教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

人を殺してでも実現させる理想(フラクタル)

2011-02-24 00:01:38 | オタネタ全般
今期のアニメ、フラクタルが地味におもしろい。
萌えとかバトルとかそういうのを抜きにしてもなおおもしろいという貴重な作品である。

実はこのアニメ、テロリストと巻き込まれた主人公との共同生活を描くという、考えてみればなんだか変な設定である。
もちろん、テロリスト呼ばわりされるだけあって、巻き添えくらって善良な民間人がバシバシ殺される。
冗談ではなくホンモノのテロリストである。

さて主人公。
経緯はおいといて、テロリストと共に暮らしている。
髪は金髪なのだが、どう見ても日本人にしか思えないほど回りに流されやすく、そのおかげで主義主張に賛同したわけでもないのにいっしょに暮らしているという有様だ。

主人公はテロリストの主義主張に賛同したわけではない。
それはもちろん、テロリストが善良な民間人をバシバシ殺した実績があり、しかもそれを正当化するからだ。

なぜテロリストたちは殺すのか?

アニメの登場人物に聞けば、
「あんな疑いもせず○○に盲目的に従って生きているヤツらなんて、死んでいるも同然だよ!」
「あいつらを全員殺らなければ真の自由はないからに決まっている!」
「何もできないくせに上から目線で言っても説得力ないよ!」
なんて答えるだろう。
そこには
「しかたがないじゃないか」
といういい訳さえ恐らくない。

はたして人を殺すことが正当化されうる事はありうるのか?

ある。
国家の主権は、相手を殺してでも、自分の命を賭してでも、守らなければならない。
戦争放棄の非武装の即無条件降伏なんてありえない。
戦争放棄というのの本来の意味は、目の前で娘をレイプされても黙って見ていますという腰抜け宣言に等しいのだ。
世界史的に見ても戦いもせずに無条件降伏的な状況を選択した事例は極めて稀で、パッと思いつくかぎりでは日韓併合時の朝鮮くらいしかないかもしれない。
銃を持つというのはそういう意味であり、当時の朝鮮なみの類稀なる腰抜けでなければむしろ銃を持つべきものだ。

では、フラクタルにおけるテロリストたちにはその説得力や理念があるか?

それがあると言えるほどの描写はまだない。
だから主人公は周りに流されつつもイマイチ納得していない。

仮にテロの巻き添えくらって小さな子供を殺された母親のことを考えてみよう。

この母親を納得させられるだけの理念がテロリストにあるだろうか?

母親は絶対に納得しない。
仮にテロリストのほうに正義があるとしても、だ。

どんなに崇高な理想をかかげようと、所詮テロリストはテロリスト。
そこに矛盾があっても皆が見て見ぬふりをし、皆が相手が悪だと罵り、そして殺し合いになる。
このアニメはそういう描写がなかなかおもしろい。