あんちゃんの気まぐれ日記2

仕事で行った場所の紹介や今の気持ちを素直に書き込みます。○○○○と思っているのは、私だけでしょうか??

日本の城シリーズ 134 九戸城(福岡城)

2013年07月18日 | 城巡り
二ノ丸跡より本丸跡を望む



実に久しぶりの「城巡り」なのに、あいにくの雨で隅々まで探索できなかったのは残念でしたが、日本中世史終焉の場「九戸城跡」の佇まいに圧倒されました。







二ノ丸大手門土橋跡


本丸虎口跡



本丸の石垣



本丸(左)と二の丸(右)の間の堀



本丸追手門跡



二ノ丸搦手門跡
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「週刊 日本の城」整理す?

2013年06月01日 | 城巡り

2週間毎に2冊づつ送られてくる、『デアゴスティーニの「週刊 日本の城」』は19号にもなっていたのに、バインダーに綴じていたのは創刊号だけだったので、今日一気に整理してみました。

つまり、まだ一度も目を通していなかったわけで、これからも読むことが無いかも知れない?

ここ2年間で、購入した本は十冊ぐらいあるがまだ一冊も読んでいない。

ちょうど一年前の今日、「神社巡り」の為に購入した「面白いほどよくわかる古事記」も10ページぐらいから進んでいないのである。




11号に、バインダーを分類するためのシールが入っている筈なのに、何処を探しても見当たりません。
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日本の城シリーズ 133 神戸城

2012年09月06日 | 城巡り

 伊勢平氏の子孫と伝える関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(十四世紀)西条南方の水田の中に沢城を築いた。戦国時代の1550年代には、現代のこの地に神戸城を築いて移る。
 小丘を利用した平山城である。神戸氏七代の友盛は北勢に威を振ったが、信長軍の侵入により永録十一年(1568)その三男、三七郎信孝を養子として和睦する。 信孝は天正八年(1580)ここに五重の天守閣を築く。それは金塗りの瓦も用いた豪奢なものであった。しかし本能寺の変後信孝は岐阜城に移り、翌年秀吉と争って対岸知多半島で自刃し文禄四年(1595)には天守も桑名城に移され、以来石垣だけ残される。
 江戸時代城主は一柳直盛、石川氏三代を経て享保十七年(1732)本多忠統が入国する。忠統は築城を許され神戸城は寛延元年(1748)完成する。
 本多氏の治世は140年、七代忠貫に至り明治廃藩を迎えて同八年城は解体される。
 その後、堀は埋められ、城地は神戸高校の敷地となった。ただ本多の地名に城主の名を留め、天守台の石垣に悲運の武将の跡をしのぶことができる。
 史跡としてのこの一郭が美しく、永久に保存されることを願うものである。
『神戸城跡案内板』より



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日本の城シリーズ 132 館山城

2012年08月31日 | 城巡り

天正6年(1578)九代里見義康が築城したが、慶長九年(1614)十代忠義が改易され、館山城は破却されたそうだ。現在の城跡は殆ど公園化されてしまい、犬山城を模した模擬天守閣があるだけである。










西



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広島城は原爆で倒壊した!

2012年08月06日 | 城巡り
原爆により、こちら側(北)に倒壊して堀の中にも・・・


今日8月6日に、広島城のほとんどが原爆により一瞬で消え去ったことを知った。

前回は、全く気付かなかったし思いもよらなかった。


御門橋・表御門











原爆で生き抜いたマルハヤナギ


原爆で生き抜いたユーカリ




天守閣から原爆ドームを望む(以前は間に広島市民球場があった)
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日本の城シリーズ 131 高知城

2012年07月27日 | 城巡り
日本で唯一、本丸の建築群がすべて現存している。(国指定重要文化財)










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日本の城シリーズ 130 『佐賀城』

2012年07月14日 | 城巡り
鯱の門 天保9年(1838)当時の姿を残す



復元された本丸御殿





昨日の雨で満杯状態の堀
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日本の城シリーズ 129 中津城

2012年05月15日 | 城巡り
中津城(扇城)模擬天守閣



天正16年(1588)、九州を平定した黒田孝高(如水)が豊臣秀吉から中津16万石を拝領し、中津川河口周防灘に臨む地に築城。






右が黒田孝高、左が細川忠興による石垣







北:天守閣より



南:天守閣より



左が奥平神社




本丸の中に「中津大神宮」があり、『豊前の国のお伊勢様』と親しまれているそうです。御祭神は、伊勢神宮の大神様の御分霊である、天照大神・豊受大神。


久々の『城巡り』だったが、やはり感じるものがある。これからも続けよう!
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日本の城シリーズ 128 松江城(千鳥城)

2012年03月08日 | 城巡り
下見板張りの5層6階の望楼式天守。とにかく、素晴らしいの一言しか思い浮かばないぐらい、バランスの取れた名城である。どの角度も魅せてくれる。




望楼より宍道湖を望む(南)


塩見縄手


塩見縄手


大手門跡


寄木柱


復元された南櫓



以前テレビで、堀を遊覧船でめぐっているのを観た事があったので、今回は外堀と内堀の中からの景色を楽しみにしていました?< 一周大人1,200円、遊覧時間約50分>


大手前発着場


冬の風物詩コタツ船




 

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日本の城シリーズ 127 唐津城

2012年02月01日 | 城巡り
寺沢志摩守広高が、慶長7年(1602年)から名護屋城の解体資材を用い、7カ年の歳月を費やして築城。別名『舞鶴城』と呼ばれているそうだが、元々天守閣は建てられておらず、天守台だけだったようだ。






天守閣より唐津市内を望む。(南)



残念ながら石垣等の工事中でした



ゆるキャラ「唐ワンくん」


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