「フラニー」と「ズーイ」については、それぞれの記事を参照してください。
訳者は、このあとがきにおいて、それぞれの作品が発表された時の代表的な評価(「フラニー」については、当時のアメリカの大学生の風俗をとらえた描写、形而上的なフラニーと世俗的な恋人との絶望的な関係、音楽的な構成と進行など。「ズーイ」については、グラス家七人兄妹の関係性、長兄シーモァの絶対的な影響力、両親と兄弟たちの関係、フラニー救済のためのズーイの感動的な献身など)を簡単に紹介しています。
その中で気になったのは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が日本で紹介された時(1952年)の日米の風俗の違い(というよりは差)による翻訳の困難性が、1969年のこの本では日米の風俗が同じになって解消されているとしている点です。
実際には、その時点ではまだ日米の風俗(特にアメリカの裕福な家の子弟の風俗)との差はまだまだ大きく(もちろん、1952年と比べればかなり接近していたでしょうが)、この本が出版された時にはぼんやりとして分からなかった点(例えば「フラニー」におけるこじゃれたレストランでの細かい描写や「ズーイ」に出てくるスノードーム(本文では雪だるまと訳されています)の描写など)が、今回読むとたとえ本文で誤訳されていても類推できました。
私は1970年代に大学生だったのですが、フラニーたちの大学生活とは雲泥の差がありましたし、初めてアメリカで暮らした1980年代でもまだ日米の風俗には差がありました。
実感として、日米の風俗の差がほとんどなくなった(もちろん質的にはそれぞれ違いますが)のは、バブルの時代を経た1990年ごろではないでしょうか。
訳者は、このあとがきにおいて、それぞれの作品が発表された時の代表的な評価(「フラニー」については、当時のアメリカの大学生の風俗をとらえた描写、形而上的なフラニーと世俗的な恋人との絶望的な関係、音楽的な構成と進行など。「ズーイ」については、グラス家七人兄妹の関係性、長兄シーモァの絶対的な影響力、両親と兄弟たちの関係、フラニー救済のためのズーイの感動的な献身など)を簡単に紹介しています。
その中で気になったのは、「キャッチャー・イン・ザ・ライ」が日本で紹介された時(1952年)の日米の風俗の違い(というよりは差)による翻訳の困難性が、1969年のこの本では日米の風俗が同じになって解消されているとしている点です。
実際には、その時点ではまだ日米の風俗(特にアメリカの裕福な家の子弟の風俗)との差はまだまだ大きく(もちろん、1952年と比べればかなり接近していたでしょうが)、この本が出版された時にはぼんやりとして分からなかった点(例えば「フラニー」におけるこじゃれたレストランでの細かい描写や「ズーイ」に出てくるスノードーム(本文では雪だるまと訳されています)の描写など)が、今回読むとたとえ本文で誤訳されていても類推できました。
私は1970年代に大学生だったのですが、フラニーたちの大学生活とは雲泥の差がありましたし、初めてアメリカで暮らした1980年代でもまだ日米の風俗には差がありました。
実感として、日米の風俗の差がほとんどなくなった(もちろん質的にはそれぞれ違いますが)のは、バブルの時代を経た1990年ごろではないでしょうか。