今期のアニメのうち、最も尊敬できる男は誰か。
“屍鬼” の尾崎先生だろうか。
“伝説の勇者の伝説” の英雄王シオン・アスタールだろうか。
それとも “薄桜鬼” から選ぶか。
否!
そうではない。
あえて言おう。
“神のみぞ知るセカイ” の桂木桂馬であると。
氏は「落とし神」と呼ばれている。
ギャルゲーの達人である。
しかし注目すべきはそこではない。
氏はどんなときにでも自分のフィールドで戦うことを選択し、そして全てにおいてそれで問題を解決できている。
書くは容易い。
とはいえ、これを実現することは並大抵のことではない。
世の中には「郷に入れば郷に従え」というコトワザがある。
これは、とりあえずローカルルールを黙って受け入れておけば、あらぬトラブルを未然に回避できるはずだ…という意味である。
しかし、別の側面の意味もある。
自分にとって経験のない全く未知の分野に足を踏み入れるとき、そこで原理原則として通用しているものをガン無視して自分ルールではじめるのではなく、まず原理原則を理解することが先決である…という意味も含んでいると思う。
例えばの話だが。
ただのアニオタである我輩が株式投資をしようとしたとする。
投資の世界でアニメやギャルゲーの土俵を持ち込んだとすると、単に自分の好みのアニメやゲームを作った会社かどうかという判断でアニメ製作会社やゲーム製作会社の株を買うだろう。
大概はそれで手痛い失敗をこうむる。
なぜなら、見よう見マネでもいいからちょっとでもファンダメンタル分析やテクニカル分析をしなければ、その株がどれだけ割安/割高なのか理解できないままに買ってしまうことになるからだ。
いかなアニオタとはいえ、少しは経済を理解しようとしなければ、アニメ製作会社やゲーム製作会社の株を買うなど無謀の極みでしかないのだ。
JAL株で大損こいた人たちも、オタクと称するほどに飛行機には詳しくとも経済には全く無理解な、そういう人たちも少なからずいたかもしれないわけだ。
ところが!
“神のみぞ知るセカイ” の桂木桂馬はそうではない。
氏はギャルゲーを世界に誇れるほどに極めている。
しかし、悲しいかなギャルゲーしか土俵がない。
それをリアルの恋愛ごとにもちこんだらどうなるか?
ふつう、それは失敗するに決まっている。
我輩のようなタダのアニオタでしかないレベルであれば、そのあまりにも分野の違うことによる原理原則の違いの壁の高さを前にして、ただうまくいかずにうな垂れるに終始するだろう。
しかし!
桂木桂馬だけはそうではないのだ。
どんなときにでもギャルゲーの原理原則を適用する。
しかし、ギャルゲーとリアルの恋愛ごとという壁の隔たりを凌駕するほどにギャルゲーの世界での熟練の高さが勝る。
そのギャルゲーでの熟練の高さがゆえに、全てにおいてギャルゲー内の自分ルールを適用して問題を解決するだけの腕前を内に秘めている。
例えていうなら、筋力の劣る魔法使いをレベル99まで上げさえすれば、そんじょそこらの戦士と魔法なしのガチの殴り合いをしても勝てる、そういう意味なのだ。
実際、そのギャルゲー内の自分ルールを適用することについては驚くほど徹底している。
リアルの女の子に言い寄られて顔を赤らめるほどにドキドキしつつ、しかし
「僕にはリアルの女の子は必要ない」
とばかりに拒絶してギャルゲーのヒロインのみを愛し続ける。
いかに
「俺様はギャルゲーが好きだー! リアルの女の子などクソくらえ!」
と叫びつつも、そんな可愛らしいリアルの女の子に告白されるような状況になってまで自分ルールを絶対曲げずに拒絶するほどの強靭な精神を持つ者が、アニオタ同士諸君のなかにいったいどれほどいるのだろうか。
そんなんでカンタンにコロッとリアル女になびいてしまう者など、桂木桂馬の万分の一もギャルゲーを極めたとは言えないのだ。
絶対に人に負けない自分の得意分野を身につけること。
どんなときにでもその自分の得意分野を武器に戦うこと。
そして、勝ち続けること。
・・・それは人生の理想である。
しかし、そんなことは誰にでもできることではない。
プロ野球の4番バッターでも無理だし、内閣総理大臣でも無理なことだ。
それを貫き通せる桂木桂馬は尊敬に値する。
わたしはそう思う。
追伸:
第9話。
必要ないといって捨てられるもののなかにCOBOLがあったのには泣けた。
まあたしかになぁ・・・。
(学校の授業でムリヤリやらされた以外に)リアルにCOBOL使ったって人に会ったことないし。
“屍鬼” の尾崎先生だろうか。
“伝説の勇者の伝説” の英雄王シオン・アスタールだろうか。
それとも “薄桜鬼” から選ぶか。
否!
そうではない。
あえて言おう。
“神のみぞ知るセカイ” の桂木桂馬であると。
氏は「落とし神」と呼ばれている。
ギャルゲーの達人である。
しかし注目すべきはそこではない。
氏はどんなときにでも自分のフィールドで戦うことを選択し、そして全てにおいてそれで問題を解決できている。
書くは容易い。
とはいえ、これを実現することは並大抵のことではない。
世の中には「郷に入れば郷に従え」というコトワザがある。
これは、とりあえずローカルルールを黙って受け入れておけば、あらぬトラブルを未然に回避できるはずだ…という意味である。
しかし、別の側面の意味もある。
自分にとって経験のない全く未知の分野に足を踏み入れるとき、そこで原理原則として通用しているものをガン無視して自分ルールではじめるのではなく、まず原理原則を理解することが先決である…という意味も含んでいると思う。
例えばの話だが。
ただのアニオタである我輩が株式投資をしようとしたとする。
投資の世界でアニメやギャルゲーの土俵を持ち込んだとすると、単に自分の好みのアニメやゲームを作った会社かどうかという判断でアニメ製作会社やゲーム製作会社の株を買うだろう。
大概はそれで手痛い失敗をこうむる。
なぜなら、見よう見マネでもいいからちょっとでもファンダメンタル分析やテクニカル分析をしなければ、その株がどれだけ割安/割高なのか理解できないままに買ってしまうことになるからだ。
いかなアニオタとはいえ、少しは経済を理解しようとしなければ、アニメ製作会社やゲーム製作会社の株を買うなど無謀の極みでしかないのだ。
JAL株で大損こいた人たちも、オタクと称するほどに飛行機には詳しくとも経済には全く無理解な、そういう人たちも少なからずいたかもしれないわけだ。
ところが!
“神のみぞ知るセカイ” の桂木桂馬はそうではない。
氏はギャルゲーを世界に誇れるほどに極めている。
しかし、悲しいかなギャルゲーしか土俵がない。
それをリアルの恋愛ごとにもちこんだらどうなるか?
ふつう、それは失敗するに決まっている。
我輩のようなタダのアニオタでしかないレベルであれば、そのあまりにも分野の違うことによる原理原則の違いの壁の高さを前にして、ただうまくいかずにうな垂れるに終始するだろう。
しかし!
桂木桂馬だけはそうではないのだ。
どんなときにでもギャルゲーの原理原則を適用する。
しかし、ギャルゲーとリアルの恋愛ごとという壁の隔たりを凌駕するほどにギャルゲーの世界での熟練の高さが勝る。
そのギャルゲーでの熟練の高さがゆえに、全てにおいてギャルゲー内の自分ルールを適用して問題を解決するだけの腕前を内に秘めている。
例えていうなら、筋力の劣る魔法使いをレベル99まで上げさえすれば、そんじょそこらの戦士と魔法なしのガチの殴り合いをしても勝てる、そういう意味なのだ。
実際、そのギャルゲー内の自分ルールを適用することについては驚くほど徹底している。
リアルの女の子に言い寄られて顔を赤らめるほどにドキドキしつつ、しかし
「僕にはリアルの女の子は必要ない」
とばかりに拒絶してギャルゲーのヒロインのみを愛し続ける。
いかに
「俺様はギャルゲーが好きだー! リアルの女の子などクソくらえ!」
と叫びつつも、そんな可愛らしいリアルの女の子に告白されるような状況になってまで自分ルールを絶対曲げずに拒絶するほどの強靭な精神を持つ者が、アニオタ同士諸君のなかにいったいどれほどいるのだろうか。
そんなんでカンタンにコロッとリアル女になびいてしまう者など、桂木桂馬の万分の一もギャルゲーを極めたとは言えないのだ。
絶対に人に負けない自分の得意分野を身につけること。
どんなときにでもその自分の得意分野を武器に戦うこと。
そして、勝ち続けること。
・・・それは人生の理想である。
しかし、そんなことは誰にでもできることではない。
プロ野球の4番バッターでも無理だし、内閣総理大臣でも無理なことだ。
それを貫き通せる桂木桂馬は尊敬に値する。
わたしはそう思う。
追伸:
第9話。
必要ないといって捨てられるもののなかにCOBOLがあったのには泣けた。
まあたしかになぁ・・・。
(学校の授業でムリヤリやらされた以外に)リアルにCOBOL使ったって人に会ったことないし。