1923年4月に発表された短編推理小説です。
五万円(今の貨幣価値ならば、5億円?)強盗と暗号を組み合わせた本格推理物です。
知的な二人の青年の主人公や暗号などにポーやドイルなどの海外の推理小説の影響が感じられますが、暗号と点字の組み合わせや青年たちが生活に困窮しているあたりに、作者の新しいアイデアや当時の東京の世相が読み取れて興味深いです。
暗号の推理や五万円の横取りの過程はかなりご都合主義なのですが、最後のどんでん返しでアッと言わせます。
個人的に興味深いのは、この話が二人の青年の知恵比べだという点です。
かつて教養主義が健在だったころ(1970年ごろまで)は、「頭がいい」「教養がある」「知識が豊富」などは、日本でも人々の共通の憧れでした(学校の先生たちも敬われていました)。
高度経済成長時代になって、みんながそこそこ豊かに暮らせるようになると文化の大衆化が進み、読書を中心とした知的な事よりも、テレビを中心に手っ取り早く大衆に受ける方が重要視されるようになりました。
現在では、知的だったり教養があったりする人は敬遠されて(わかりやすい例で言うと、ポスドクたち(特に理系の基礎研究分野や文系)の悲惨な状況)、みんなに受ける人(わかりやすい例で言うと、お笑い芸人)の方が人気があり、経済的にも恵まれています。
五万円(今の貨幣価値ならば、5億円?)強盗と暗号を組み合わせた本格推理物です。
知的な二人の青年の主人公や暗号などにポーやドイルなどの海外の推理小説の影響が感じられますが、暗号と点字の組み合わせや青年たちが生活に困窮しているあたりに、作者の新しいアイデアや当時の東京の世相が読み取れて興味深いです。
暗号の推理や五万円の横取りの過程はかなりご都合主義なのですが、最後のどんでん返しでアッと言わせます。
個人的に興味深いのは、この話が二人の青年の知恵比べだという点です。
かつて教養主義が健在だったころ(1970年ごろまで)は、「頭がいい」「教養がある」「知識が豊富」などは、日本でも人々の共通の憧れでした(学校の先生たちも敬われていました)。
高度経済成長時代になって、みんながそこそこ豊かに暮らせるようになると文化の大衆化が進み、読書を中心とした知的な事よりも、テレビを中心に手っ取り早く大衆に受ける方が重要視されるようになりました。
現在では、知的だったり教養があったりする人は敬遠されて(わかりやすい例で言うと、ポスドクたち(特に理系の基礎研究分野や文系)の悲惨な状況)、みんなに受ける人(わかりやすい例で言うと、お笑い芸人)の方が人気があり、経済的にも恵まれています。