「赤い船」は、明治43年(1910年)12月15日に刊行された小川未明のお伽噺集です。
同名の短編は、児童文学研究者の猪熊葉子(その記事を参照してください)によると、日本のお伽噺の第一人者であった巌谷小波が、将来の少年文学(児童文学と同義と考えていただいて結構です)が目指すべきであるとした「詩的お伽噺」または「情的お伽噺」を、初めて実現したとされる作品集の表題作にして巻頭作です。
現在の児童文学を読みなれた目で眺めてみると、ストーリーらしいものはいっさいなく、主人公の少女の、外国や音楽を憧れる気持ちを、平易な美しい文章(今の感覚ではバカテイネイすぎるように感じられますが)で綴った小品です。
しかし、昔話や講談のようなものしかなかった当時のお伽噺の中では、その時代の日本の子どもの気持ち(未明は本のまえがきで、「私が子供の時分描いた空想」「子どもの胸に宿れる自然の真情」と書いています)を描いた画期的なものだったようです。
未明がここに描いたような子ども像は、1950年代に当時新しい児童文学(狭義の「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください))を主張していた人たち(主なグループだった、古田足日たち「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派と石井桃子たち「子どもと文学」(その記事を参照してください)派の両方)から、たんなる観念に過ぎず「現実の子どもではない」と、激しく批判されました(詳しくは関連する他の記事を参照してください)。
しかし、彼らが言う「現実の子ども」もまた一つの概念に過ぎないことが、1980年に柄谷行人の「児童の発見」(その記事を参照してください)で批判されて、現在ではどちらの子ども像も、よって立つところが違うだけで等しく観念であると考えるのが一般的です。
同名の短編は、児童文学研究者の猪熊葉子(その記事を参照してください)によると、日本のお伽噺の第一人者であった巌谷小波が、将来の少年文学(児童文学と同義と考えていただいて結構です)が目指すべきであるとした「詩的お伽噺」または「情的お伽噺」を、初めて実現したとされる作品集の表題作にして巻頭作です。
現在の児童文学を読みなれた目で眺めてみると、ストーリーらしいものはいっさいなく、主人公の少女の、外国や音楽を憧れる気持ちを、平易な美しい文章(今の感覚ではバカテイネイすぎるように感じられますが)で綴った小品です。
しかし、昔話や講談のようなものしかなかった当時のお伽噺の中では、その時代の日本の子どもの気持ち(未明は本のまえがきで、「私が子供の時分描いた空想」「子どもの胸に宿れる自然の真情」と書いています)を描いた画期的なものだったようです。
未明がここに描いたような子ども像は、1950年代に当時新しい児童文学(狭義の「現代児童文学」(定義は他の記事を参照してください))を主張していた人たち(主なグループだった、古田足日たち「少年文学宣言」(その記事を参照してください)派と石井桃子たち「子どもと文学」(その記事を参照してください)派の両方)から、たんなる観念に過ぎず「現実の子どもではない」と、激しく批判されました(詳しくは関連する他の記事を参照してください)。
しかし、彼らが言う「現実の子ども」もまた一つの概念に過ぎないことが、1980年に柄谷行人の「児童の発見」(その記事を参照してください)で批判されて、現在ではどちらの子ども像も、よって立つところが違うだけで等しく観念であると考えるのが一般的です。
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