小学校の子供たちは、なんと純粋なのだろう。
「質問ありますか」
ときくと、多くの手があがる。
時にはトンチンカンな質問もあるが、中には的を得た質問もある。
「ロボットはどのくらいのパワーで動くのですか」
聞かれたほうが思わずびっくりする。
今回は、手作りで透明度板を制作した。
まずロープの結び方。
もやい結びを学ぶ。
大人でもうまくできない。
子供と大人による共同制作だ。
不思議に思うことがある。
こんなに純粋な子供たちが、いつ頃から無口になり、無関心になり、質問しなくなるんだろうか。
最近、二人の高校生と個別に話す機会があった。
共に県内の進学校に通っている。
一人は二年生で、クラブ活動にのめりこんでいる。
話をしていてもはっきりしない。
何のために学ぶのかという目的意識がない。
もう一人は三年生で、受験したい大学を確定している。
将来の仕事のことも考えている。
すべてに熱心だ。
二人の違いはどこから来たのだろうか。
家庭環境か、学校指導か。
一番大人がしてはいけないことは、価値観の押しつけだと思う。
教科書に書かれていることがすべてではない。
行の間に書かかれた未知の世界への興味を教えてほしい。
できれば無邪気な小学生の、輝くばかりの好奇心が失われない教育をしてほしいと思う。
大人が子供の芽を摘み、可能性をなくしていくことは、結果的に国家や人類の損失につながる。
びわ湖における環境教育を通して、こうした人格形成にも貢献できたらよいと思っている。