2010年クソゲーオブザイヤーinエロゲー板
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9955062
エロゲにもクソゲーオブザイヤーがあったのか。
知らんかった。
っていうか、核地雷と呼ばれる”魔法少女アイ参”の登場を期にエロゲ枠ができたっぽい感じがする。
まあそれはいいとして。
でだ。
初年分から全部見てみたわけなんだが。
大賞作はやったことないにせよ、ノミネート作品はいくつかやったことがあるものが登場した。
まあたしかにそれらは
「大変すばらしいから是非おまえらもやれ!」
というようなエロゲではなかったことは確かである。
しかし。
クソゲーだとこきおろすほどクソだというほどのものでもない。
エロゲ界は”修羅の国”と呼ばれる。
そこは、あまりにも苛烈を極める事からそう呼ばれる。
もちろん、メーカーに対しても、ユーザーに対しても。
かつては修羅の国と呼ばれるにふさわしき体裁のものもたしかにあった。
エロゲなのにエロシーンでエロ絵がないとか。
インストールするとHDDの中身を全て消されるとか。
パッケージにデカデカと描かれているメインヒロイン(としか思えなかったキャラ)が攻略不可だとか。
・・・そんなものが横行していた。
世は、そんな障害などモノともせずに遊びつづける者だけがそこに留まり続けることを許された。
人は、彼らをして修羅と呼び、彼らの棲まうところをして修羅の国と呼んだ。
ついでに言うと、我輩がこの世界に足を踏み入れたのは、そんな魑魅魍魎どもが跳梁跋扈しはじめるよりも遥か昔のことである。
前”修羅の国”期では、キャラやエロがなくても単にゲームとしておもしろいエロゲが多かった、大航海時代を彷彿させるクリエイティブな時代であった。
音声も動画もないどころか静止画でさえPC-9801の640×400ドットの16色しか出ない仕様で描かれたエロ絵であったが、それでも我々はそのエロ絵に大興奮して楽しんだ。
なのに・・・
いったい誰がその時、将来のエロゲ界が修羅の国と呼ばれる惨状に見舞われると予測できたであろうか。
しかし!
ついに修羅の国と呼ばれる時代は過去のものとなりつつあるのかもしれない。
もはやクソゲーとこきおろされる事は単なるネタでしかない良き時代となりつつあるのかもしれない。
ついに我々は、あの時代のことを古き良き時代だと呼び、かつての辛酸をなめた自らの経験を不幸自慢として嬉々として人に語れるくらいの、そんな新たな一歩を踏み出す時期に来ているのだ。
先の動画を見てそう思った。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm9955062
エロゲにもクソゲーオブザイヤーがあったのか。
知らんかった。
っていうか、核地雷と呼ばれる”魔法少女アイ参”の登場を期にエロゲ枠ができたっぽい感じがする。
まあそれはいいとして。
でだ。
初年分から全部見てみたわけなんだが。
大賞作はやったことないにせよ、ノミネート作品はいくつかやったことがあるものが登場した。
まあたしかにそれらは
「大変すばらしいから是非おまえらもやれ!」
というようなエロゲではなかったことは確かである。
しかし。
クソゲーだとこきおろすほどクソだというほどのものでもない。
エロゲ界は”修羅の国”と呼ばれる。
そこは、あまりにも苛烈を極める事からそう呼ばれる。
もちろん、メーカーに対しても、ユーザーに対しても。
かつては修羅の国と呼ばれるにふさわしき体裁のものもたしかにあった。
エロゲなのにエロシーンでエロ絵がないとか。
インストールするとHDDの中身を全て消されるとか。
パッケージにデカデカと描かれているメインヒロイン(としか思えなかったキャラ)が攻略不可だとか。
・・・そんなものが横行していた。
世は、そんな障害などモノともせずに遊びつづける者だけがそこに留まり続けることを許された。
人は、彼らをして修羅と呼び、彼らの棲まうところをして修羅の国と呼んだ。
ついでに言うと、我輩がこの世界に足を踏み入れたのは、そんな魑魅魍魎どもが跳梁跋扈しはじめるよりも遥か昔のことである。
前”修羅の国”期では、キャラやエロがなくても単にゲームとしておもしろいエロゲが多かった、大航海時代を彷彿させるクリエイティブな時代であった。
音声も動画もないどころか静止画でさえPC-9801の640×400ドットの16色しか出ない仕様で描かれたエロ絵であったが、それでも我々はそのエロ絵に大興奮して楽しんだ。
なのに・・・
いったい誰がその時、将来のエロゲ界が修羅の国と呼ばれる惨状に見舞われると予測できたであろうか。
しかし!
ついに修羅の国と呼ばれる時代は過去のものとなりつつあるのかもしれない。
もはやクソゲーとこきおろされる事は単なるネタでしかない良き時代となりつつあるのかもしれない。
ついに我々は、あの時代のことを古き良き時代だと呼び、かつての辛酸をなめた自らの経験を不幸自慢として嬉々として人に語れるくらいの、そんな新たな一歩を踏み出す時期に来ているのだ。
先の動画を見てそう思った。