教団「二次元愛」

リアルワールドに見切りをつけ、二次元に生きる男の生き様 (ニコニコでは「てとろでP」)

フラクタルが去ってまたフラクタル

2011-04-08 00:05:54 | オタネタ全般
フラクタルというアニメ、なかなかにフシギなものがあった。
ジブリのような王道的冒険活劇をめざしつつ、しかし根本的なところで何か違う。

何か違うとはどういう意味か?

もどかしさ。

これに尽きる。
全部見た人ならわかってくれるだろうか。

何がもどかしいのか?

しばらく考えてみたのだが・・・。
1つ思い当たるものがあった。

それは、フラクタルは何一つとして根本的に解決していないということである。



まず、フラクタルと比較するためにジブリ作品を引用したい。

ジブリ作品の中でわたしが一番好きな天空の城ラピュタを例に出そう。
この作品は確実に問題が解決して終わっているからわかりやすい。

たとえば、親父の語っていたラピュタに行ってみること。
たとえば、好きな女の子を悪い男から奪還すること。
たとえば、ラピュタという過ぎた力を悪い男に使わせないように封印すること。

作中の登場人物がかかえている問題は良かれ悪しかれ全て解決しているのだ。
だからとてもさっぱりした読後感になるのだろう。



しかし!

フラクタルが描こうとしていることはその正反対である。
フラクタルの世界では、物語が最後までいっても良かれ悪しかれ何一つとして根本的に解決していないのだ。

たとえば、主人公は行動を共にするテロリストたちの理念を受けつけないのにもかかわらず、中途半端にいっしょに行動し続けた。
たとえば、主人公一味のテロリストが目指したフラクタルの無い世界は実現せず、中途半端に起動した。
たとえば、敵に相当する教団側が目指した永遠に持続するフラクタルの恩恵を受ける世界は実現せず、中途半端に持続した。
たとえば、主人公の好きになった女の子は物語の最後でも復活せず、中途半端に精神が入れ替わって体だけ残るという結末になった。

こういったものは例を挙げるに困らないほどある。
例がありすぎて困るほどなのだから、これはきっとわざとではなかろうか。
わたしはそう勘ぐっている。



なぜそんな展開にしたのか?

たぶん・・・
重要な問題が盛大に解決することなんて滅多にありえなくて、人間は得られた結果を受け入れて折り合いをつけていくしかないんだよ。
・・・ってな設計思想なのではなかろうか。

これはある意味でフラクタルという作品タイトルに相応しい。
全体が一部の相似形であるという意味においてだ。

何一つとして根本的に問題が解決しないがとりあえず当面は持続する世界(全体)。
確固たる思想もなく自分で問題を解決していこうとない流されやすい主人公(一部)。

ほら、フラクタルになっているだろ?



わたしはこの、フラクタルのビミョーにもどかしい読後感は、作品独特の稀有な味だとして評価したい。
しかし世間ではそうでもないようだ。
このフラクタルというアニメは人気があったとは言い難い現状がそう教えてくれる。