現代児童文学

国内外の現代児童文学史や現代児童文学論についての考察や論文及び作品論や創作や参考文献を、できれば毎日記載します。

最上一平 作 陣崎章子 絵「おかめひょっとこ」

2017-02-20 08:59:20 | 作品論
 簡潔な文章と迫力のある絵が、作品世界を鮮やかに読者へ伝えています。
 物語の所々で現れてくる「おに」は、「貧困、飢餓、戦争」などの近代的不幸を象徴しているのでしょう。
 夫の死を乗り越えて、たくさんの子や孫やひ孫や玄孫に囲まれて米寿のお祝いをしてもらっているみねは、これらの近代的不幸を克服して、大団円を迎えています。
 しかし、格差社会や世代間格差に苦しめられている今の子どもたちや若い世代(特に女性)にとっては、貧困は過去のものではなく現在の深刻な問題です。
 そうです。現代にも「おに」は生きているのです。
 さらに、少子化の現代では、今の若い世代は、みねおばあちゃんの米寿のお祝いのようなハッピーエンドも期待できません。
 そういった子どもたちが読むことを考えると、単純に懐古的な物語としてこの本を手渡すことはできないでしょう。

おかめ ひょっとこ
クリエーター情報なし
くもん出版
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

村中李衣「ごきぶり、空へ ― 守の場合」小さいベット所収

2017-02-19 09:41:17 | 作品論
 守は成績がクラスでも塾でも一番で、私立中学を受験する予定でした。
 しかし、心臓の具合が悪くて、ペースメーカーを埋め込む手術のために入院しました。
 守が入院することになっても、塾通いの仲間の正次や智志はむしろ成績が上がるので喜んでいるほどでした。
 そんな中、同じクラスのかおるだけは心配してくれています。
 守は個室に入っていますが、大部屋の同じくペースメーカーを埋め込んでいる幼女の加奈と知り合います。
 また、保母さんの指導で他の子どもたちとの勉強会も始まります。
 守の所へは誰も見舞い客がありませんでしたが、二か月たったころ、智志と正次がクラスメートが折った千羽鶴を持ってきました。
 一番大きな鶴はかおるが折ったものです。
 その晩、加奈がひどい発作を起こしました。
 みんなが心配している時に、病室にごきぶりが現れ守は殺虫剤をかけますが、ごきぶりは懸命に生きようとします。
 守はごきぶりをかおるの鶴に載せて、空へ飛ばします。
 五日ほどして、かおるが見舞いに来ると、守は加奈を膝に抱いて勉強をしていました。
 受験競争の中での殺伐した人間関係の中から、入院したことによって人間性を回復する守の姿を描いています。
 特に、殺虫剤をかけられたごきぶりが懸命に生きようとする様子を執拗なまでに描いた部分は鬼気迫るものがあって、発作と戦う加奈の姿に重ね合わせて、生きていくことの大事さを見事に表現しています。
 
小さいベッド (偕成社の創作(21))
クリエーター情報なし
偕成社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小川洋子「ビーバーの小枝」いつも彼らはどこかに所収

2017-02-19 09:39:15 | 参考文献
 亡くなった自分の本の翻訳家の家(もちろん外国)を訪ねた作家が、翻訳家の息子とその恋人ともに、今は亡き翻訳家を偲ぶ作品です。
 おそらく作家は小川自身で、実体験に基づくものと推測されます。
 いつもの小川の作品のフィクション性があまり感じられず、ノンフィクションのような味わいがあります。
 しかし、その翻訳家に対する小川の思い入れに読者はついていけません。
 児童文学の世界でも体験に基づいて書かれた作品はたくさんあり、その多くが他人には書けない世界でしょう。
 でも、この実体験というものは、両刃の刃のような気がします。
 体験を作家の内部でよく熟成させて創作しないと、小説としては不満足な物に終わる危険性をはらんでいます。
 この作品の描写は非常に美しく印象に残りますが、物語性が乏しいので物足りないのかもしれません。

いつも彼らはどこかに
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

橘玲「(日本人)」

2017-02-19 09:37:53 | 参考文献
 日本人を「国家」や「国民」という既成の枠組みからはずして、かっこに入れてみることにして明らかにすることをねらいとした日本人論です。
 著者があとがきで述べているように、自分自身の研究や考察ではなく、いろいろな人の研究や考察をつまみ食いして紹介した本です。
 ただ、作者はなかなかの博覧強記でまとめ方もうまいので読みやすく、いろいろな本の大事なところを知ることができて(もちろん著者というフィルターによってバイアスはかかっているのですが)、読んでみるとお得な感じです。
 著者自身が、ところどころにまとめを用意しているのでそれを以下に紹介します。

ここまでのまとめ(1)
・社会は「政治空間」と「貨幣空間」から構成されている
・政治空間>家族や恋人、友人や知人などの人間関係でできた共同体(政治の倫理)
・貨幣空間>他人同士がモノとお金のやり取りでつながる世界

 ライトノベルなどで「セカイ系」と呼ばれる分野では、上記の「政治空間(文学のことばでいうと中景)がなく、いきなり恋愛などの個人の問題(文学のことばでいうと近景)が、「貨幣空間」(文学のことばでいうと遠景)に結びついてしまいます。

・市場原理主義(グローバリズム)>貨幣空間が政治空間を侵食すること

ということは、「セカイ系」は「グローバリズム」が生み出したともいえるかもしれません。

・アンチ・グローバリズム>貨幣空間の侵食(市場の倫理)に対して、政治の倫理で対抗しようとすること

 最近の児童文学作品(例えば中脇初枝の「きみはいい子」(その記事を参照してください)など)では、過去の社会への回帰が主張されているものもあります。

・武士道>日本版の「統治の倫理」
・日本人>明治維新の後、西洋との接触によって人工的につくられた自画像(オリエンタリズム)

ここまでのまとめ(2)
・脳のOSは因果律(原因→結果)で、確率的な事象や複雑系の世界を処理できない
・進化論>生物はより多くの子孫を残すように進化してきた(子孫を残せなかった生物は淘汰された)
・進化心理学>ヒトのこころ(感情)は、より多くの子孫を残すように進化してきた(愛情など)
・男と女の生殖機能のちがいが愛し方のちがいを生む
・近親相姦の禁忌>オスがメスを獲得するには、他部族と交換するか、他部族から奪ってくるしかない
・女の交換>贈与・互報酬の文化
・女の略奪>”俺たち”と”奴ら”に集団化しての殺し合い(カニバリズム)
・「神」は脳のプログラムから偶然生まれた

ここまでのまとめ(3)
【農耕文明に特有のエートス(行動文法)の成立】
土地(なわばり)への執着→閉鎖性
全員一致での意思決定→妥協
分を守って生きる→身分制
循環的な世界観→非歴史性

【東洋と西洋のエートスのちがい】
アメリカ人のデフォルト戦略>自分を目立たせる
日本人のデフォルト戦略>他人と同じ行動をとる

【世界の把握の仕方】
西洋人>分類→個や論理の重視
東洋人>関係→集団や人間関係の重視

ここまでもまとめ(4)
・イングルハートの価値マップ
 日本人の「世俗指数は際立って高い」

・世界価値観調査
 日本人:家族や友人の期待に反しても”自分らしく”生きたい

・日本人は万葉のむかしから世俗の価値しか認めなかった
      ▼
・日本の社会は「空気(世間)」と「水(世俗)」でできている

・地縁・血縁を捨てた日本人
 「一人一世帯」という特異な文化(単身赴任、ワンルームマンション)

・たまたま出会った場所で共同体(イエ)を作る>学校・会社・ママ友
 ”無縁社会”は日本人の宿命

ここまでのまとめ(5)
・経済的なグローバリズム>自由貿易(市場原理主義)
・政治的なグローバリズム>リベラルデモクラシー(アメリカニズム)

・貿易とは国際分業のこと>自由貿易によって世界はよりゆたかになる
      ▼
・グローバリズム(自由貿易)はユートピア思想

【グローバルスタンダードとはなにか?】
      ▼
・古代ギリシアは退出自由なグローバル空間→弁論術(論理)とデモクラシー
・キリスト教の絶対神は「神々の闘争」を避ける工夫→グローバル宗教
・ギリシア文明(ヘレニズム)とキリスト教(ヘブライズム)の合体>近代の成立

・絶対王政に対抗する思想>自由・平等・デモクラシー
・国民国家>人類を啓蒙する軍事国家→帝国主義→さらなるグローバル化へ

ここまでのまとめ(6)
・政治哲学の四つの正義
      ▼
 ①リバリタリアニズム=自由
 ②リベラリズム=平等
 ③コミュニタリアニズム=共同体
 ④功利主義=進化論的な根拠を持たない正義

・意思決定の三つの方法
      ▼
 ①全員一致の妥協
 ②ルール原理主義
 ③独裁

・グローバルスタンダード(リベラルデモクラシー)>グローバル空間での絶対の権力
・アメリカは社会そのものがグローバル>グローバル空間化した世界での唯一の正義

ここまでのまとめ(7)
・前近代:無限責任>無責任→空虚な中心
      ▼
・連帯責任(中世のムラ社会)
・近代:有限責任>自己責任
         法(契約)の絶対性

・統治(ガバナンス)>責任と権限が一対一で対応すること
・会社統治(コーポレートガバナンス)>株主を「主権者」として統治構造を組み立てる仕組み

・みんなのための会社>誰も責任をとらない会社
      ▼
・呪術的な無限責任の世界

ここまでのまとめ(8)
・日本の政治 省庁連邦国家日本
 ①官僚内閣制
 ②省庁代表制
 ③政府・与党二元体制
      ▼
 省庁同士のなわばり争いで機能不全に

・日本の経済 一九四〇年体制=国家社会主義的な統制経済
 ①終身雇用と年功序列
 ②メインバンク制
 ③官僚支配
 ④補助金・交付金と社会保障制度
 ⑤農地改革と地主階級の消滅
      ▼
「改革」を拒絶する最大の守旧派=企業経営者と労働組合

ここまでのまとめ(9)
・先進国(日本・アメリカ・ヨーロッパ)では株価は上がらなくなった
 バブルの崩壊→中産階級の没落

・大停滞=「容易に収穫できる果実」を食べつくした
      ▼
 国家という「問題」を国家によって解決しようとする矛盾

・ネオリベ≒ネオコン>ポスト「福祉国家」の政治哲学
 リベラリズム=福祉国家は破綻している
 グローバルな正義=法の支配
  ▼
 世界思想

・ネオリベを超えていくものはなにか?

ここまでのまとめ(10)
【お金と評判】
・お金>限界効用が逓減
・評判>限界効用が逓増

・実名社会>ポジティブゲーム=できるだけ目立つようにする
・匿名世界>ネガティブゲーム=できるだけ目立たないようにする

【前期近代(大きな物語)から後期近代(小さな物語)へ】
・後期近代><私>中心主義の時代→ナンバーワンではなくオンリーワンへ
・再帰的近代><私>が<私>を参照する無限ループ→自己コントロール
・超越者のいない、世界でもっとも世俗的な日本人→後期近代の完成
  ▼
 自由のユートピアへ

 既存の様々な知見を巧みに現在の事象に当てはまる手腕はなかなかのものでしたが、もっとも世俗的な日本人が後期近代の先頭ランナーで自由のユートピアへ向かうという結論(著者の願い?)は、あまりに手前味噌で楽観的すぎて簡単には首肯はできませんでした。

(日本人)
クリエーター情報なし
幻冬舎


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グードルン・パウゼヴァング「スープはまだ温かかった」そこに僕らは居合わせた所収

2017-02-19 09:32:44 | 作品論
 ナチス・ドイツ下の記憶を、今は老年に達した人々が、若い人たちに語り伝える短編集の巻頭作品です。
 列車で居合わせた老婦人が過去を語る形で書かれています。
 ユダヤ人の家族が収容所へ送られていく様子を、周囲のドイツ人が無関心、いや楽しんでさえいた様子が克明に書かれています。
 たまたま連行されていったユダヤ人の家の鍵がかけ忘れていたために、ドイツ人たちによる(数年までそのユダヤ人家族と友人だった人たちが)あさましくも略奪していく様子が淡々と描かれています。
 主人公の少女(語り手の老婦人の若かったころ)も、母と兄弟たちと、ユダヤ人の家の食堂で急に連行されたためにユダヤ人の家族が残していった昼食を食べ始めます。
 ラストで母がスープを一口食べて「ああ、まだ温かいわ」といった言葉が生々しいリアリティを感じさせます。
 訳者の高田ゆみ子のあとがきによると、作者のパウゼヴァングは敗戦時に17歳の軍国少女だった自分と向き合うのに数十年の月日が必要だったそうです。
 戦争の被害者としてだけでなく、加害者でもあったことを語ることは勇気のいることですが、非常に重要なことと思います。
 日本の戦争児童文学では、ともすると原爆や空襲などの被害体験だけが強調されがちですが、この作品のように加害者意識を持った作品ももっと書かれる必要があると思います。

そこに僕らは居合わせた―― 語り伝える、ナチス・ドイツ下の記憶
クリエーター情報なし
みすず書房
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

辻原登「冬の旅」

2017-02-19 09:30:32 | 参考文献
 辻原の得意とする犯罪や刑務所を扱った作品です。
 一人の男が殺人者まで転落していく様子を、これでもかこれでもかと、執拗に追及しています。
 その過程で、辻原ならではの博覧強記ぶりを、犯罪、刑務所、異常性格、新興宗教、カルト教団、大阪の下町の広義の意味での風俗、性産業を意味する狭義の風俗、阪神大震災などに、存分に発揮しています。
 ストーリーや登場人物のリアリティといい、興味深い知識といい、骨太な一級のエンターテインメントに仕上がっています。
 このような本格的なエンターテインメントは(もちろんこの作品は暴力とセックスシーン満載なので子どもには無理ですが)児童文学の世界でもほしいのですが、今のお手軽本全盛の児童文学の出版状況では、純文学的児童文学と同様に子どもたちの手に届けるのは困難でしょう。

冬の旅
クリエーター情報なし
集英社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ピエール・ルメートル「その女アレックス」

2017-02-19 09:29:19 | 参考文献
 一級のミステリー小説です。
 被害者と加害者、追う者と追われる者が、何度も入れ替わり、複雑なプロットにおいて重層的な謎解きを堪能できます。
 また、登場人物たちのキャラクターも際立っており、現代におけるエンターテインメント作品の要件を十分に満たしています。
 お手軽なエンターテインメント作品全盛の日本の出版界とは、明らかに一線を画しています。
 児童文学の世界でもこういった重厚なエンターテインメントが生まれるのを祈りますが、現在の子どもたちの読書力を考えるとあまり売れそうにもないので、出版は難しいかもしれません。

その女アレックス (文春文庫)
クリエーター情報なし
文藝春秋
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

綿矢りさ「ひらいて」新潮2012年5月号所収

2017-02-19 09:28:08 | 作品論
 高校三年生の私は、クラスメイトの「たとえ」という変わった名前の男子に片思いをしています。
 しかし、「たとえ」は美雪という糖尿病にかかっていて人前でインスリンを注射する風変わりな女子と、中学時代からひそかに付き合っています。
 二人の関係に気が付いた私は、強引に美雪に接近し、同性愛の関係を持ちます。
 こうして、三人の奇妙な三角関係が始まります。
 父親に迫害されている「たとえ」は、猛勉強して東京の最難関大学に合格して町を脱出します。
 美雪も、「たとえ」について東京へ行くことになります。
 私もそんな二人についていくことを決意して、この奇妙な三角関係がこれからも続いていくことが暗示されます。
 作者の特長である優れた描写力や、偏執狂的な人物設定はこの作品でも不思議な魅力になっています。
 純文学的な優れた文章表現や作者としては冒険的な同性愛の描写はありますが、登場人物の年齢や題材はヤングアダルト向けの児童文学といってもおかしくありません。
 もっとも平易な文章の読みやすい作品ばかりに慣れているヤングアダルトの読者(実際は大人の女性が中心ですが)にとっては、やや純文学過ぎて読むのに咀嚼力を要求されるかもしれません。
 しかし、それにしても、この作品だけでなくこの作者の作品はどうして恋愛だけに固執するのでしょうか。
 もっと社会的になれとまでは言いませんが、高校生たちを取り巻く今日的な状況が少しも描かれず、オーソドックスな学園風景(現代的にアレンジはされていますが)の中での恋愛関係だけでは(同性愛も含めてかなりひねってはありますが)、読んでいて物足りません。
 また、「たとえ」の父親や主人公の両親の描き方が表面的で中途半端な印象を受けます。
 これらは、おそらく作者が高校生でデビューして早稲田の学生の時に芥川賞を取るといった純粋培養された作家なので、社会経験が乏しいためと思われます。
 こういった面では、デビュー作のころからあまり成長がみられないように思えます。
 また、作品が2012年に発表されているのに、東日本大震災や原発事故などによる生きていくことへの不安感や、格差社会、世代間格差などによる若者たちの生きづらさがまるで作品に影を落としていないのは、純文学としては全く物足りません。
 おそらくこういった恋愛物の方が読者(特に女性読者)には受けるので、編集者から要求されて書いているのでしょうが、だんだんこの才能ある作家が平凡なエンターテインメントの書き手に変化していくのが残念です。

ひらいて
クリエーター情報なし
新潮社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウルズラ・ヴェルフェル「ぶす」灰色の畑と緑の畑所収

2017-02-19 09:25:51 | 作品論
 年の離れた姉妹や兄弟の場合、一方的に姉や兄が我慢させられ、妹や弟がどんどんわがままになるのは、どこの国でも共通のことでしょう。
 この作品の場合は、調子に乗りすぎた妹が、姉の大事な物を壊してしまい怒りをかいますが、かわいらしい反省の仕方に姉は自制します。
 まあ、これもよくある話で、紙数も少ないので、物語としてはあまり面白くありません。

灰色の畑と緑の畑 (岩波少年文庫 (565))
クリエーター情報なし
岩波書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オオカミなんかこわくない

2017-02-19 09:19:02 | キンドル本
 主人公の友だちの佐瀬くんは、小柄でやせっぽちなので、ヤセくんと呼ばれています。
 ヤセくんは運動は苦手なのですが、がんばりやです。
 主人公の通う学校で学芸会が行われます。
 学芸会の出し物について、主人公のクラスでは男子と女子が対立します。
 けっきょく、そのクラスだけ、特別に男女別々の出し物をやることになりました。
 女の子たちは、シンデレラをやります。
 男の子たちは、三匹のコブタをやることになりました。
 三匹のコブタでは、クラスで一番痩せているヤセくんにハラペコオオカミの役をさせました。
 女子のシンデレラは大成功でした。
 一方、男子の出し物の評判は良くありませんでしたが、ヤセくんの演じたハラペコオオカミを棒に縛り付けてぶらさげるところだけは、観客に少しうけました。
 そのため、学芸会の後でヤセくんを捕まえて縛り上げる遊びがはやってしまいます。
 そして、そのはずみで、主人公たちはヤセくんを怪我させてしまいます。
 主人公たちは、先生にこっぴどく叱られます。
 ヤセくんの病室をお見舞いに訪ねた主人公たちが見たものは?

(下のバナーをクリックすると、2月23日まで無料で、スマホやタブレット端末やパソコンやキンドルで読めます。Kindle Unlimitedでは、いつでも無料で読むことができます)。

オオカミなんかこわくない
クリエーター情報なし
メーカー情報なし



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

児童文学同人誌の今後

2017-02-18 09:30:16 | 考察
「児童文学を商業主義のワクの中で安っぽいものにさせてたまるかよ。志高い仲間と実践的に児童文学の地平を拓いていくしかない。」
 三十年以上前に始まったある同人誌の「創刊にあたって」からの抜粋です。
「私たちは、人間として豊かに生きるための文学を拓いていきます」
 これは、やはり三十年以上前にスタートした別の同人誌の綱領の冒頭の言葉です。
 くしくも同じ「拓く」という言葉を使っていますが、この言葉から当時の児童文学の状況と同人誌活動をスタートする意気込みが伝わってきます。
 このやや気負った言葉たちが生まれた背景には、当時の児童文学の状況があります。
 そのひとつは、1950年代にスタートした現代児童文学が、1970年代ら1980年代にかけての出版ブームにより、児童文学作品が商品化したことです。
 もうひとつは、それに伴って、既成の作家たちから革新的な児童文学が生まれてこないことに対する閉塞感です。
 そういったものを打破して新しい児童文学を創造するために、これらの同人誌は出発しました。
 これらの同人誌に直接あるいは間接的にかかわってきた自分としては、はたしてどれだけ新しい児童文学を創造できたのかと、内心忸怩たるものがあります。
 確かに、これらの同人誌は児童文学界の新しい書き手を、数多く生み出してきました。
 そういった意味では、ある程度の成果は出してきたと思います。
 ただ、現代児童文学の出発点である多くの作品(例えば、佐藤さとるの「誰も知らない小さな国」や山中恒の「赤毛のポチ」など)が、当時の同人誌によって生み出されたことと比較すると、どれほど革新的な作品が生み出されてきたかという点では、疑問符が付きます。
 「出版状況が当時とは違うよ」と言われればその通りですが、逆にその出版状況が革新的な児童文学の創造を妨げているようにも思えます。
 この三十年余りの間に、これらの同人誌は、創刊時の言葉とは裏腹に、さらに商業主義に取り込まれてしまった気がします。
 それらを象徴する事象として、同人誌の合評会への出版社の編集者の参加があります。
 作品についての編集者の意見に、さも大事な話を聞いているといった感じでうなずいている同人たちの姿を見ていると、奇異な感じを受けました。
 本来、編集者は文学作品を商品にするために存在するわけで、文学作品そのものを生み出した経験はないのです(もちろん「冒険者たち」の斉藤敦夫のように両方をやっている人もいるのですが、その場合でも編集者と作家の仕事は完全に分けてやっていたと思います)。
 こういった奇妙な状況は、同人たちの同人誌への参画意識の変化があると思われます。
 新たに児童文学を書こうという新人たちは、今までにない革新的な児童文学を創造したいというよりは、
「先生(や先輩たち)に教わって作品を書くのが少しでもうまくなり、できたら本も出してみたいな。」
 そんな感覚で参加している人が、大半なように見受けられます。
 その気持ちを百パーセント否定するものではありませんが、自分は既成の作家と違うこういう新しさがあるんだという意識なしでは、革新的な児童文学は生み出しようがありません。
 だいたい、創作をスタートする前に、児童文学のコモンセンスと思える内外の作品をどれだけ読んだことがあるのかさえ疑問もあります。
 また、すでに本を出している旧人たちも、出版前の原稿のブラッシュアップ的な感覚で同人誌の合評会に作品を提出している場合もあります。
 本来だったら、こういった作業は同人誌活動ではなく、新人は創作教室で、旧人は編集者と直接やるべきものだと思います。
 一口で言うと、児童文学の同人誌は、かつての新しい児童文学を生み出す運動体から、創作教室あるいは商品の下読み場的なものに変化しているのだと思います。
 こうした変化の原因は、同人誌の運動体としての理念がスタートする時に十分にすり合わされなかったことと、その理念を常に見直していく努力を怠っていたためだと思われます。
 そのために、いつの間にか同人誌が商品のショウケース化し、革新的な作品を生み出す場ではなくなったのでしょう。
 もう一つの大きな変化が、同人誌における評論の衰退です。
 1950年代、1960年代では、児童文学上の大きな論争には、同人誌も大きな役割を果たしていました。
 しかし、今では、同人誌に論文が載ることはほとんどなくなり、あるいは現在の児童文学の問題とは関係のうすいものがたまに載ることがあるだけです。
 現在では児童文学の評論をする人も少なくなり、また評論をする人たちはその人たちだけでかたまって活動する傾向が強いので、なかなか同人誌から良い評論が生み出しにくくなっています。
 これには、同人誌の編集上の問題もあります。
 ある大きな同人誌では、会員から創作だけでなく評論も募集していて、編集委員が協議して掲載するかどうかを決めています。
 ところが、その編集委員の中に現代児童文学の評論をやっている人が誰もいなくて、一度もまともな評論を書いたことがない人が応募されてきた評論に対してトンチンカンな選評を書いているのを読んで、驚愕したことがありました。
 現代児童文学の作家があまりお金にならないことは別の記事に書きましたが、評論や研究はさらにお金になりません。
 しいていえば大学の教員になることでしょうが、日本の大学院で児童文学の専攻があるのは二か所しかなく、いずれも女子大です(ただし、そのうちのひとつは、大学院だけは共学です)。
 それも、学生の興味の変化に合わせて、いわゆる児童文学だけではなく、アニメやライトノベルを対象にする講義も増えています。
 あとは、小学校や幼稚園の先生、図書館司書などを養成する大学の学部や専門学校で、ほとんど児童文学を読んだことのない学生相手に、初歩的な児童文学の講義をするぐらいでしょう。
 文学系の学部や学科が減少しているのでそれらの仕事も年々減ってきていて、児童文学を専攻してもなかなか仕事は見つからないと思います。
 いわゆるオーバードクターとかポストドクターになっている人もたくさんいるでしょうし、よくても非常勤講師という名の非正規労働につくぐらいでしょう。
 これでは、児童文学を専攻しようという学生はごく限られてしまうのが現状です。
 話は変わりますが、総合的な児童文学の同人誌の問題として、児童文学ならばなんでも(いわゆる現代児童文学、エンターテインメント、幼年童話、ナンセンス、メルヘンから、はては絵本まで)一つの同人誌でカバーしようとする現状にはかなり無理があると思います。
 先ほど、同人誌の創作教室化について述べましたが、指導する立場の人たちがエンターテインメントを書いた経験が乏しい同人誌に、エンターテインメントの書き手を目指す新人が参加しても得るものは少ないでしょう。
 また、その逆のケースも同様です。
 同人誌の中には、ジャンルを絞って成果を上げているところもあります。
 また、定期的に同人誌を発行するという形態も、すでに制度疲労している気がします。
 決して安くない印刷費用をかけて同人誌を発行しても、関係者以外でどこまでまじめに読まれているかは疑問です。
 今でも、同人誌評という労力の割に報われない活動を続けてくれている組織もいくつかはありますが、出版社などはおそらくほとんどスルー(あるいは既成作家の作品だけを拾い読みする程度)でしょう。
 それならば、いっそ同人誌の発行はやめて、活動は合評だけにしてみてもいいかもしれません。
 それも、一か所に集まって合評会をやるのではなく、電話会議やネットミーティングでやれば、地域を限定せずに全国から同好の仲間を集められるので、ジャンルも絞りやすいです。
 現代児童文学、エンターテインメント、ファンタジー、絵本、詩、メルヘン、幼年童話、ライトノベルなど、いくらでもジャンルを細分化できます。
 同人の成果も、定期的にホームページに載せれば、一般の人にも見てもらえるチャンスが今よりも多いと思います。
 さらに、同人誌を電子書籍化して課金することも考えれば、会運営の経済的な問題も解決するかもしれません。
 最近の新しい動きとして、同人誌で本を共作して出版する動きがあります。
 これらにも自己負担金はあるので、完全な商業出版ではないのですが、増刷されるケースもあり、読者である子どもたちにある程度手渡されているようです。
 ただし、これらの作品集の中には、作品の出来にばらつきのあるものもあり、個々の作品の品質に対して同人たち自身が厳しく対応しないとじり貧になってしまう心配はあります。
 
日本児童文学 2008年 12月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店


スノードームにさ・し・す・せ・そ (おはなしトランク おもちゃがいっぱい)
クリエーター情報なし
国土社

 
 




 
 



 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

芹沢清美「体験から物語へ――学童疎開の児童文学を読み直す」

2017-02-18 09:23:20 | 参考文献
 日本児童文学2012年9ー10月号掲載の第5回日本児童文学者協会評論新人賞・入賞論文です。
 疎開物の定番である柴田道子の「谷間の底から」を中心に、奥田継夫の「ボクちゃんの戦場」、長崎源之助の「ゲンのいた谷」などに言及しています。
 文末の注の用意など論文としての体裁は一応整っていますが、作品からの引用が多く芹沢の意見がよく見えません。
 また、その意見もすでに先行研究で繰り返し述べられていることが多く、新しい発見は少ないように思われます。
 集団疎開と縁故疎開による違い、送り出した家族や受け入れ側の農村側の子どもたちとの関係など、もう少し整理してから論じる必要があると思います。
 冒頭で、東日本大震災による子どもたちの疎開が、この論文を書くきっかけになったように思わせる前振りがありますが、それと学童疎開の関連性についての考察は、最後までまったくなく拍子抜けしました。
 考察の対象作品もいわゆる「児童文学」(特に日本児童文学者協会の関連)の範疇に限られていて、例えば、私見では「疎開児童文学」の最高の作品のひとつと思われる柏原兵三の「長い道(井上陽水の主題歌で有名な映画「少年時代」の原作の藤子Ⓐ不二夫の漫画のさらに原作)」などの、一般文学の書き手の作品についての言及がまったくなかったのも不満でした。
 
日本児童文学 2012年 10月号 [雑誌]
クリエーター情報なし
小峰書店
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

菅原琢「政治 再生産される混迷と影響力を増す有権者」平成史所収

2017-02-18 09:20:51 | 参考文献
 平成の政治史について書いていますが、2012年10月発行の本なので、安倍政権は出てきません。
 78ページの論文ですが、そのうち最初の3ページは論文の構成を示したものですし、21ページは政治史を駆け足に振り返ったもので、最後の13ページは註なので、実質的な論議は40ページ余りにすぎません。
 紙数が限られているせいか、註にあげられた論文を読まないとよくわかりません。
 それらを追っかけて読むような研究者にはそれでも良いのかもしれませんが、一般の読者には不親切な書き方です。
 竹下昇から野田佳彦まで24年間で代わった首相の数は、戦後昭和期の43年間と同数の17人だそうで、いかにその間の政治状況が不安定であったかがわかります。
 そういった現象とその原因については書かれているのですが、それへの対策や今後への提言はほとんど書かれておらず、あまり参考になりませんでした。

平成史 (河出ブックス)
クリエーター情報なし
河出書房新社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スーパースター

2017-02-18 09:19:29 | キンドル本
 サッカーに押されて、プロ野球の人気が低迷していました。
 そこに突然、ファンを魅了するスーパースターがプロ野球界に現れます。
 おかげで、プロ野球の人気は復活します。
 しかし、彼の出現には謎がありました。
 偶然、そのことに疑問を持った主人公の少年たちは、スーパースターの謎に迫ります。
 人気絶頂の時に、突然の事故が起こり、スーパースターは死にます。
 その後、プロ野球には彼のようなスーパースターが次々に現れるようになりました。
 たくさんのスーパースターが誕生した謎とは?

(下のバナーをクリックすると、2月21日まで無料で、スマホやタブレット端末やパソコンやキンドルで読めます。Kindle Unlimitedでは、いつでも無料で読めます)。

スーパースター
クリエーター情報なし
平野 厚


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

津村記久子「おかきの袋のしごと」この世にたやすい仕事はない所収

2017-02-17 15:44:39 | 参考文献
 主人公が採用された三か所目の職場は、おかきメーカーです。
 仕事と言えば、個包装の袋裏に豆知識を書くことなのです。
 私はあまりお菓子を食べないので、こういったことが本当にあるか分からないのですが、うまいところに目をつけたものです。
 雑学的な知識を披露するのは作者の得意技なので、なかなか面白い豆知識シリーズがあって感心させられます。
 ただ、主人公の前任者(婚活の失敗による鬱病で休職中の四十三歳の独身男性という設定が今どきです)が考えた豆知識シリーズに比べて、主人公が考えた豆知識シリーズは平凡だなと思っていたのですが、これは伏線でした。
 主人公が、新商品の袋裏のために考え出したとんでもない豆知識シリーズが、思いがけない大成功をおさめて、商品も大ヒットします。
 皮肉なことに、この大成功がきっかけになって、主人公はまたしても職場を去らなければならなくなります。
 こうした理不尽なことは、会社で働いているとよくあることで、私自身にも経験があります(逆に、失敗したのに、逆にそれがその後の評価につながったこともありました)。
 この作品でも、おかきメーカーの社長夫婦や一緒に勤めている人たちが生き生きと描かれています。
 特に、社食での昼食仲間との会話は、実にリアリティがあって驚かされます(どこまでが、作者の実体験なのでしょうか?)。
 また、初めは目立たなかった、いつも主人公に風変わりな仕事を紹介してくれる仕事探しの相談員(ハローワーク?)が、妙にうんちくめいたセリフを吐くようになって、存在が次第に気にかかってきました。

この世にたやすい仕事はない
クリエーター情報なし
日本経済新聞出版社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする