「力を欲しますか? 何のために?」
インフィニット・ストラトス最終話(きっと「一期」と明示が必要になる日が来る)からの引用である。
こういうときの定番は1つしかない。
「○○を守るため」
恐らく、これ以外の答えはほとんど使われない。
力を欲しようともしない者はルサンチマンに侵された敗北主義者でしかない。
力を欲するのは必然である。
しかし!
わたしなら、そうは答えない。
わたしなら、
「力が欲しい! 時間をさかのぼって創造神と戦って勝つだけの力が欲しい!」
と答えたい。
なぜか?
特に意味はない。
ただ・・・
わたしには人類に対する愛はさほどない。
特定の誰かを守りたいという愛もさほどない。
力を望む確固たる理由など思いつかないだけだ。
仮に創造神というものがいる(もしくは、いた)とすればの話になるが・・・
創造神から見れば、我々は自分が作ったモノになる。
これを我々に置きかえてみよう。
創造神が自分だとすれば、「我々」とは、自分がプログラムか何かで作った擬似生命なり何なりに相当する。
その擬似生命は何を望むだろうか?
いま確保できているヒープよりさらに広いメモリ空間を望むだろうか?
CPUの占有率かコア数の割り増しを望むだろうか?
それはありえる。
しかし、しょせんプログラムはプログラム。
(コンパイラのバグやメモリエラーでもないかぎり)プログラムは自分がプログラミングしたとおりにしか動かない。
プログラムで作った擬似生命の限界とはそんなものだ。
しかし。
仮にプログラムに意思が芽生えたとして、プログラムがプログラムを超える何かになったとするならば、それは何を観測してどうなった場合と定義すれば良いのだろうか?
もし仮に時間をさかのぼってその該当プログラムをコーディングしている最中のわたしに干渉できれば、まあ少なくとも人間様もプログラムも超えた何かになっていると言ってもよかろう。
わたしの言う「力が欲しい」とは、そういうことだ。
インフィニット・ストラトス最終話(きっと「一期」と明示が必要になる日が来る)からの引用である。
こういうときの定番は1つしかない。
「○○を守るため」
恐らく、これ以外の答えはほとんど使われない。
力を欲しようともしない者はルサンチマンに侵された敗北主義者でしかない。
力を欲するのは必然である。
しかし!
わたしなら、そうは答えない。
わたしなら、
「力が欲しい! 時間をさかのぼって創造神と戦って勝つだけの力が欲しい!」
と答えたい。
なぜか?
特に意味はない。
ただ・・・
わたしには人類に対する愛はさほどない。
特定の誰かを守りたいという愛もさほどない。
力を望む確固たる理由など思いつかないだけだ。
仮に創造神というものがいる(もしくは、いた)とすればの話になるが・・・
創造神から見れば、我々は自分が作ったモノになる。
これを我々に置きかえてみよう。
創造神が自分だとすれば、「我々」とは、自分がプログラムか何かで作った擬似生命なり何なりに相当する。
その擬似生命は何を望むだろうか?
いま確保できているヒープよりさらに広いメモリ空間を望むだろうか?
CPUの占有率かコア数の割り増しを望むだろうか?
それはありえる。
しかし、しょせんプログラムはプログラム。
(コンパイラのバグやメモリエラーでもないかぎり)プログラムは自分がプログラミングしたとおりにしか動かない。
プログラムで作った擬似生命の限界とはそんなものだ。
しかし。
仮にプログラムに意思が芽生えたとして、プログラムがプログラムを超える何かになったとするならば、それは何を観測してどうなった場合と定義すれば良いのだろうか?
もし仮に時間をさかのぼってその該当プログラムをコーディングしている最中のわたしに干渉できれば、まあ少なくとも人間様もプログラムも超えた何かになっていると言ってもよかろう。
わたしの言う「力が欲しい」とは、そういうことだ。