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クマガイソウ・3~奥高尾

 NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』では、源義経が一の谷、屋島と勝ち進みついに壇ノ浦で平家を滅ぼした。ドラマの主人公は第二代執権北条義時なので源平合戦の様子がごく短くなるのは仕方がない。『平家物語』によれば一の谷の戦いでは源氏方の武将の熊谷直実が義経とともに鵯越を逆落としに下り、波打ち際で平家方の若武者の平敦盛を一騎打ちで討ち取った。
 写真は奥高尾の林内に生育している「クマガイソウ(熊谷草)」。ラン科アツモリソウ属の多年草で、この袋状の花を昔の武士が背負った母衣(ほろ)に見立て合戦で源氏の白い旗を掲げて戦った熊谷直実の名を当てている。一方、同属の赤いアツモリソウは赤い旗を掲げて戦った平敦盛の名を当てている。
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ジャケツイバラ・4~萩原橋

 浅川“萩原橋”付近の河原に生育している「ジャケツイバラ(蛇結茨)」。マメ科ジャケツイバラ属のつる性落葉木本で花期は5~6月。花径2.5~3センチで花弁は5枚あり上の1枚がやや小さく赤い筋がある。雄蕊は5本で花糸は赤く雌蕊の柱頭も赤い。この日は浅川大橋付近の河原でもジャケツイバラの花を見掛けた。
 さて“萩原橋”だがこれは地名ではなく人名が由来になっている。明治10年(1877年)に現在の八王子市中野上町で萩原彦七が器械製糸工場を始めたが、ここは湧水に恵まれ桑畑が拡がり養蚕や撚糸が盛んに行われており製糸業には最適だった。しかし工場が出来た頃は浅川を渡るには板橋しか無く彦七は将来の商工業の発展のために大きな木造の橋を架けたいと願いほぼ全額を負担して明治33年(1900年)に完成した。彦七はこの橋は私有すべきものではないとして明治36年(1903年)に東京府に寄付し、その後昭和7年(1932年)に鉄筋コンクリートの橋になり平成2年(1990年)に補修されて現在の姿になっている。萩原橋の欄干には“蚕と桑の葉”や“糸車”など織物に関係したものが刻まれている。ちなみにこの橋を渡る秋川街道は八王子の中心を通りJRを渡って南下すると武田信玄の五女・松姫が出家し信松尼となって創建した信松院がある“松姫通り”になる。
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ハナグルマ

 浅川沿いの道端で見掛けた「ハナグルマ(花車)」。ツツジ科ツツジ属の落葉低木でモチツツジの園芸種。花弁がツツジのような筒状ではなく細長く裂けて“風車”のように見えることから名付けられている。モチツツジのように萼片や葉に腺毛があり触るとネバネバする。
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アゼナルコ・1~谷戸

 奈良ばい谷戸の湿地に生育する「アゼナルコ(畦鳴子)」。カヤツリグサ科スゲ属の多年草で草丈は50~70センチ。本州~九州の水田の畦や休耕田などに生える。小穂の長さは6~8センチで茎の上部から垂れ下がるものは雌雄があり茎の下部から垂れ下がるものは雌性になる。写真では右側の小穂の上部が細く褐色掛かっている部分が雄性部になる。
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