やるべきことが、やれない。
やめたいことが、やめられない。
意志が強くない私です。
私が出会う人々は「もっともっと頑張らなくてはいけない」
「何もできていない」と自分を責める人が多いのに
責めた分だけ、頑張れたかというとそうでもなさそうで
自己嫌悪で過ごす時間に、やるべきことは、手つかずのまま・・
そこで、また後悔する悪循環感が始まるわけで。
<罪悪感で、制御できなくなる。→ 自分を許して自制心を取り戻せ>
とケリーマクゴニガル先生もおっしゃっていることだし
自分を責めて良いことは一つもないから
まさに、自分にも思いやりを持て!なのです。
人間が一生かけて頑張る量は、誰しも一定だと考えています。
頑張る時期や場所や頻度や量が違っても
死ぬ時に棚卸をして合計すれば、似たようなもんじゃないかと想像してます。
私は、赤ちゃんから思春期になる15年間の劇的変化で、
「頑張り」は、既に かなり溜まったと評価して
ぶっ倒れるほど頑張るのは、よほど気分が乗った時のみ
あとは、だらだら過ごして良いことに決めています。
今日は、何を、何のために、どこまでやるか
簡単に設定しておけば、目安が持てるけど
仕事が一段落するキリよりも、時刻のキリで、
作業を終えないと、エンドレスになるのでご用心。
それにしても<頑張る>は曖昧な言葉でしょ。
目に見える頑張り 目に見えない頑張り
成果を出す頑張り 成果に結びつかない頑張り
評価されやすい頑張り、 評価されにくい頑張り
作業量や時間で評価する頑張り、作業しない事に耐える頑張り、
ところで、誰が頑張りの有無を認めているの??
家族?友達?知人?上司?仲間?他人?・・
自分で頑張ったと感じたら、頑張ったことになるよね。
痛みと一緒で、他人と比べることができないもの。