久々にエスプガルーダ(初代)をやる機会があった。
かつてはラスボス到達で限界だったのだが、今回は1ミスでラスボスへ到達することができた。
いつの間にやらわたしの腕前も鍛えられたのだろう。
ステージ4までは記憶にある感覚とは違って意外にヌルいもんだという気までしていた。
しかし!
ラスボスは強かった。
最終形態は撃っても撃ってもライフゲージが減らないし、ボムを当てたら逆に気が滅入るほどライフを回復しやがる。
これは今の実力では勝てないな・・・と痛感した。
それでフラフラになるほど遊べたので、けっきょく1コインだけの投入で満足して帰ってしまった。
たまに100円2プレイのゲーセンもあるが、そこで2回も連続して戦うだけの気力はまずないだろう。
ゲーセンは金ばっかかかると言うヤツがいるが、決してそんなことはない。
シューティングの中には覚えゲーになっているものも少なくない。
しかし、シューティングの本質とは、避けることである。
避けることとは、ある意味で脳の危険回避機能をフル回転させることでもある。
避けるためには、反射神経が必要なのだろうか?
これは概ね否である。
実はわたしは反射神経がないほうなのだ。
しかしそれでもエスプガルーダのラスボスの最終形態までは到達できる。
反射神経ではないとすると、そのつど考えて避けるのだろうか?
これも概ね否である。
考えて逃げ道を探せるほど悠長な時間はない。
シューティングで戦っている最中に考えてしまうようであれば、それは既に被弾している。
では何なのか?
これは熟練である。
この熟練とは、武道における熟練に少し近いかもしれない。
武道とは、あらかじめ敵のあらゆる攻撃を想定し、敵が動いた瞬間をとらえて体で覚えた対抗策をくり出して勝つものである。
そして、敵のどんな動きに対しても考える前に体が動くように、その動作を練習して熟練するものである。
そこにシューティングに通じるものがある気がするのだ。
かつて長嶋茂雄は
「ビューッと来て、バシンと打つ」
というバッティング指導をした。
・・・はっきり言って意味がわからん。
しかし、それをシューティングに置き換えればよくわかる。
シューティングとは、
「弾がビューッと来たら、パッと避ける」
だけなのだ。
体で覚えたものを口で説明するのは難しい。
その境地に到達したものだけが、その意味を語らずとも共有できる。
そういうものだ。
かつてはラスボス到達で限界だったのだが、今回は1ミスでラスボスへ到達することができた。
いつの間にやらわたしの腕前も鍛えられたのだろう。
ステージ4までは記憶にある感覚とは違って意外にヌルいもんだという気までしていた。
しかし!
ラスボスは強かった。
最終形態は撃っても撃ってもライフゲージが減らないし、ボムを当てたら逆に気が滅入るほどライフを回復しやがる。
これは今の実力では勝てないな・・・と痛感した。
それでフラフラになるほど遊べたので、けっきょく1コインだけの投入で満足して帰ってしまった。
たまに100円2プレイのゲーセンもあるが、そこで2回も連続して戦うだけの気力はまずないだろう。
ゲーセンは金ばっかかかると言うヤツがいるが、決してそんなことはない。
シューティングの中には覚えゲーになっているものも少なくない。
しかし、シューティングの本質とは、避けることである。
避けることとは、ある意味で脳の危険回避機能をフル回転させることでもある。
避けるためには、反射神経が必要なのだろうか?
これは概ね否である。
実はわたしは反射神経がないほうなのだ。
しかしそれでもエスプガルーダのラスボスの最終形態までは到達できる。
反射神経ではないとすると、そのつど考えて避けるのだろうか?
これも概ね否である。
考えて逃げ道を探せるほど悠長な時間はない。
シューティングで戦っている最中に考えてしまうようであれば、それは既に被弾している。
では何なのか?
これは熟練である。
この熟練とは、武道における熟練に少し近いかもしれない。
武道とは、あらかじめ敵のあらゆる攻撃を想定し、敵が動いた瞬間をとらえて体で覚えた対抗策をくり出して勝つものである。
そして、敵のどんな動きに対しても考える前に体が動くように、その動作を練習して熟練するものである。
そこにシューティングに通じるものがある気がするのだ。
かつて長嶋茂雄は
「ビューッと来て、バシンと打つ」
というバッティング指導をした。
・・・はっきり言って意味がわからん。
しかし、それをシューティングに置き換えればよくわかる。
シューティングとは、
「弾がビューッと来たら、パッと避ける」
だけなのだ。
体で覚えたものを口で説明するのは難しい。
その境地に到達したものだけが、その意味を語らずとも共有できる。
そういうものだ。