世の中には、数は極僅かだが、1/1フィギュアも実在する。
もちろんこれにはダッチワイフやラブドールは含まない。
アレは単なる本物の女の代替物という性質が強い。
我々はそんなレベルの低い要求をする時代はとうの昔に通り過ぎた。
烈海王がいうところの、それを中国拳法でいえば3000年も前に通り過ぎた地点である。
我々は本物の女以上のものを創作の世界で体現している。
それの1/1フィギュアのことである
ようするに、アニメやゲームのヒロインを、オリジナルの作画と同じアスペクト比かつ同じ設定身長にてフィギュア化したものである。
かつて秋葉原が電気の街からオタクの街へと変貌する予兆のあったとき、ラジオ会館に綾波レイの等身大フィギュア(たしか40万円くらいしたような)が建物の外から見える窓に飾られていることがあった。
人々はそれを見て、ああ時代は変わったのか・・・と、しみじみ思ったものだ。
さて。
これら1/1の等身大フィギュアを欲しいと思うだろうか?
フィギュアをズラリと部屋に並べているような我輩のような重篤患者であれば、当然それは垂涎の的となるべきものだろうか?
いや、必ずしもそうではない。
その理由は、アニメのヒロインを1/1化したものを見ればわかる。
順を追って説明していこう。
我々アニオタが人体より好きなアニメのヒロインは、人体と同じアスペクト比にはできていない。
にもかかわらず、それは意外に気にならない。
なぜか?
それは、モニタの向こう側やスケールモデルのフィギュアでは、人体の寸法と直接比較してしまうことがないからである。
それを1/1化したらどうなるか?
アタマが人体より何割か大きいため不気味になる。
同じく、目が大きすぎて不気味になる。
・・・そういうモノだ。
以前、ロザリオとバンパイアの等身大ポスターを買ったことがある(※1)。
それ以来ずっと部屋に飾っている。
実はこれ、厳密には等身大ではない。
たぶん真の等身大の70~80%くらいではなかろうか。
アタマのサイズが人体と同じになるように、全体がビミョーに小さくできているのだ。
なぜこうなっているのか?
恐らく真の等身大では、アタマが大きすぎて不気味に感じるからであろう。
以前、ニコニコでも伊織のほぼ等身大モデルを紙細工で作ったというのがあった。
たしかそれも等身大の70%くらいで造られていた。
恐らく伊織のアタマの寸法を人体の寸法に合わせた結果そうなったのであろう。
実はこれ、1/1の等身大フィギュアに限る話ではない。
例えば・・・
かぶりモノをしたコスプレにも同じことが当てはまる。
人体はアニメのヒロインよりもアタマが小さい。
よって大変都合の良いことに、かぶりモノをしてアタマのサイズが大きくなってしまうという構造的欠陥は問題なく吸収できてしまう。
しかし!
アタマのサイズが異常にデカいので気味が悪い。
加えて言うなら・・・
人体はアニメのヒロインに比べてデップリしている。
人体はアニメのヒロインほど美しくない。
余計な脂肪を全て削ぎ落とした美しいフォルムを愛でる我輩のような貧乳派にはそれが特に目につく。
ようするに
「うわっ、なんだこの脂ギッシュなヤツは・・・?」
と、よけいそう思ってしまうのだ。
これは我輩がコスプレ女に興味を惹かれない理由の1つになっているような気がする。
我々の愛した二次元のヒロインの映し身を我々の住む三次元のこちら側に召還するには数々の問題がある。
その1つがこの等身大化により顕在化するアスペクト比の問題である。
我々と彼女たちとの間にある隔たりはかくも大きいものかと嘆かざるを得ない。
【※1】
ロザバン等身大ポスターを張ってみた
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090923
もちろんこれにはダッチワイフやラブドールは含まない。
アレは単なる本物の女の代替物という性質が強い。
我々はそんなレベルの低い要求をする時代はとうの昔に通り過ぎた。
烈海王がいうところの、それを中国拳法でいえば3000年も前に通り過ぎた地点である。
我々は本物の女以上のものを創作の世界で体現している。
それの1/1フィギュアのことである
ようするに、アニメやゲームのヒロインを、オリジナルの作画と同じアスペクト比かつ同じ設定身長にてフィギュア化したものである。
かつて秋葉原が電気の街からオタクの街へと変貌する予兆のあったとき、ラジオ会館に綾波レイの等身大フィギュア(たしか40万円くらいしたような)が建物の外から見える窓に飾られていることがあった。
人々はそれを見て、ああ時代は変わったのか・・・と、しみじみ思ったものだ。
さて。
これら1/1の等身大フィギュアを欲しいと思うだろうか?
フィギュアをズラリと部屋に並べているような我輩のような重篤患者であれば、当然それは垂涎の的となるべきものだろうか?
いや、必ずしもそうではない。
その理由は、アニメのヒロインを1/1化したものを見ればわかる。
順を追って説明していこう。
我々アニオタが人体より好きなアニメのヒロインは、人体と同じアスペクト比にはできていない。
にもかかわらず、それは意外に気にならない。
なぜか?
それは、モニタの向こう側やスケールモデルのフィギュアでは、人体の寸法と直接比較してしまうことがないからである。
それを1/1化したらどうなるか?
アタマが人体より何割か大きいため不気味になる。
同じく、目が大きすぎて不気味になる。
・・・そういうモノだ。
以前、ロザリオとバンパイアの等身大ポスターを買ったことがある(※1)。
それ以来ずっと部屋に飾っている。
実はこれ、厳密には等身大ではない。
たぶん真の等身大の70~80%くらいではなかろうか。
アタマのサイズが人体と同じになるように、全体がビミョーに小さくできているのだ。
なぜこうなっているのか?
恐らく真の等身大では、アタマが大きすぎて不気味に感じるからであろう。
以前、ニコニコでも伊織のほぼ等身大モデルを紙細工で作ったというのがあった。
たしかそれも等身大の70%くらいで造られていた。
恐らく伊織のアタマの寸法を人体の寸法に合わせた結果そうなったのであろう。
実はこれ、1/1の等身大フィギュアに限る話ではない。
例えば・・・
かぶりモノをしたコスプレにも同じことが当てはまる。
人体はアニメのヒロインよりもアタマが小さい。
よって大変都合の良いことに、かぶりモノをしてアタマのサイズが大きくなってしまうという構造的欠陥は問題なく吸収できてしまう。
しかし!
アタマのサイズが異常にデカいので気味が悪い。
加えて言うなら・・・
人体はアニメのヒロインに比べてデップリしている。
人体はアニメのヒロインほど美しくない。
余計な脂肪を全て削ぎ落とした美しいフォルムを愛でる我輩のような貧乳派にはそれが特に目につく。
ようするに
「うわっ、なんだこの脂ギッシュなヤツは・・・?」
と、よけいそう思ってしまうのだ。
これは我輩がコスプレ女に興味を惹かれない理由の1つになっているような気がする。
我々の愛した二次元のヒロインの映し身を我々の住む三次元のこちら側に召還するには数々の問題がある。
その1つがこの等身大化により顕在化するアスペクト比の問題である。
我々と彼女たちとの間にある隔たりはかくも大きいものかと嘆かざるを得ない。
【※1】
ロザバン等身大ポスターを張ってみた
http://blog.goo.ne.jp/beamtetrode350b/d/20090923