と絡むと爆笑コメディになるので、わくわくする。
そんな元気の出るお姫さまの活躍するコメディであり、ほろりとするエピソードや号泣の感動場面もあるので、シリーズ10冊全部をあっというまに読んでしまった。
その後、フェミニスト小倉千加子さんとの対談で、小倉さんの「『ジャパネスク』の続編は書かれないのですか?」という質問に対して、はっきり「書かない」と言われた。「今は瑠璃姫のような女の子が出て来れない時代(社会)だから。それでもあえて彼女をモデルにした生き方を目指すと不幸になるから」というようなことを言われた記憶がある。うろ覚えですみません。そのときには、その意味は、しかしよく分からなかった。
けれど、そのずいぶん後、辻元清美さんが政界入りし、衆議院議員になり、小泉首相を問いただした後、失脚された。なんだかこの事件が、氷室冴子さんの言葉と微妙にシンクロした記憶がある。私的見解で、単なる感想だけど。
生涯一少女小説家、と宣言していた氷室冴子さんは、だけどとってもカッコ良かった。利発で知識人で、面白くて明るくてまっすぐで。憧れのお姫さま、瑠璃姫は氷室冴子さんとしっかりだぶる。
今日の訃報で、たくさんの人たちがショックを受けていることと思う。それほどの人たちが彼女に元気づけられ、楽しませてもらっているのだ。
沢山の良質でユニークなエンターテイメントをどうもありがとう、氷室冴子さん。謹んでご冥福をお祈りいたします。
いっとき彼女の『なんて素敵にジャパネスク!』が流行りまくっていた頃には、たぶん私はSFにハマっていたようなので、完全にすれ違っていた。その後もコバルトで読んでいたのは、同学年の新井素子さんだったりする。
それが『本の雑誌』での対談で、少女小説、あるいはティーン向け文庫のベスト(つまりおじさんたちにも支持を得た少女小説)に氷室冴子さんの『恋する女たち』(集英社文庫コバルトシリーズ 1981年)が挙げられていた。それほど推されているのなら、ということで、映画化され主人公役だった斎藤由貴の写真が表紙になった『恋する女たち』を読んで見た。
たちまち、すかさずハマる。ひとくせもふたくせもある高校生女子の友情と恋愛をこんな風に描いた小説って、読んだことないぞ! へんてこなキャラの少女たちが数人登場するが、変だけどいやにリアル。そして女子高校生だったことのある私は、それがいかにリアルかを(恐ろしいことに)知っているのだ(笑) で、その「変」なところが、彼女たちの個性であり魅力であることも。
その後はお定まりの、「じゃあ、『ジャパネスク』読まなくちゃ」ということになり、『なんて素敵にジャパネスク』は赤ちゃん子育てで、すっかり煮詰まっていた私の唯一の気晴らしとなる。
主人公は平安時代のお姫さま瑠璃姫。貴族の姫は顔を見られるだけでもとりかえしかつかない、という時代に、お忍びで町中に出歩き、政治的陰謀を見つけ出して解決したりという冒険野郎な姫なので、お付の者やご両親はハラハラで、宮中のウワサの的でもある。そんなとんでもない姫でありながら、しかもウワサでは「物の怪憑きの姫」とまで言われていながら、なぜかモテモテだったりする。
そんな彼女を想う男性のひとり、右大臣・高彬とのスローテンモネいきさつもおかしいが、もっとおかしいのは彼の教育係で乳兄弟でもある守弥なのだ。守弥はクールで策謀家なのだが、主人思いの彼はトンデモな瑠璃姫を敵視し、主人と瑠璃姫の仲を裂くべく、さまざまな陰謀を巡らす。クールに計算したはずなのに、なぜかどんどん計算とは違う方向へいくのが、おかしくて、脇役ながら偏愛すべきヒトなのだ。
また守弥の陰謀により発掘された煌姫(あきひめ)も好きなキャラで、輝くような美形なのに、日々の食事にも事欠くほど零落していたため、「人を見たら泥棒と思え」「うまい話にはウラがある」を信条とする超リアリスト。彼女が守弥と絡むと爆笑コメディになるので、わくわくする。
そんな元気の出るお姫さまの活躍するコメディであり、ほろりとするエピソードや号泣の感動場面もあるので、シリーズ10冊全部をあっというまに読んでしまった。
その後、フェミニスト小倉千加子さんとの対談で、小倉さんの「『ジャパネスク』の続編は書かれないのですか?」という質問に対して、はっきり「書かない」と言われた。「今は瑠璃姫のような女の子が出て来れない時代(社会)だから。それでもあえて彼女をモデルにした生き方を目指すと不幸になるから」というようなことを言われた記憶がある。うろ覚えですみません。そのときには、その意味は、しかしよく分からなかった。
けれど、そのずいぶん後、辻元清美さんが政界入りし、衆議院議員になり、小泉首相を問いただした後、失脚された。なんだかこの事件が、氷室冴子さんの言葉と微妙にシンクロした記憶がある。私的見解で、単なる感想だけど。
生涯一少女小説家、と宣言していた氷室冴子さんは、だけどとってもカッコ良かった。利発で知識人で、面白くて明るくてまっすぐで。憧れのお姫さま、瑠璃姫は氷室冴子さんとしっかりだぶる。
今日の訃報で、たくさんの人たちがショックを受けていることと思う。それほどの人たちが彼女に元気づけられ、楽しませてもらっているのだ。
沢山の良質でユニークなエンターテイメントをどうもありがとう、氷室冴子さん。謹んでご冥福をお祈りいたします。