また朝が来た。
芳樹は、やっぱりいつものように気分がすぐれなかった。胸がむかむかして、とても起き上がれない感じだった。今日も学校には行かれそうにない。
芳樹はベッドの中で、いつまでもぐずぐずしていた。
その時、ドアを控えめにノックする音がした。
「なに?」
芳樹がベッドの中から返事をすると、
「よっちゃん、ちょっといいかな」
とうさんの声がした。
(えっ?)
枕もとの目覚まし時計を見た。もう七時半を過ぎている。いつもなら、とうさんはとっくに会社にでかけている時刻だ。
「うん、なんだよ」
芳樹は、いつものように不機嫌な声を出してみせた。
「今日は熊谷のおばさんの葬式なんだけど、よかったら一緒に行かないかと思って」
とうさんは、ドアの向こう側から遠慮がちに言った。おばさんというのはおとうさんからみてなので、芳樹には大おばさんにあたる。おととい、老衰のために九十二歳で亡くなったことは、かあさんから聞いていた。
「うーん、どうしようかな」
芳樹は、枕を胸にかかえこんだ。芳樹が小学校低学年のころ、毎年夏休みに遊びに行った時に、大おばさんにはかわいがってもらっていた。
それに、どうせ今日もこれといってやることはなかった。
しばらく黙っていたが、
「……、じゃあ、行くよ」
と、とうさんに返事をした。
先月から、芳樹はまったく学校へ行かなくなっていた。いわゆる不登校というやつだ。
朝、学校へ行こうとしても、ベッドから起き上がることができなかった。無理して起きようとすると、気分が悪くなってしまう。
(学校へ行かなくては)
そう思うと、すっぱい液体が口の中にこみあげてくる。無理に起き上がると、吐いてしまいそうだ。
「よっちゃん、時間よ」
毎朝、部屋の外から、かあさんの遠慮がちな声が聞こえてくる。
「うーん」
どうしても起き上がることができない。芳樹はそのままベッドに横になっていた。
「どうする?」
しばらくして、かあさんがまたたずねてきた。
「無理みたい」
芳樹が答えると、
「ごはんはどうするの?」
「うーん、後で」
芳樹は、またふとんをかぶって眠り始めた。
学校へ行かないと決めると、なんだかほっとしたような気分だった。芳樹は安心して、またぐっすりと眠った。
芳樹ととうさんは、中央線で東京駅まで出て、そこで上越新幹線に乗り換えた。
熊谷までの停車駅は、上野と大宮しかない。新幹線は、あっという間に熊谷に着いてしまった。
駅前でタクシーに乗った。
「メモリアル彩雲までお願いします」
とうさんが運転手にいった。それが葬儀場の名前らしい。
「あんまり変わりばえがしないなあ」
車窓から見える市内の風景を見ながら、とうさんがつぶやいた。とうさんの話だと、浦和と大宮が合併してさいたま市ができて完全に埼玉県の中心になって以来、昔は県北部の中心地であった熊谷市はますますさびれているらしい。
葬儀場には、十分ぐらいで着いた。
入り口付近には、もう大勢の人たちが集まっている。
「やっちゃん、遠くからどうも」
芳樹たちがタクシーから降りると、喪服を着た美代子おばさんが声をかけてきた。芳樹のとうさんのいとこで熊谷のおばさんの子どもの一人だ。
「このたびはご愁傷様です」
とうさんが頭をさげている。
「あれ、おにいちゃんの方かしら?」
おばさんが、芳樹を見ながら言った。
「弟の芳樹。学校が休みだったから連れてきた」
とうさんが、うまく説明してくれた。まさか、芳樹が不登校になっているなんて、元気な小学生だったころしか知らないおばさんには、ぜんぜん想像できないだろう。
「あらー、大きくなっちゃって。おにいちゃんの方かと思ったわよ」
美代子おばさんは、大げさに驚いてみせている。
芳樹はとうさんに続いて、葬儀場に入っていった。
式場の正面に祭壇が飾られ、黒枠の額に入ったおばさんの写真が笑っている。
まわりにはたくさんの花が飾られて、両側にもたくさんの花かごが並べられていた。その中には、芳樹のとうさんの名前が書いてある花かごもあった。
「それでは、お別れをお願いします」
係りの人が、まわりを飾っていた花をちぎってお盆の上にのせた。それをみんなでお棺の中に入れる。大おばさんは、お棺の中でたくさんの花に囲まれた。
芳樹も、おとうさんと一緒に、花を一握り、お棺に入れた。
その時、初めて遺体と対面した。
死んだ人を見るのは、初めてではない。おじいちゃんの葬式の時に、おじいちゃんの死に顔を見ている。
でも、ほほのこけた大おばさんの顔はまるで骸骨のようで、ちょっと薄気味悪かった。
「それでは、これでお別れです」
係の人はそう言うと、お棺のふたを閉じた。美代子おばさんも含めた何人かの女の人たち、おそらく娘や孫娘たちだろう、が泣き出した。
「準備ができました」
しばらくして、係の人の声掛けでみんなは火葬室へ戻った。
そこには、すでに、熊谷のおばさんのお骨が拡げられていた。
係の人が、大事な骨の幾つかを、そばにいる美代子おばさんたちに説明した後で、二人一組になって、長い箸のようなものでお骨を拾い上げて骨壺に収めていく。
芳樹も、おとうさんと組になって、大きめの骨を骨壺に入れた。
「働き者だったから、高齢にもかかわらず骨がしっかりしているんだよ」
終わってから、おとうさんが芳樹にささやいた。
確かに、あんなに小さくしなびたようになっていたおばあさんだったのに、お骨は、骨壷に入りきれないほどだった。
「それじゃあ。精進落としの会場までは、マイクロバスで移動願います」
美代子おばさんの夫のヤマちゃんが、大きな声で火葬室を出たみんなに声をかけている。ヤマちゃんの顔を待ち時間に飲んだビールですでに赤かった。みんなは大きな声で話しながら建物外へ向かっている。
「さすが92歳の大往生のお葬式だねえ。ぜんぜん湿っぽい様子がないなあ」
とうさんが、隣で感心したように言った。
「92歳か」
芳樹もつぶやいてみた。14歳の芳樹から考えると、はるかかなたのことのようだ。そう思うと、ちょっぴりだけ元気をもらえたような気がしていた。
芳樹は、やっぱりいつものように気分がすぐれなかった。胸がむかむかして、とても起き上がれない感じだった。今日も学校には行かれそうにない。
芳樹はベッドの中で、いつまでもぐずぐずしていた。
その時、ドアを控えめにノックする音がした。
「なに?」
芳樹がベッドの中から返事をすると、
「よっちゃん、ちょっといいかな」
とうさんの声がした。
(えっ?)
枕もとの目覚まし時計を見た。もう七時半を過ぎている。いつもなら、とうさんはとっくに会社にでかけている時刻だ。
「うん、なんだよ」
芳樹は、いつものように不機嫌な声を出してみせた。
「今日は熊谷のおばさんの葬式なんだけど、よかったら一緒に行かないかと思って」
とうさんは、ドアの向こう側から遠慮がちに言った。おばさんというのはおとうさんからみてなので、芳樹には大おばさんにあたる。おととい、老衰のために九十二歳で亡くなったことは、かあさんから聞いていた。
「うーん、どうしようかな」
芳樹は、枕を胸にかかえこんだ。芳樹が小学校低学年のころ、毎年夏休みに遊びに行った時に、大おばさんにはかわいがってもらっていた。
それに、どうせ今日もこれといってやることはなかった。
しばらく黙っていたが、
「……、じゃあ、行くよ」
と、とうさんに返事をした。
先月から、芳樹はまったく学校へ行かなくなっていた。いわゆる不登校というやつだ。
朝、学校へ行こうとしても、ベッドから起き上がることができなかった。無理して起きようとすると、気分が悪くなってしまう。
(学校へ行かなくては)
そう思うと、すっぱい液体が口の中にこみあげてくる。無理に起き上がると、吐いてしまいそうだ。
「よっちゃん、時間よ」
毎朝、部屋の外から、かあさんの遠慮がちな声が聞こえてくる。
「うーん」
どうしても起き上がることができない。芳樹はそのままベッドに横になっていた。
「どうする?」
しばらくして、かあさんがまたたずねてきた。
「無理みたい」
芳樹が答えると、
「ごはんはどうするの?」
「うーん、後で」
芳樹は、またふとんをかぶって眠り始めた。
学校へ行かないと決めると、なんだかほっとしたような気分だった。芳樹は安心して、またぐっすりと眠った。
芳樹ととうさんは、中央線で東京駅まで出て、そこで上越新幹線に乗り換えた。
熊谷までの停車駅は、上野と大宮しかない。新幹線は、あっという間に熊谷に着いてしまった。
駅前でタクシーに乗った。
「メモリアル彩雲までお願いします」
とうさんが運転手にいった。それが葬儀場の名前らしい。
「あんまり変わりばえがしないなあ」
車窓から見える市内の風景を見ながら、とうさんがつぶやいた。とうさんの話だと、浦和と大宮が合併してさいたま市ができて完全に埼玉県の中心になって以来、昔は県北部の中心地であった熊谷市はますますさびれているらしい。
葬儀場には、十分ぐらいで着いた。
入り口付近には、もう大勢の人たちが集まっている。
「やっちゃん、遠くからどうも」
芳樹たちがタクシーから降りると、喪服を着た美代子おばさんが声をかけてきた。芳樹のとうさんのいとこで熊谷のおばさんの子どもの一人だ。
「このたびはご愁傷様です」
とうさんが頭をさげている。
「あれ、おにいちゃんの方かしら?」
おばさんが、芳樹を見ながら言った。
「弟の芳樹。学校が休みだったから連れてきた」
とうさんが、うまく説明してくれた。まさか、芳樹が不登校になっているなんて、元気な小学生だったころしか知らないおばさんには、ぜんぜん想像できないだろう。
「あらー、大きくなっちゃって。おにいちゃんの方かと思ったわよ」
美代子おばさんは、大げさに驚いてみせている。
芳樹はとうさんに続いて、葬儀場に入っていった。
式場の正面に祭壇が飾られ、黒枠の額に入ったおばさんの写真が笑っている。
まわりにはたくさんの花が飾られて、両側にもたくさんの花かごが並べられていた。その中には、芳樹のとうさんの名前が書いてある花かごもあった。
「それでは、お別れをお願いします」
係りの人が、まわりを飾っていた花をちぎってお盆の上にのせた。それをみんなでお棺の中に入れる。大おばさんは、お棺の中でたくさんの花に囲まれた。
芳樹も、おとうさんと一緒に、花を一握り、お棺に入れた。
その時、初めて遺体と対面した。
死んだ人を見るのは、初めてではない。おじいちゃんの葬式の時に、おじいちゃんの死に顔を見ている。
でも、ほほのこけた大おばさんの顔はまるで骸骨のようで、ちょっと薄気味悪かった。
「それでは、これでお別れです」
係の人はそう言うと、お棺のふたを閉じた。美代子おばさんも含めた何人かの女の人たち、おそらく娘や孫娘たちだろう、が泣き出した。
「準備ができました」
しばらくして、係の人の声掛けでみんなは火葬室へ戻った。
そこには、すでに、熊谷のおばさんのお骨が拡げられていた。
係の人が、大事な骨の幾つかを、そばにいる美代子おばさんたちに説明した後で、二人一組になって、長い箸のようなものでお骨を拾い上げて骨壺に収めていく。
芳樹も、おとうさんと組になって、大きめの骨を骨壺に入れた。
「働き者だったから、高齢にもかかわらず骨がしっかりしているんだよ」
終わってから、おとうさんが芳樹にささやいた。
確かに、あんなに小さくしなびたようになっていたおばあさんだったのに、お骨は、骨壷に入りきれないほどだった。
「それじゃあ。精進落としの会場までは、マイクロバスで移動願います」
美代子おばさんの夫のヤマちゃんが、大きな声で火葬室を出たみんなに声をかけている。ヤマちゃんの顔を待ち時間に飲んだビールですでに赤かった。みんなは大きな声で話しながら建物外へ向かっている。
「さすが92歳の大往生のお葬式だねえ。ぜんぜん湿っぽい様子がないなあ」
とうさんが、隣で感心したように言った。
「92歳か」
芳樹もつぶやいてみた。14歳の芳樹から考えると、はるかかなたのことのようだ。そう思うと、ちょっぴりだけ元気をもらえたような気がしていた。