笑顔浴

優しい時間

通訳

2013年02月19日 | Weblog

「A君、やめなさい!」

A「俺の悪口言うから」

B「言ってねーし」

A「ルサイ」

「・・・・・・」

(Bを指差して)

A「絞めて欲しいって 言った!」

「お願いされても、今の行為は いけん・・」

C「あやまりなさーい」

「頭の中で考えることまで止められないけど、

そのまま行動してはいけない。大人は我慢じゃあ」

C「このあいだ、成人式 したでしょ」

 

C君は、私のものまねが大変お上手なうえ、

絶妙なタイミングで、通訳くださるので

クラスの笑いを誘って、場の空気がなごみました。 

 

じゃれあっているのか、もめているのか、

見ていてよくわからないのですが、間違っていても

その時に声を掛けないと、タイミングを逃してしまいます。

間違っていたら、ごめんなさいと謝ればいいだけのことですから

声を掛けられたのは、日頃のA君やB君とのやりとりがあるからで

平常時に私の考え方を伝えておく大切さも感じました。、

 

それからは、勉強を拒否しているようにみえたので

チャイムが鳴る10分前に座席を訪問し、

過去の国家試験問題をクイズ形式でA君に出題しました。

答えに困っているとB君が代弁したり、「俺も知らん」と二人でうつむきました。

正解すると小さな子供のように褒めました。

ガッツポーズといつもの笑顔が戻ったので安心しました。

「注意しても、あなたを嫌っていないよ」というメッセージが

届きますように。

 

 

 

 

 


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おもて

2013年02月19日 | Weblog

節分の豆袋におまけでついてた鬼の面です

手のひらに乗る小さな大きさです。

どれどれ~と

お猿の人形にあててみると、あら鬼の人形になりました!

 

心を鬼にして・・・と耳にしますが

顔を鬼にして・・・という言葉はあまりきかないですね

顔も鬼のほうが、よっぽどわかりやすいし

言動も一致したほうがもっと気持ちがいい。

鬼を演じる人が、本当の鬼じゃないことを 私達は知っているのに、

つい、怖くなるのはどうしてでしょう

 

たとえば、

女神の面をつけたら、女神らしく振舞うようになるし

責任者の面をつけたら、責任者のように働くでしょう

救済者になったり、加害者になったり 被害者になったり

1日のうちに、ころころ変わることもあります。

 

時と場所に合わせて 役割を演じながら、私達は生きています。

立場が違うとは、母の前では娘であり、伯母にとっては姪であり、

姉であり、いとこであり、伯母であります。

車を走らせれば運転手だし、バスに乗れば乗客として行動します。

ご指導いただく先生の生徒であり、個性が輝く学生の先生であり

親友であり、知人であり、世話人であり、スタッフであり

ボランティアであり、労働者であり、顧客であり ・・・

その役割の多さに、驚きます。

あなたは、どのくらいの役割をおもちですか?

 

葛藤は、そうした役割が重なった時におこりやすいのかも

しれないなあと今日は感じます。

今、私がどういう役割でそこに居るのかを自覚しつつ

相手も役割を演じていることを理解しなくてはいけないと思うわけです。

 


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