フィギュアのパンツは見えたほうが良いか?
当然だ。
フィギュアのパンツは見えたほうが良いに決まっている。
パンツも見えないフィギュアなどフィギュアではない。
1歩進めて、パンツ以上の露出、たとえばブラやおっぱいも見えたほうが良いか?
もちろんだ。
キャラの清楚さを損なわずお下品にならない範囲内において、それはより望ましい。
好きな女の子のおっぱいを見たいのは当然である。
では、フィギュアは究極的には素っ裸のほうが良いということなのか?
今日はそういう話である。
前の話題にひきつづきワンフェスの話をば。
ワンフェスでは18禁ブースが用意されている。
18禁ブースだからといって、そこら中に18禁作品が売られているわけでもないが、しかし18禁かそれに近い露出をした作品は確実にそこにしかない。
ワンフェスでなくても秋葉原のレンタルボックスで魔改造した素っ裸のフィギュアを見ることもできる。
それを見て買いたいと思ったか?
わたしはそうは思わなかった。
ただ見物しただけだった。
なぜか?
素っ裸のフィギュアはキャラの味が損なわれているように思うからだ。
コスプレーヤーで例えて説明したい。
コスプレをした女の子とは、キャラの衣装を着た女の子である。
ここでコスプレーヤーの女の子の衣装を脱がして裸にしたとしよう。
それはいったい何なのか?
もちろんそれはコスプレーヤーではなく、ただの単なる女の裸でしかない。
これはフィギュアにも同じことが言えないだろうか?
フィギュアは造詣が命である。
だが、元のキャラのイメージを形造る元となった衣装もまた命である。
その衣装を脱いで素っ裸になったフィギュアとは何か?
首から上がそのキャラなだけの、首から下はただの単なる女の裸でしかないフィギュアである。
秋葉原のレンタルボックスにでも行ってみよう。
そこでは魔改造した素っ裸のアスカのフィギュアを割とよく見かける。
しかしどうだろう。
アスカなのは首から上だけだとは思わないだろうか。
むしろ、プラグスーツを着ていて、胸元がはだけておっぱいが見えていて、一部破れていてアソコが見えている・・・なんてほうが、アタマの上から足の先までアスカしていて観賞して楽しいとは思わないだろうか。
首をすげ代えればできるエロフィギュアなど怠慢だとは思わないのだろうか。
わたしは思う。
素っ裸のフィギュアを観賞するよりも、作中で使われている衣装を着た普通のフィギュアを下から覗いてパンツを観賞したほうが格段にドキドキする。
フィギュアは全部脱がしてはいかんのだ。
かつてスク水を主題としたエロゲがあった。
スク水が出てくる多くの作品では、エロシーンになるとスク水を脱がして素っ裸にしてからアレが始まるのに対し、某スク水エロゲだけはそうではなかかったらしい。
何があってもスク水を全て脱がすことはしなかったのだそうだ。
この徹底したこだわりよう。
この徹底したスク水への愛。
そのコンセプトは作品の想定ユーザーであるスク水フェチ達から賞賛を得たらしい。
フィギュアは全部脱がしてはいかんというのは、そういう意味でもある。
つまり、まとめると。
フィギュアは安易に脱がすんじゃなく、むしろ正攻法にてパンツの造詣に命を賭けろ!
・・・ということなのか?
当然だ。
フィギュアのパンツは見えたほうが良いに決まっている。
パンツも見えないフィギュアなどフィギュアではない。
1歩進めて、パンツ以上の露出、たとえばブラやおっぱいも見えたほうが良いか?
もちろんだ。
キャラの清楚さを損なわずお下品にならない範囲内において、それはより望ましい。
好きな女の子のおっぱいを見たいのは当然である。
では、フィギュアは究極的には素っ裸のほうが良いということなのか?
今日はそういう話である。
前の話題にひきつづきワンフェスの話をば。
ワンフェスでは18禁ブースが用意されている。
18禁ブースだからといって、そこら中に18禁作品が売られているわけでもないが、しかし18禁かそれに近い露出をした作品は確実にそこにしかない。
ワンフェスでなくても秋葉原のレンタルボックスで魔改造した素っ裸のフィギュアを見ることもできる。
それを見て買いたいと思ったか?
わたしはそうは思わなかった。
ただ見物しただけだった。
なぜか?
素っ裸のフィギュアはキャラの味が損なわれているように思うからだ。
コスプレーヤーで例えて説明したい。
コスプレをした女の子とは、キャラの衣装を着た女の子である。
ここでコスプレーヤーの女の子の衣装を脱がして裸にしたとしよう。
それはいったい何なのか?
もちろんそれはコスプレーヤーではなく、ただの単なる女の裸でしかない。
これはフィギュアにも同じことが言えないだろうか?
フィギュアは造詣が命である。
だが、元のキャラのイメージを形造る元となった衣装もまた命である。
その衣装を脱いで素っ裸になったフィギュアとは何か?
首から上がそのキャラなだけの、首から下はただの単なる女の裸でしかないフィギュアである。
秋葉原のレンタルボックスにでも行ってみよう。
そこでは魔改造した素っ裸のアスカのフィギュアを割とよく見かける。
しかしどうだろう。
アスカなのは首から上だけだとは思わないだろうか。
むしろ、プラグスーツを着ていて、胸元がはだけておっぱいが見えていて、一部破れていてアソコが見えている・・・なんてほうが、アタマの上から足の先までアスカしていて観賞して楽しいとは思わないだろうか。
首をすげ代えればできるエロフィギュアなど怠慢だとは思わないのだろうか。
わたしは思う。
素っ裸のフィギュアを観賞するよりも、作中で使われている衣装を着た普通のフィギュアを下から覗いてパンツを観賞したほうが格段にドキドキする。
フィギュアは全部脱がしてはいかんのだ。
かつてスク水を主題としたエロゲがあった。
スク水が出てくる多くの作品では、エロシーンになるとスク水を脱がして素っ裸にしてからアレが始まるのに対し、某スク水エロゲだけはそうではなかかったらしい。
何があってもスク水を全て脱がすことはしなかったのだそうだ。
この徹底したこだわりよう。
この徹底したスク水への愛。
そのコンセプトは作品の想定ユーザーであるスク水フェチ達から賞賛を得たらしい。
フィギュアは全部脱がしてはいかんというのは、そういう意味でもある。
つまり、まとめると。
フィギュアは安易に脱がすんじゃなく、むしろ正攻法にてパンツの造詣に命を賭けろ!
・・・ということなのか?