もりのぼたもち

釣り、健康ランニングとお城巡りを楽しむアラ還おじさんです。
何事にもドンマイ!の気持ちであちこち出かけています。

御朱印巡り② ~ 花咲く京都 そうだ京都、行こう。 随心院

2023年05月10日 | 神社・仏閣

5/10  醍醐寺からほど近い「随心院」へ。

ここは、JR東海の春のキャンペーンの中の一つです。

花咲く京都 2023.3.7(MON)-6.30(THU)

庫裡の手前に小野小町の歌碑。

庫裡から中へ。

ここで、小野小町の紹介をHPから。

 

絶世の美女として知られており、美人の代名詞とも言える人物。

出生地も諸説あるが、秋田県湯沢市がもっとも有力とされ、

あきたこまちなどの名前の由来となっている。

小野小町のエピソードとして特に知られているのが、深草少将の百夜通いである。

小町に求愛した少将は、小町から百日間毎日通い続けたら受け入れると言われ、

毎日欠かさず小町の元へ足を運び続けたが、

九十九日目の夜に大雪のため願い叶わず凍死してしまったという伝説である。

 

中は、撮影禁止のため、庭だけでも。

それでは、JRのキャンペーンにも登場する「花の間」です。

とにかくきれいです。

こちらは、JRから。

 
 

花の間

昨年大好評だった花の間が、今年も登場。
花の魅力を生かし、歴史を紡いだ寺院のお部屋や美しい庭園を
より一層春が感じられるアート空間に演出します。
ここでしか見られない景色を、是非お楽しみください。

花の間

※写真は2022年開催時のものです。

それでは、境内に戻って「藥医門」

そして、小町が毎日化粧で利用していた井戸へ。

今もきれいな水をたたえています。

こちらは、文塚。

深草少将はじめ、当時の貴公子たちが小町へ寄せられた千束の文を埋めたところです。

ということで、随心院でした。

続く・・・。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り① ~ 京都 醍醐寺

2023年05月10日 | 神社・仏閣

今日は、突然思い立ち京都へ。

お天気がいいので、いくつか廻りました。

まずは、世界文化遺産 醍醐寺です。

総門をくぐり境内へ。

まず訪れたのは、「三宝院」。

HPからです。

三宝院は永久3年(1115)、醍醐寺第14世座主・勝覚僧正により創建されました。

醍醐寺の本坊的な存在であり、歴代座主が居住する坊です。

現在の三宝院は、その建造物の大半が重文に指定されている。

中でも庭園全体を見渡せる表書院は寝殿造りの様式を伝える桃山時代を代表する建造物であり、

国宝に指定されています。

国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は、

慶長3年(1598)、豊臣秀吉が「醍醐の花見」に際して自ら基本設計をした庭であり、

今も桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

国宝の表書院。

外には、秀吉が醍醐の花見で設計した庭園が見事です。

重文 秋草の間。

秋の七草の襖絵。

重文 勅使の間。

長谷川等伯一派の竹林花鳥画。

葵祭が描かれている。

そして、ひときわ目を引く 国宝 唐門。

続いて伽藍へ。

まずは、仁王門。

仁王像は、重文です。

 

国宝 金堂です。

安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。

そして、一番目を引くのが国宝 五重の塔。

いやぁ、すごいです。

951年完成で、京都で一番古い木造建築。

高さ38m。

この木の組み具合が見事。

立派な屋根の上の相輪は約13メートルあり、

相輪が塔の三分の一を占めてます。

日月門。

 

西国三十三カ所 第十一番札所。

観音堂。

ここで御朱印を頂戴しました。

弁天堂。

ということで、桜の名所ですが、今は新緑がとてもきれいでした。

続く・・・。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御金神社(金運)と東天王 岡崎神社(うさぎ)

2023年02月07日 | 神社・仏閣

さて、昨日の続きです。

釣り具店へ行き、最小限の小物だけを購入。

リールやクーラーボックス、ロッドなどの誘惑に負けないで、

お店を後にしました。

次に向かったのが、宝くじ売り場。

京都では、京都駅地下のチャンスセンターが一番人気ですが

こちらも、何度も高額当選が出ている売り場。

みずほ銀行京都中央支店です。

この時期は、バレンタインジャンボであります。

今年の幸運ナンバー1は、卯年生まれのO型。

そう私は、今年が卯年生まれの満60歳、還暦、そして、O型です。

ということで、1月にお伊勢さんへ初詣へ行った際にも、

おはらい横丁とおかげ横丁の2か所で宝くじを購入しました。

続いては、ジャンボです。

もう当たりまくってしまったらどうしよう・・・。

と、ニタニタとほくそ笑んでしまいながら購入。

その宝くじを持って向かったのが、こちらの神社。

御金神社、こちらは「おかね」ではなく「みかね」と読みます。

京都、二条城の近くの小さな通りにあります。

2月に入り、平日でしたが、次から次へと参拝される方がおられました。

12月の年末ジャンボの時には通りに人があふれ、参拝を断念したことがありました。

今回は、しっかりと願ってまいりました。

詳しくはこちらをポチッ!

    ⇩

御金神社について | 京都 御金神社

御金神社について | 京都 御金神社

京都 御金神社

 

それにしても、インパクトのある鳥居です。

しっかりと、しっかりと、しっかりとお参りしました。

ちなみに御朱印も金キラです。

もうこれは、確実に当たっちゃいます、予感です。

それから、もう1社お参りしました。

こちらは、1月の初めに参拝に来ましたが、猛烈な混雑で断念しました。

東天王 岡崎神社です。

別名 うさぎ神社です。

うさぎ年生まれなので、お参りしておこうと思ってました。

2月の平日は、空いています。

境内には、あっちこっちにうさぎ。

それでは、お参りします。

安産などの御利益がありますし、うさぎというかわいらしさもあり、

参拝客の多くが女性です。

本殿の招きうさぎには、金運が・・・。

今回のバレンタインジャンボ、ひょっとして当選が数本なんてことに・・・。

とにかく、うさぎさま、お願いいたします。

さて、御朱印を、と思いましたが、なんと授与所は行列。

またまた、断念しました。

時期をもう少しずらしてからにします。

うさぎみくじも、また今度。

今回の2社、ご利益ばかりを期待してしまっているので、

ちょっと祈願が不純かも。

それでは、高島へ帰りますか。

途中の大原の「志野」でドレッシングを買いました。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卯年生まれの守り神 大津 三尾神社

2023年01月10日 | 神社・仏閣

石清水八幡宮で厄払いをしていただき、続いて京都市内へ。

向かった先は、女性自身でも紹介されていた「岡崎神社」

飛躍の年となるように、と向かいましたが・・・。

ここ岡崎周辺は、大混雑。

何かというと成人の日ということで、「京都市の二十歳の集い」のような式典がありました。

ものすごい数の二十歳を迎えられた晴れやか姿の方々。

駐車場もウマく入れずで、ウロウロ。

仕方ないのでとりあえず目的地の岡崎神社へ。

すると、こちらは猛烈な混雑。

小さなお宮さんですが、本殿から行列が伸び、

数百メートルにもなっていたほど。

完全に諦めました。

そのため、北白川の王将でお昼ご飯となった次第。

さて、それから、山中越えで大津へ。

三井寺の隣にある、こちらもうさぎの神社「三尾神社」です。

ここも、卯年ですので、参拝の方がザワザワ。

元気に跳ねるウサギの口から水が出ている手水舎。

そして、本日は卯年初めての「卯の日まいり」の日。

それでは、境内へ。

三尾神社のいわれです。

 

うさぎが神様のお使いとされている卯年生まれの守り神

三尾神社の言い伝えでは、その昔、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が

この地に降りられ、長等山の地主神となられました。

伊弉諾尊は赤・白・黒の三つの腰帯をつけておられ、

お姿が三つの尾を引くのに似ていたので三尾明神と名付けられました。

その三つの腰帯それぞれが神様になりましたが、

その中の本神が、太古、卯の年、卯の月、卯の日、卯の刻(朝方)、卯の方(東)より出現されたため、

昔からうさぎが神様のお使いとされ、三尾神社のご神紋も「真向きのうさぎ」となっています。

 

室町時代に建立された社殿

室町時代、応永年間に足利将軍が現存の本社を再興し、

慶長年間に太閤秀吉が社殿の修理を加えさせたと伝わります。

園城寺(三井寺)から神仏分離令により現在に場所に移されました。

本殿は2014(平成26)年に国の重要文化財に指定されています。

 

真向きのうさぎ。

卯年生まれの還暦の私。

しっかりしっかり、お守りくださいませ。

ちなみにお参りするのに行列が。

そして、こちらは裏門の屋根瓦、「見返りの兎」

こちらは、本殿周囲の塀の瓦の兎。

そして、御朱印や授与品をいただくための長い行列。

この行列で並んでいると私の後ろに来られた女性。

ここの前に岡崎神社に参られたとのこと。

こちらは、あまりにも行列が凄くて諦めましたと話していると、

ツアーバスで来られて、岡崎神社では1時間待ちだったと話されてました。

ただ、ここ三尾神社は時間がなくて、しばらく並ばれてましたが断念されました。

さて、私の番です。

まず御朱印は、書置きのものになります。

それでは、御朱印・お守り・神札・団扇・置物をいただくことに。

予約承ります、と家用お守り。

デカい!

ちなみに我が家の兎の土鈴は、玄関に亀と並んでます。

ということで、卯年生まれの私をお守りくださいませ。

三尾神社でした。

続いて、お隣の三井寺を参拝しました。

続く・・・。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御誕生寺 猫寺 ~ 福井県越前市

2022年06月23日 | 神社・仏閣

6/19  福井県大野市を後にして高速を乗り、武生ICを下りて越前市へ。

向かった先は、曹洞宗の御誕寺というお寺。

御本堂。

ここをお詣りしたのは、理由があります。

これもまた猫好きのTさんのためです。

ここは、猫寺と言われていて、行き場のない猫や病気の猫たちを引き取っておられます。

以前は、100匹ほどもいたらしいですが、引き取ってくださる方もあり、今は20匹くらいでしょうか。

たまたまでしたが、15時半少し前に着きました。

15時半から食事の時間です。

お寺の方が準備されると、どんどん猫たちが集まってきます。

とにかく来ておられるのは、猫好きな方ばかり。

実のところ、私は猫は・・・。

そのため、遠目で見ていました。

どちらかというと、犬の方が・・・。

いや、亀さんでも・・・。

招き猫なら・・・。

ということで、御朱印は頂戴いたしました。

それでは、猫寺でした。

さて、これからが主たる目的のback numberのコンサート。

あちこち行き、それと暑すぎたので、ちょっとお疲れ気味。

いや、そんなことを言って場合ではなし。

サンドーム福井へと向かいます。

ということで、福井のあっちこっちのお話は終了です。

では・・・。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平泉寺白山神社 ~ 福井県勝山市

2022年06月21日 | 神社・仏閣

6/19  福井県勝山市 平泉寺白山神社へ行ってきました。

とにかく暑い日でした。

印象としては、クタクタ。

いや、とっても良かったです。

それでは、ご案内しましょう。

 

平泉寺白山神社は、福井県勝山市平泉寺町に位置する、由緒ある神社です。

717年に、泰澄(たいちょう)によって開かれたといわれています。

平泉寺白山神社は、石川県、福井県、岐阜県にまたがる霊峰白山を信仰対象とした、「白山信仰」の聖地です。

最盛期である室町時代の後半には、48社、36堂、6千坊、僧兵8千人要する、白山信仰の巨大拠点として栄えました。

戦国時代には一向一揆により全山が焼失してしまいますが、その後見事復興。

そして明治時代になると、神仏分離令により神社として分離独立し、現在に至ります。

 

まずは、参道の入り口に「東尋坊跡」の石碑。

東尋坊跡の石碑。東尋坊は白山平泉寺の坊だ。

有名な東尋坊。

それでは、進みます。

この石段、そして一の鳥居、感動ものです。

会釈してくぐります。

この苔と杉の中をゆっくりと登ります。

この日は、暑い日でしたが、雨上がりの後ですと、この苔ももっといい感じだと思います。

八幡神社。

御手洗池へ。

お告げを受けられた池です。

神秘です。

平泉寺の名前の由来になっている霊地です。

御神木

御手洗の池前の石橋。

二の鳥居です。

屋根が付き、扁額には「白山三所大権現」と書かれています。

そして、奥に拝殿が佇んでます。

周りは杉と苔むした境内。

拝殿を周りこんで奥へ。

そこに本殿があります。

狛犬

あちこちに小石が積まれています。

何か意味があるでしょうか?

本殿前は、どっさり。

参道には、ちっちゃく。

苔の生えた石垣が続きます。

こちらは、楠木正成のお墓。

三ノ宮。

安産の神様らしいですが、一応お参りを。

この三ノ宮の裏手には、白山へと続くであろう禅定道。

ただ、今は熊危険。

開山社。

泰澄大師が祀られています。

それでは、戻ります。

実は、まだまだ見どころがたくさんあります。

しかし、スケージュールの都合で今回はこの辺で。

社務所へと戻ります。

こちらで御朱印を頂戴します。

書置きです。

社務所から出たところで、ほら貝の音が聞こえてきました。

修験者のようないでたちですが?

ほら貝を鳴らしながら登られていきました。

平泉寺白山神社でした。

今までお参りした神社とは、ちょっと雰囲気が違うところでした。

いいですよ。

それでは、大野へと向かいます。

続く・・・。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都御所西 足腰の守護神 護王神社

2022年02月15日 | 神社・仏閣

朝から病院受診。

持病の糖尿病は、専門外来へ受診するようになり、今回で4回目。

1週間ごとに血糖値の経過を診ています。

今のところ、順調に推移しており、薬調整も進んでいます。

このまま、頑張る所存。

さて、受診後に出かけました。

京都です。

オミクロンが猛威を振るっているため、サッと用事を済まします。

どこへ行ったかというと、京都御所 あの蛤御門の近くにある「護王神社」です。

以前から数度お詣りしています。

ここは、足腰の守護で有名です。

なぜ、ここをお詣りしたかというと、非常に親しい知人が1か月ほど前から、椎間板ヘルニアを患いました。

急に症状が現れ、それも激痛です。

トイレへ行くこともままならず、毎日苦しんでいるとのこと。

最初は、町医者に坐骨神経痛と診断され、痛み止めで対応でしたが、全く治まらず、

大きな病院へ受診し、MRI検査の結果「椎間板ヘルニア」と判明。

手術が必要とのこと。

ただ、手術にはリスクが伴います。

万が一、神経を傷つけたら、半身不随・・・。

そんな恐怖が・・・。しかし、日常生活に支障をきたす、激痛が続くなら、手術しか道がない。

家族の方とよくよく話し合って決めるように。

そこで、私のできることは、神頼み。

そのため、護王神社をお詣りした次第。

手水は、センサーで水が出ます。

ホンマにどこもかしこも感染対策であります。

ご本殿でしっかりと祈願。

そして、その隣にも足腰守神。

ここは、イノシシ🐗にご縁があります。

そのため、イノシシ神社とも呼ばれています。

それでは、神社の説明。

主祭神

和気清麻呂公命(わけのきよまろこうのみこと)

和気広虫姫命(わけのひろむしひめのみこと)

護王神社には、足腰守護のご利益を求めて、足腰の難儀でお悩みの方やスポーツ選手をはじめ、お子様からご高齢の方まで全国から多くの参拝者がお越しになります。
次のようなご祈願をご希望の方は、ぜひ護王神社にご参拝ください。

足腰の病気・けが平癒
足腰の病気やけがの早期回復や緩和のご祈願

ということですので、知人の為の代参をしてきました。

そして、御朱印を頂戴しました。

それと、足腰の神札。

イノシシのおみくじ。

これを知人に届けます。

ここには、日本一のさざれ石。

参拝をサッサと終えて、京都を離れました。

途中で高速に乗り、瀬田方面へ。

大津のSAで、遠く次男のマンション方向を眺めてお昼ご飯。

「京風ラーメンとカレーのセット」

ちょっと不似合いな感じ。

こちらもサッサと食べてSAを離れます。

当直したのがフォレオ一里山の宝くじ売り場。

人気の売り場ですので、絶えず人が並んでいました。

ここで、絶対に当たる「バレンタインジャンボ」を購入しました。

3億円!

頼んまっせぇー!

ということで、サッサと帰宅。

神符等は、知人の奥さんへ届けておきました。

それから、ウォーキングへ。

雲行きが怪しい。

7キロ付近で、雨が降りだして、ボトボト。

実に悲しい。

しばらくして止みましたが、がっくりとの9.25キロでした。

あわただしい一日でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

須部神社 ~ 恵比寿大神 福井県若狭町

2022年01月11日 | 神社・仏閣

毎年、この時期に参拝するのが「恵比寿神社」。

大阪の今宮戎神社や京都のゑびす神社のような有名な神社にも参拝していましたが、

コロナが感染拡大期であり、都会はやはり敬遠します。

そこで、福井県若狭町にある「須部神社」通称 若狭ゑびすへ行ってきました。

ひっそりとした佇まいですが、途切れることなく参拝者が訪れています。

それも、滋賀県ナンバーの車が多いこと。

その他にも、金沢や京都などもありました。

それでは、雪が残る境内を進みます。

いつも私は、こちらの石像に一礼。

こんな大物が釣れますように・・・。

本殿でしっかりとお詣り。

続いて、昨年も求めました「ゑびすさまのおみくじ」

おみくじは、開けずにそのまま我が家の神棚にお祀りしてます。

それも、宝くじの横に・・・。

続いて、お守りです。

商売繁盛と言うと、私の仕事的には、ちょっと違和感がありますので、とにかくこちら。

釣りでの大漁祈願守と仕事守です。

ここでは、こんなお守りもあります。

女子力アップです。

奥さんに勧めましたが「今更・・・。」との返答でした。

それと、必ず買って帰るのが、「えびす飴」。

素朴な味です。

そして、御朱印です。

どこにも表示はなかったのですが、尋ねて

きれいな字です。

ということで、福井県若狭町にある須部神社 えべっさんでした。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天台宗 比叡山 延暦寺 一隅を照らす

2022年01月09日 | 神社・仏閣

1/8  厄除け祈願のため、京都 石清水八幡宮をお詣りしてきました。

その後、ご飯を食べて、時間があるので、比叡山へ行きました。

まずは、比叡山ドライブウェイへ。

ドライブウェイを登っていくと、展望駐車場があり、しばし下界を眺めます。

こちらは、大津プリンスホテル・近江大橋方面です。

次男一家が暮らすマンションも見えます。

そして、こちらは、京都市街。

残念ですが、霞んでいて、京都御所くらいしか判別できず。

それでは、東塔地域です。

いい天気でポカポカ陽気でしたが、こちらまで登ってくると3℃。

雪も解けていません。

駐車場からです。

まずは、大講堂。

奥さんは、娘のために「数珠」を買いました。

女性用は、いろいろと種類があり、おしゃれです。

隣にある鐘楼。

絶えず「ゴ~~ン」と鳴り響いています。

一突き50円です。

私と奥さんも突きました。

いい響きです。

坂を下りていきますと、根本中堂(国宝)です。

現在は、改修工事中。

10年工期であと4年ほどかかる予定です。

それでは、中へ。

もちろん中は撮影禁止。

こちらは、ネットから借用。

1200年以上、灯し続けられている「不滅の法灯」

薄暗いお堂の中で、しばし眺めていました。

眺めていると、心に震える何かを感じました。

重みがある灯りです。

比叡山延暦寺の東塔巡り!心震える根本中堂「不滅の法灯」の魅力 ...

そして、御朱印をいただきました。

それから、大黒堂へ。

伝教大師最澄が比叡山へ登った折、この地において大黒天を感見したところであり、

日本の大黒天信仰の発祥の地と言われています。

本尊の大黒天は、「三面出世大黒天」と言われ、大黒天と毘沙門と弁財天が一体になった姿をしています。

そして、文殊楼。

文殊楼は高い石段を隔て根本中堂の東側にあります。

延暦寺の山門にあたり、徒歩で本坂を登ってくると、まずこの門を潜ることになります。

慈覚大師円仁が中国五台山の文殊菩薩堂に倣って創建したものですが、

寛文8年(1668)に焼け、その後建てられたのが現建築です。

根本中堂の正面から眺めるとこんな感じ。

それでは、延暦寺参拝はここまで。

今回は、東塔地域だけでしたが、西塔・横川などもっともっとあります。

ちなみに西塔地域は、私の宗派 浄土真宗を開かれた親鸞さんも修行されたところです。

また、あの弁慶もこの地域で暴れていました。

興味がありますが、また次の機会とします。

ドライブウェイを進み、白鬚神社方向を眺めます。

それでは、今年の「比叡山から発信する言葉」を紹介します。

だいひまんぎょう  すべての行いは大悲から

大悲とは、仏さまが常に人々を見守り、苦しみを取り除き安心を与えて下さる御心のこと。
 私たちにも具わる仏心に目覚め、利他の行ないに努めましょう。

ということです。

 

そこで、私が機会があると紹介する言葉があります。

以前に「ぼちもち」でも載せていました。

それは、「忘己利他  もうこりた」です。

くわしくはこちら。

忘己利他(もうこりた)

 
「悪事を己に向え 好事を他に与え 己を忘れて 他を利するは 慈悲の極みなり」

 悪事というのは「わるいこと」というのではなくて、人の嫌がる仕事、手間暇のかかる仕事などであります。好事というのはその反対で、やりやすい仕事、苦労のいらぬ楽な仕事、誰にでもすぐにできる仕事であります。この言葉は「しやすい仕事を他の人にまわし、自分は骨の折れる仕事を、自ら進んで引き受けてやる心がけを持って他人のことを思いやること」の出来る人、相手を喜ばすことの出来る人を仏教では「菩薩」というのです。
 宮沢賢治の「雨ニモマケズ風ニモマケズ」のようなへりくだった態度、常にやわらかな心で、自分を勘定に入れないで世のため人のために、自分のことよりもまず相手のことを思いやる心を持っている人、相手の幸福を願わずにはおれないとという菩薩のような心を持っている人、「先度他身自度」の教えであります。人を幸せにしたい、自分は最後でいいんだ、他人の幸福を願わずにはおれない、これを菩薩の行願といいます。菩薩の生き方は、「上は菩提を求め、下は衆生を教化す」ともいわれますが、利他行に励む人です。

 「人の身を渡し渡して 己が身は 岸にあがらぬ 渡しもりかな」

 仏の教えは慈悲と智慧です。慈とはいつくしみの心であり、人々の幸せを願う心です。悲というのは、人々の声にならないうめき声を聞きとり、救わずにはおれないという心であります。会社や地域の為に笑顔を忘れず、生き甲斐をもって混沌とした世相を「もうこりた」と言わずに、少しでも自分の周りが明るくなるように一人ひとりが努力精進して社会に奉仕して行くことが、己を忘れて他を利する菩薩行になるのではないでしょうか?
 また布施を行うに当たって、施者・受者・施物すべてが自分を忘れて他の為になるように心がけることができたとき、はじめて功徳が生じるという教え(三輪清浄)もあります。つまりしてやるのではなく、させていただくという清らかな心が大切なのではないでしょうか。

 「施そう 真心こめて 惜しみなく」
 

難しいですが、忘己利他(もうこりた)の精神を少しでも心がけていければと思います。

最澄さん、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

厄除け祈願 石清水八幡宮 ~ 京都八幡市

2022年01月08日 | 神社・仏閣

今日は、とても良い天気になりました。

それに比べて昨日の猛烈に風と寒さは何だったのだろう。

そんなひどい日に釣りへ行き、おかげで風邪をひいてしまいました。

昨日釣りから帰ってからは、鼻水が・・・。

だれも同情してくれず、自業自得であります。

さて、良いお天気に京都へ行きました。

京都市八幡市 男山 石清水八幡宮です。

ここは、厄年にお参りしています。

今年は、私は数え年で60歳、還暦前厄となります。

そのため、厄除け祈願であります。

それでは、本殿までケーブルは使わず、徒歩で登っていきます。

なだらかな坂道から始まり、あとはなだらかな石段。

まだまだ石段。

これが、マスクをしてなので大変息苦しい。

途中で、石垣発見。

源氏の八幡太郎義家や足利尊氏などとゆかりがあります。

なるほど・・・。

と言っていると、やっと三の鳥居。

本殿が見えるところまでやってきました。

こちらは、お百度石。

南総門です。

門をくぐると、本殿です。

詳しくはこちら。

やわたのはちまんさん〟の名で親しまれる石清水八幡宮

〝やわたのはちまんさん〟と親しまれる当宮が御鎮座する八幡市・男山は、木津川・宇治川・桂川の三川が合流し淀川となる地点を挟んで天王山と対峙する位置にあり、京・難波間の交通の要地であります。

また、南北朝時代の大小様々な戦い、羽柴秀吉と明智光秀の天王山の合戦などで知られる政治上の重要な拠点でもありました。

男山は都からみて裏鬼門(南西の方角)に位置し、鬼門(北東の方角)に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社として篤い崇敬を受けてきました。
この経済上、政治上、そして信仰上の要の地に御鎮座され、日本を平和と繁栄に導く神として多くの人々に崇敬され、八幡大神様を祀る神社は全国津々浦々に数万社あるともいわれています。

当宮の御祭神は御本殿中央に応神天皇様、西に比咩大神様、東に神功皇后様をお祀りしています。この御本殿に鎮まる三座の神々を総称して八幡三所大神(八幡大神)様と申し上げます。

 

厄除け参り

人生には人智では計り知れない運気の浮き沈みがあります。
その運気の変化の最も重要なものの一つに「厄年」があります。

「厄年」とは運気が下がり、災難や不幸が身に降りかかりやすい年のことであり、私たちの祖先はその長い経験と知恵から「厄年」を見出し、〝転ばぬ先の杖〟として神様にその年の無事を過ごせるよう祈願する「厄除け参り」という習わしを生み出しました。

都の裏鬼門を守護する国の守り神として男山に御鎮座されて以来、平安時代の平将門・藤原純友の乱や鎌倉時代の元寇など歴史上重要な出来事が起こるたび、朝廷より直々に石清水八幡宮にご祈願があり、そしてそれらの出来事が八幡大神様の御神威によって速やかに平定されたことなどの故事により、当宮の災厄を除ける神様としての御神徳は世に広く知れ渡り、数多くの古典に記されているように毎年多くの人々が厄除開運を願い参詣されるようになりました。

 

というようなことで、今回の厄除け参りとなりました。

八幡御神矢について

古くからの武神、弓矢の神としての当宮への崇敬は、源氏一門の尊崇により、益々篤い信仰となっていきました。 八幡大神様の用いられる御矢は、破邪顕正・一発必中(邪悪な敵をうち払い、正しきを守り、狙った的に必ずあたる)の霊験(れいげん)あらたかな御神矢(ごしんや)として様々な奇瑞を顕し、多くの古典にも登場します。 その故事にちなみ、当宮では八幡大神様の御神威がこもった厄除開運・必勝・家内安全・商売繁盛の「おふだ」として授与しています。

神楽舞を受けて矢を授与されます。

ありがたや。

私も、八幡御神矢を受け取ってまいりました。

そのあと、お守りなどを見てから、御朱印を頂戴しました。

さて、下山です。

ここは、帰りも徒歩を選択。

結構疲れました。

昨日の釣りの疲れと鼻水と参拝の坂、苦行です。

頑張ったので、お昼はこちら。

天ぷらがウマし。

続いて、比叡山へ向かいました。

続く・・・。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宇土観音 弘誓寺 ~ 丹波篠山市

2021年12月07日 | 神社・仏閣

今日は、一日中雨です。

実は、H君と鯛のフカセ釣りへ行く予定でしたが、大荒れの天気で断念。

冬の日本海での釣りは、お天気が安定しないので難しいです。

さて、先日、丹波篠山へ行った際に、高速のICを降りて市街へ向かう途中、立ち寄りました。

宇土と言うところにある、「宇土の観音さん」で有名な弘誓寺です。

なぜ立ち寄ろうかというと、まぁ、別に理由なく観音さんをお参りする、でいいのですが、

実はここには大銀杏があります。

もう遅いだろうなぁ、と思っての立ち寄りです。

狭い集落内の道を進みます。

離合もできないところがいっぱい。

それでは、到着。

参拝の方は、途切れずポツポツ来られています。

山門をくぐります。

この山門には、室町期作の仁王様がおられます。

さて、大銀杏は?

やっぱり・・・。

12月に入ったら落葉していて当たり前。

見たかったのは、こちら。

もう一か月は、早く来ないとダメでした。

仕方ありません。

宇土の観音さんの説明はこちら。

「うどかんのん」「宇土の観音さん」として親しまれているお寺です。

大化・白雉年間に法道仙人によって開かれ、天地山極楽寺と言われていたとされています。

背景の山は槙が峰の頂上で、「槙が峰・千軒坊」と言われ、

たくさんのお堂が建ち並んでいたとされますが、寿永3年(1184)、

平家を追う源義経が通過した際、兵火で全山焼失しました。

ご本尊は滝に難をのがれて無事であったので再建され、

文明5年(1473)に曹洞宗になって清瀧山弘誓寺(せいりゅうざん・ぐぜいじ)と名を改められました。

本堂にはご本尊聖観世音菩薩がおまつりされています。

今の時期の本堂。

多宝塔は見事です。

中には、大日如来様が祀られています。

それでは、御朱印を頂戴して・・・。

ボタン鍋を食べに・・・。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 ぶらぶら散歩 ②

2021年10月08日 | 神社・仏閣

それでは、京都 ぶらぶら散歩の続きです。

ちなみにこれで終了ですので。

大きな通りに出て来ました。

御池通りです。

私は、このあたりに来たらどうしても参拝をしておかねばならない神社です。

「御金神社 みかねじんじゃ」です。

この金ぴかの鳥居を見れば、何を目的かお判りでしょう。

ここに参拝されている方の目的は一つ。

きっとそれは、「お金」。

この絵馬も打ち出の小づち型です。

それでは、しっかりしっかりしっかりとお参りします。

「どうか・どうか宝くじが・・・。」

御朱印を頂戴しました。

金です。

今回、一番念が入ったお参りを終えて進みます。

「二条城」です。

世界遺産です。

今回は、外観だけ。

そして、これからは、堀川を進みます。

堀川通り沿いの堀川です。

二条城の石垣にもなっています。

この堀川、結構長くて、一条まで続いてます。

信号もなく、車も通らないので、いいところです。

最終、一条戻橋を超えて、公園のところから道路へと上がりました。

ちなみに「一条戻橋」と言う意味は、平安時代に死者が橋上で息を戻して生き返ったという伝説からです。

他にも、様々な伝説があるようです。

この説明書きがあった付近から、暗い公園みたいなところへとなり、微妙に気持ちが悪い。

そのため、写真は無しです。

そして、訪ねたのが「清明神社」。

そうです、陰陽師の安倍晴明の邸宅跡です。

清明井。

清明井の説明にあるように、千利休の邸宅もここにありました。

こちらが安倍晴明さん。

衣の下で印を結び天体を観測されているらしいです。

それでは、本殿をお参りします。

本での横にあるのが、厄除桃。

桃は、魔除け・厄除けの果実と言われています。

しっかり撫でてきました。

陰陽道 安倍晴明神社でした。

御朱印を頂戴しました。

それでは、次へ。

「白峯神社」です。

こちらは、蹴鞠の宗家の飛鳥井家の邸宅跡で、蹴鞠の神様として、精大明神の神社があります。

だからサッカー関係者などの参拝が絶えません。

こちらの本殿の参り方です。

私も両手で持ち、わっさわっさと鳴らしました。

願い事は、「宝くじが・・・。」

続いて、この神社の脇を進むと、こんな看板が。

歴史で名が出てくる本阿弥光悦の屋敷があったところ。

今は、ビルですが、数百年前にここに・・・。

そんなことを思うと不思議な感じがします。

続いては、「妙覚寺」。

この門は、秀吉の聚楽第の門を移築したとのこと。

そして、次は「水火天満宮」。

小さなお社です。

ただ、この石がすごい。

雷雨の中、鴨川の石の上に菅原道真公の神霊が現れたが、僧が祈ると天に昇り、雷雨が静まった。

僧がその石を持ち帰って祀ったとのこと。

不思議だ。

そして、進みかけましたが・・・。

実は、このあたりでもう足が棒になってきました。

そのため、もっと西陣周辺を行きたかったのですが、断念です。

烏丸通りを目指して帰ることにしました。

途中に、後花園天皇の火葬場塚。

そして、初めてみました。

祇園餃子。

冷凍餃子店です。

近いと買って帰るのですが。

ということで、烏丸鞍馬口まで来ました。

もう、疲れ果てました。

地下鉄で京都駅まで行き、あとは湖西線で帰ることに。

うまくダイヤがつながり、鞍馬口から一時間ちょっとで自宅へ。

なんやかんやと壬生寺から歩いて、10キロです。

朝にウォーキングで10キロ歩いてからなので、トータル20キロはきつかった。

それでも、京都の街歩きは、いろいろと歴史に触れあえるので楽しいです。

次は、哲学の道・銀閣寺かな・・・。

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

京都 ぶらぶら散歩 ①

2021年10月07日 | 神社・仏閣

さて、今日は休み。

早朝は、やはりウォーキング。

実に涼しすぎる。

最初は、寒かったです。

朝の早くはスキッとしたお天気ではなく、曇り。

びわ湖は、穏やかです。

田んぼは、だいぶ刈り取りが終わってきました。

大きな農家さんのところが残っています。

こちらは、手前は、黒米。

確かに黒い。

ということで、早朝WALKは、10.13キロ。

気持ち良し。

帰ってからシャワーを浴びて、ちょっと休憩。

おばあさんは、高島市遺族会のグランドゴルフ大会らしく、出かけて行きました。

もちろん奥さんは仕事。

そこで、私もちょっと出かけよう。

行先は、こちら。

京都です。

一年ぶりくらいでしょうか。

京都もコロナが急減してきました。

今回は、車ではなく電車です。

車だと、ぶらぶら歩きをしても、また戻ってこなければいけないため。

京都駅から、タクシーでまずはスタート地点へ。

タクシーの運転手さん、「やっと2・3日前くらいからお客さんや修学旅行生が増えてきました。」

と、喜んでおられました。

観光都市京都、コロナで大変でしたので。

それでは、スタートはこちら。

「壬生寺 みぶでら」です。

入ってすぐのお地蔵様。

孫の成長を祈ります。

ここは、保育園や老人施設が併設されていて、今回も保育園児が運動会の練習をしていました。

それでは、お参りします。

本尊は、延命地蔵菩薩です。

ただいま、京都では、新選組の企画をされています。

数が限定らしいですが、新選組ファン方はお急ぎどうぞ。

こちらは、壬生大念仏狂言」の舞台。

新選組隊士もこの境内で訓練をしていて、狂言も見物をしていたらしいです。

それでは、御朱印をいただきます。

壬生寺を出て、すぐのところにあるのが「八木邸」。

ここを屯所として、新選組が誕生したところです。

ここの奥座敷で、筆頭局長の芹沢鴨が暗殺されました。

座敷の梁に刀傷が残っているらしいです。

興味をそそられますが、今回はパス。

続いても新選組の屯所の一つ、「旧前川邸」。

こちらは、山南敬介の切腹の場です。

それでは、散歩を進めます。

京都には、ホンマに神社やお寺があちこちにあります。

神社はオープンで気楽に入れるので、お参りします。

「元祇園梛神社」です。

この地を経て、八坂神社へ祭神が祀られました。

なかなかの由緒があります。

 

続いていきます。

こちらは、坂本龍馬好きの私はちょっと関心がありました。

「武信稲荷神社」です。

もちろんお参りをしましたが、気になっていたのがこちら。

樹齢850年の大きな榎(エノキ)です。

「えんの木」に通じることで、縁結びの神様でもあります。

それよりも、坂本龍馬です。

実は、竜馬の当時恋人のお龍の父が勤王家だったため、近くの「六角獄舎」に捕らえられていました。

そこで、竜馬とお龍はこの榎に登って獄舎内の父の安否を探ったとのことです。

その獄舎跡がすぐ近くにありました。

隣の山脇東洋の碑は、初めて死体解剖をしたところだったようです。

やっぱり京都は面白い。

住宅街にいろいろと歴史遺産があります。

続いてが、「二条陣屋」。

現在は改装中です。

現在も小川さんのお家で、表札が出ていました。

家が重文とは・・・。

それでは、住宅街から出ました。

「神泉苑」です。

二条城はすぐ近くです。

こちらの池では、歴代の天皇が遊ばれたとのこと。

その池の脇にあるのが、「歳徳神」。

恵方社です。

どっちが南南東?

と、思いましたが、社の向きが毎年恵方の方向に変えられているようです。

方角を変えるというのは、日本でここだけとのこと。

さて、私が気になっていたのがこちらの橋。

「法成橋」で、一つの願い事念じて渡ると叶うと言われてます。

私は、「宝くじが・・・。」

ここでも御朱印をいただきました。

京都の狭い路地を進んでいると、いろいろなお店があります。

こちらは、お菓子屋さん。

ということで、京都 ぶらぶら散歩 ①でした。

ホンマにぶらぶらしてました。

続く・・・。

 

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 寂光院 ~ 京都市左京区大原

2020年11月16日 | 神社・仏閣

それでは、京都大原の御朱印巡りの最後は、寂光院です。

ここ大原の里は、ホンマに山間の田舎。

三千院からのんびりと「大原女の小径」を歩きます。

この日は、とても暖かくなり、歩きやすかったです。

それでは、受付です。

ここで、拝観料を納めて、御朱印もお願いしました。

参道の石段を登ります。

以前、初夏のころに来ましたが、その時も木々の緑がとてもきれいでした。

好きな場所です。

石段を登りきると、山門です。

趣のある庭園です。

回遊式の四方正面の池と言われてます。

こちらの庭園は、平家物語当時のままとのこと。

建礼門院や後白河法皇も眺められた・・・。

本堂には、六万体地蔵尊が祀られています。

とにかく平成12年に馬鹿なやつが放火し、本堂とともに焼失してしまいました。

実に残念です。

それから、西門から出ますと、建礼門院庵跡があります。

建礼門院が使われていた井戸。

ちなみに建礼門院徳子は、平清盛の娘で、高倉天皇の中宮。

壇ノ浦の戦いで滅亡した平家一門とその戦いで入水し亡くなったわが子の安徳天皇の菩提を弔うため、

終生この大原で過ごされました。

寂光院の近くにある建礼門院大原西陵もお参りしてきました。

寂光院周辺は、とても静かで趣たっぷりの里です。

そして、尼寺・悲劇の建礼門院ゆかりの寺ということもあり、女性が多かったです。

その他は、ご夫婦。

私のようなおじさん一人は、ほとんど見かけませんでした。

まぁ、仕方なしですが。

御朱印です。

 

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

御朱印巡り 勝林院(問答寺) ~ 京都市左京区大原

2020年11月15日 | 神社・仏閣

今日も、いいお天気となりました。

こんな日は、もちろん早朝RUNです。

しかーーーーし、最近足が痛い。

走ると、右足首に痛みが出てきます。

疲労によるものか?

とにかく、ホンマに傷めるとダメなので、WALKにしておきます。

WALKでも、早歩きのため、早朝で冷え込んでいても、じんわりと汗が出ます。

この時期の朝、空気感がとても気持ちがいい。

冷たい空気の中で穏やかな琵琶湖。

セイタカアワダチソウもいよいよ終わり。

一昨日からずっとおられる感じのこの車。

アウトドアが苦手な私ですが、楽しそうな軽バンです。

ということで、WALKになりましたが、気持ち良しの10.03キロでした。

 

それでは、御朱印巡りの続きです。

一昨日、参拝した三千院の近くにある「勝林院」へ行きました。

途中の道も風情があります。

勝林院。

ここは、大原問答で有名なところです。

この大原問答、ちょっと知っておくと面白いですし、法然上人は偉い人だなぁ、と再認識します。

詳しくは、こちらをポチッ。

     👇

https://true-buddhism.com/history/ohara/

ちなみに我が家は浄土真宗 大谷派。

法然上人のお弟子さんにあたる親鸞聖人が開祖です。

ということで、私も他力本願、南無阿弥陀仏であります。

それでは、勝林院です。

こちらが本堂の阿弥陀堂。

こちらの阿弥陀如来さんは、大原問答の際には、手から光明を放ち、極楽往生の証拠を示されたとのこと。

ありがたや。

そして、お堂の中には、声明(しょうみょう)が流れています。

仏教の儀式音楽ということらしく、お経とはちょっと違います。

お参りをさせていただき、境内を散策。

そんな広くはないので、サラッと回れます。

入口のところに受付があり、入るときに御朱印の方も依頼をしておきました。

そして、戻ってきたところ、まだできておりません。

とにかく次から次へと参拝者が訪れ、拝観料等もここですので、てんやわんや。

受付内には、おじいさんとおばあさん、失礼しました、ご夫婦かな?

とにかく必死で対応されています。

私は、事情を察知し、いやいや、大丈夫ですよー、と声をかけて待っていました。

コロナのこともありますが、ここではすべてその場で手書きです。

頑張ってくださいませ。

近くに後鳥羽天皇の陵がありましたので、お参りしてきました。

この方も、歴史上、何かと興味深い方で、波乱万丈の人生を送られています。

続いては、大原の里をのんびりと歩いて、次の目的地へ。

続く・・・。

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする