あんちゃんの気まぐれ日記2

仕事で行った場所の紹介や今の気持ちを素直に書き込みます。○○○○と思っているのは、私だけでしょうか??

伊勢國一之宮『椿大神社(つばきおおかみやしろ)』

2012年09月06日 | 神社・寺院
拝 殿


☆御祭神:猿田彦大神
全国二千余社の「猿田彦大神」を祀る本宮であり、『地祇猿田彦大本宮』と尊称されている。
















鈿女本宮椿岸神社



御祭神:天之鈿女命(猿田彦大神の妻神)




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日本の城シリーズ 133 神戸城

2012年09月06日 | 城巡り

 伊勢平氏の子孫と伝える関氏の一族神戸氏は、南北朝時代(十四世紀)西条南方の水田の中に沢城を築いた。戦国時代の1550年代には、現代のこの地に神戸城を築いて移る。
 小丘を利用した平山城である。神戸氏七代の友盛は北勢に威を振ったが、信長軍の侵入により永録十一年(1568)その三男、三七郎信孝を養子として和睦する。 信孝は天正八年(1580)ここに五重の天守閣を築く。それは金塗りの瓦も用いた豪奢なものであった。しかし本能寺の変後信孝は岐阜城に移り、翌年秀吉と争って対岸知多半島で自刃し文禄四年(1595)には天守も桑名城に移され、以来石垣だけ残される。
 江戸時代城主は一柳直盛、石川氏三代を経て享保十七年(1732)本多忠統が入国する。忠統は築城を許され神戸城は寛延元年(1748)完成する。
 本多氏の治世は140年、七代忠貫に至り明治廃藩を迎えて同八年城は解体される。
 その後、堀は埋められ、城地は神戸高校の敷地となった。ただ本多の地名に城主の名を留め、天守台の石垣に悲運の武将の跡をしのぶことができる。
 史跡としてのこの一郭が美しく、永久に保存されることを願うものである。
『神戸城跡案内板』より



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伊勢國一之宮『都波岐・奈加等神社(つばきなかとじんじゃ)』

2012年09月06日 | 神社・寺院
社殿


都波岐・奈加等神社は、社殿が一つで二社が相殿の神社だが、伊勢國一之宮は都波岐神社である。

御祭神

「都波岐神社」:猿田彦大神
「奈加等神社」:中筒之男命(なかつつのをのみこと)天椹野命(あめのくぬのみこと)












本殿




宮司さんが出掛けていたので、30分ほど待って帰ってこなかったら「朱印」は諦めるつもりでいたが、参拝にきた「近所のおばあちゃん?」に宮司さんの自宅を教えられ、訪ねて行って奥さんに書いてもらいました。

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