「STAR DRIVER 輝きのタクト」を見ていると思う。
この(敵キャラの)綺羅星十字団の人たちは、統計的にも戦ったら負けるのがわかりそうなのに、なぜいつもいつも戦ってそして負けるのだろうか・・・と。
きっとそう思うのはわたしだけではないだろう。
このアニメには少しづつながらストーリーの進展がある。
だから、正義の味方モノの特撮ヒーロー作品のような筋書きとも違う。
そんなふうに予め絵に描いたような勧善懲悪をそこで示すために作られているものともまた違うのだ。
では、なぜ彼らは戦うのだろうか。
戦うにしても、なぜ訓練して熟練して強くなってからではなく、いま戦おうとするのだろうか。
昨今のようにストーリーの進展がゆっくりになってからというもの、ずっとそう思っていた。
ところが、ひょんな拍子にその謎についての1つの解釈をふと思いついた。
綺羅星十字団というのは、絵に描いたかのごとくベタな秘密結社である。
そしてその構成員たちも、その秘密結社の雰囲気を楽しんでいるように見える。
それは、自分が秘密結社の構成員となることで、自分になにか特別な使命が与えられているという高揚感を楽しむためだと思われる。
このあたりの雰囲気は恐らく、この作品よりも篠房六郎氏の「空談師」を読んだほうがわかりやすい。
さて。
どんな秘密結社だろうと、そこには複数の構成員が必要である。
各人は綺羅星十字団という秘密結社に入り片時の高揚感を得たものの、しかしその秘密結社内部では自分は特別な人間ではない。
そんなものはあたりまえで、生まれ持って自分が特別だということをいい歳こいても実感するような人などそうそういはしない。
いずれそこに一抹の不満を感じるようになる。
ではどうするか?
一般的には、人と競争して勝ち続け、トップになればよい。
たとえば部活でトップになり、大会に出て優勝すればよい。
しかし、ふつうはそんなことはしない。
なぜなら、人を負かすということがいかに難しいかを皆知っているからだ。
かつてわたしは部活で将棋をしていた。
そこでは四段の先輩にはどうしても勝てなかった。
その四段の先輩もプロから落ちぶれてアマ化したヤツには勝てなかったから、地区大会では優勝できなかった。
人を負かすというのはそれだけ難しいことなのだ。
それがスポーツなどならわかりやすい。
素人が見ても大会で優勝するヤツらは動きが違う。
どう考えてもそうカンタンには勝てないことくらい誰がみてもわかる。
しかし!
綺羅星十字団ではそうではない。
戦う相手である銀河美少年はなんの変哲もないただのアニキにしか見えない。
自分がやっても勝ててしまえそうなほど普通である。
しかも運良く勝ってしまえたら、その秘密結社のリーダーになれるというオマケつきだ。
じゃあ戦ってみるか!
そう思うヤツは絶対出てくる。
それが毎週こりずに負ける彼らの姿なのだろう。
世の中には、一見するとシロウトがいきなりやっても勝ててしまえそうに見える分野もいくつもある。
たとえばFXとか。
そういうところには、一攫千金で大金持ちになって人生勝ち組を目指すヤツらが大挙して押し寄せ、そしてほとんどはボロクソに負けて早々に退場する。
サイバディも同じである。
恐らくそれは、だれがやっても勝てそうに見えてしまうものだ。
それを証拠に、作中で勝つために訓練している姿を見ることはない。
意図していないかもしれないが、この作品ではある種の教訓がそこに描かれている。
人を負かすというのはそれだけ難しいことであり、労せずして勝つことなど初めから不可能なのだということを。
この(敵キャラの)綺羅星十字団の人たちは、統計的にも戦ったら負けるのがわかりそうなのに、なぜいつもいつも戦ってそして負けるのだろうか・・・と。
きっとそう思うのはわたしだけではないだろう。
このアニメには少しづつながらストーリーの進展がある。
だから、正義の味方モノの特撮ヒーロー作品のような筋書きとも違う。
そんなふうに予め絵に描いたような勧善懲悪をそこで示すために作られているものともまた違うのだ。
では、なぜ彼らは戦うのだろうか。
戦うにしても、なぜ訓練して熟練して強くなってからではなく、いま戦おうとするのだろうか。
昨今のようにストーリーの進展がゆっくりになってからというもの、ずっとそう思っていた。
ところが、ひょんな拍子にその謎についての1つの解釈をふと思いついた。
綺羅星十字団というのは、絵に描いたかのごとくベタな秘密結社である。
そしてその構成員たちも、その秘密結社の雰囲気を楽しんでいるように見える。
それは、自分が秘密結社の構成員となることで、自分になにか特別な使命が与えられているという高揚感を楽しむためだと思われる。
このあたりの雰囲気は恐らく、この作品よりも篠房六郎氏の「空談師」を読んだほうがわかりやすい。
さて。
どんな秘密結社だろうと、そこには複数の構成員が必要である。
各人は綺羅星十字団という秘密結社に入り片時の高揚感を得たものの、しかしその秘密結社内部では自分は特別な人間ではない。
そんなものはあたりまえで、生まれ持って自分が特別だということをいい歳こいても実感するような人などそうそういはしない。
いずれそこに一抹の不満を感じるようになる。
ではどうするか?
一般的には、人と競争して勝ち続け、トップになればよい。
たとえば部活でトップになり、大会に出て優勝すればよい。
しかし、ふつうはそんなことはしない。
なぜなら、人を負かすということがいかに難しいかを皆知っているからだ。
かつてわたしは部活で将棋をしていた。
そこでは四段の先輩にはどうしても勝てなかった。
その四段の先輩もプロから落ちぶれてアマ化したヤツには勝てなかったから、地区大会では優勝できなかった。
人を負かすというのはそれだけ難しいことなのだ。
それがスポーツなどならわかりやすい。
素人が見ても大会で優勝するヤツらは動きが違う。
どう考えてもそうカンタンには勝てないことくらい誰がみてもわかる。
しかし!
綺羅星十字団ではそうではない。
戦う相手である銀河美少年はなんの変哲もないただのアニキにしか見えない。
自分がやっても勝ててしまえそうなほど普通である。
しかも運良く勝ってしまえたら、その秘密結社のリーダーになれるというオマケつきだ。
じゃあ戦ってみるか!
そう思うヤツは絶対出てくる。
それが毎週こりずに負ける彼らの姿なのだろう。
世の中には、一見するとシロウトがいきなりやっても勝ててしまえそうに見える分野もいくつもある。
たとえばFXとか。
そういうところには、一攫千金で大金持ちになって人生勝ち組を目指すヤツらが大挙して押し寄せ、そしてほとんどはボロクソに負けて早々に退場する。
サイバディも同じである。
恐らくそれは、だれがやっても勝てそうに見えてしまうものだ。
それを証拠に、作中で勝つために訓練している姿を見ることはない。
意図していないかもしれないが、この作品ではある種の教訓がそこに描かれている。
人を負かすというのはそれだけ難しいことであり、労せずして勝つことなど初めから不可能なのだということを。