日大豊山水泳部 活動日誌

インターハイでの総合優勝を目指して、日々練習に励んでいます。

教えその18 「大切なことは繰り返し伝える」

2015-04-20 05:07:18 | Weblog

私自身が学生時代に言われていたことと、現在私が指導者として生徒に伝えていることは基本的に変わっていません。

全体のミーティングで話をしていることはおそらく何十年もそれほど変化していないはずです。

つまり、大切なことは普遍的である、ということです。

いつの時代でも誰に対してでも道徳的な事の大切さは変わりません。

「礼」は、紀元前500年前の孔子の教えから受け継がれてきたものです。

日本人が「和」を大切にしてきたことは、聖徳太子が「十七条憲法」で示した通りです。

練習メニューは時代の流れで多少変化する部分はあるかもしれませんが、練習や試合に臨む姿勢はいつも同じです。

おそらくこれからも同じことを繰り返し伝え続けることになるでしょう。

ここで考えなければならないことは、これらの教えはクラブ活動がなくては伝えられないということです。

授業やホームルームでも伝えられる部分はあるかもしれませんが、やはり水泳という競技を通してでなければ伝わらないことがほとんどです。

つまり、クラブ活動の存続があってはじめて伝わっている教えであるということになります。

皆がそれぞれのスイミングクラブに通っていれば水泳部としての一体感をなくし、充分な教育効果を上げることはできません。

学校のクラブ活動には競泳選手を育てるということ以外にも一定の役割があり、クラブ活動が衰退してしまえば伝えられてきた教えも消滅することになります。

ここに豊山水泳部が存続を図る意味があります。

水泳部OB会名簿には昭和中期の方から掲載されていますが、数百名という水泳部OBは直接交流はなくても、基本的に同じ精神が受け継がれているはずです。

毎年20~30名の卒業生が巣立っていきますが、やはり同じ精神を受け継いでいきます。

私が繰り返し読んだ本のひとつに『知性の構造』があります。西部邁氏による著作です。

西部氏はこの本のなかで、「慣習という実体がなければ、伝統が単なる虚構になってしまうのも確かである。結局、慣習という名の実体を支えている精神の形式のうちで、表現の平衡維持に益するところ大であろうとみなされるもの、それが伝統なのだとしておくべきであろう。」と主張しています。

この言葉を私達に当てはめて考えると、慣習という実体は水泳部であり、伝統という精神はこの教えにあるというわけです。

水泳部があってはじめてその精神である伝統が伝わっていくということになります。

伝統は、ものすごいスピードで変化している現代社会における私たちに精神の平衡をもたらしてくれるものです。

平衡=バランスを保つものがなければ、頼るものは自分自身の考えでしかなく、私たち一個人から生まれるその思考は不安定極まりないものとなるでしょう。

水泳でいえば、始めたときから指導者に教わることなく、泳ぎ方や練習メニューもない状態で、たった一人でプールで泳ぎ続けて大会で活躍しようというようなものです。

私たちは経験に支えられた伝統の上に立つからこそ安心して歩めるわけであって、そこから完全に自由になって安定した精神をもつことはおそらく不可能でしょう。

伝統を存続しなければならない理由はここにあり、水泳部を存続する理由にもつながっています。

「伝統」は、私たちに与えられた使命を示唆するものであるといえます。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

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教えその17 「人にしてもらってうれしかったことをしなさい」

2015-04-19 05:15:01 | Weblog

この教えは、上下関係の厳しい運動部にこそあてはまるものです。

誰しも下級生のときに、上級生から嫌なことをされたり、言われたりという経験があるはずです。

そして自分が上級生になった時に、同じことを下級生に対して繰り返しているということがよく見られます。

特に運動部にありがちである理不尽な事が伝わりやすいようです。

当然、道徳や規則のことなど言わなければならないことは伝える必要があるわけですが、相手が不快に思うような言い方や教え方は気を付けなければなりません。

たいていの人は自分が言われて嫌だったことを忘れて、そのまま下級生に伝えているだけのように見受けられます。

このような状況では組織はいつまでたっても良い方向には向かいません。

逆に上級生にしてもらったり、言われたことでうれしかったこともあるはずです。

それを下級生にもしてあげることで良い方向へと向かうはずです。

イエス・キリストは「人にしてもらいたいと思うように他人のためにし、自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と説きました。

この教えは、キリスト教の黄金律と呼ばれています。

また、孔子は「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」と説いています。

自分がされて嫌なことは、他人にもしないということです。

これらの教えが広まるだけでも世の中はよくなるはずです。

上下関係というのは社会に出てからも必ず経験していくことですが、上に立つ者の接し方が良くないと下の世代にもそれが受け継がれてしまうものです。

自分が嫌なことは他人にもせず、うれしかったことをしてあげる、という人間関係にとって大切なことは、2千数百年前から変わっていないようです。

私自身も自分の言動を改めて振り返り、周囲の人に対する接し方を考えてみたいと思います。

竹村知洋

 

 

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教えその16 「休みをしっかりとる」

2015-04-18 04:57:19 | Weblog

厳しい練習の成果を確実に出すためには、休みをしっかりとるということが非常に大切です。

厳しい練習であればあるほど、休みをとって体力が十分に回復していなければ、オーバーワークになってしまいます。

豊山水泳部では長年にわたって、日曜日を休日としています。

練習時間を考えれば授業のない日曜日に練習をするほうが、たくさんの練習時間をとりやすいことは言うまでもありません。

それにもかかわらず日曜日を休みにしている理由は、日曜日に練習した場合、授業のある平日を休みにしなければならないからです。

例えば6時間も授業のある月曜日を休みにした場合、本当に十分な休息ができるでしょうか。

やはり1日ゆっくりと休息できる日があるということは、身心の回復にとって重要です。

回復というのは身体だけでなく、精神的な部分の回復も含まれます。

月曜日から土曜日まで厳しい練習を行い、日曜日にゆっくり休むことで身心共にリセットし、また次の月曜日から頑張りやすくなるのです。

休日の前の練習も明日が休みだと思えば、いつも以上の力が出せるものです。

以前はシーズンが終了した9月から10月にかけて1か月にわたるOFFをとっていたこともあります。

さすがに今はそれだけの休みはとれませんが、豊山水泳部の基本的な方針は、「やるべき時にやり、休むべき時に休む」です。

2011年にインターハイで男子総合優勝を果たしましたが、私は最終日である4日目の朝に選手たちにこのように告げました。

「優勝したら1か月間の休みにしよう」。

選手たちの表情にみるみる輝きが生まれました。

そして本当に優勝し、私は約束通り、全員を1か月間OFFにしました。

メリハリをつけた練習計画は、特に男子にあてはまるのかもしれません。

高校生にもなるとそれなりに強い力を発揮して練習ができるようになりますから、休息が充分でなければ疲弊していまいます。

休みの効用というのは、身心の回復だけでなく、家族や友人との有意義な時間の過ごし方にとっても重要なはずです。

日頃は朝練習やご家族の仕事の関係でなかなか一緒にできない食事も、日曜日であれば皆でとりやすいはずです。

また、たまには水泳のことから離れて友人と遊びに行くことも学生時代には必要です。

学生時代の思い出が水泳しかなく、家族や友人たちと食事したり出かけたりというのがまったくないというのは、少し寂しいのではないでしょうか。

そのようなことを考えても、休みを日曜日にするということは良い選択であり、これからも継続していくべきであると考えています。

今までOFFをとりすぎていることで練習不足になってしまったと感じたことは特にありません。

「やるべき時にやり、休むべき時に休む」というこの原則はこれからも継続していきます。

竹村知洋

 

 

 

 

 

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教えその15 「実践的な練習をする」

2015-04-17 04:11:04 | Weblog

練習は試合のためにするのであって、練習のための練習であってはならない、ということです。

当然のように思えるかもしれませんが、毎日練習を繰り返していると忘れがちなものです。

実践のための練習というのは、常にレースを意識して練習するということです。

競泳の場合、明確にタイムで設定することができます。

自分が出したい記録は何秒であって、その記録を出すためにはどのような練習をしなければならないか、ということを考えながら練習に取り組むことです。

例えば、100mで59秒台で泳ぎたい場合、前半が28秒台であれば、後半が31秒台というように考えられます。

その場合、前半の28秒台や後半の31秒台で泳げるように繰り返し練習することです。

もちろんすべての練習をそのタイムで繰り返すことはできませんが、あくまでもそのことを念頭に練習に取り組む必要があります。

そのために目標の設定ということを明確にする必要があります。

ただ何となく与えられた練習をこなしているだけでは強くなれません。

逆に、練習中のタイムはそれなりに満足できるものであっても、試合にそれが生かされないということがよくみられます。

その原因は、フォームが試合用ではなく、練習用になっていることがあげられます。

やはり試合用のフォームというのはきついものです。

練習用のフォームというのは手先や足先を使うだけで、体幹がしっかりと使われていないことが多いです。

たとえ練習中の記録は落ちたとしても、フォームも実践的なものであるべきです。

実践的な練習というのは自分自身と向き合うことになり、精神的にもつらいものです。

しかし、そのつらさから逃げていてはいつまでたっても同じことの繰り返しになってしまい、向上しません。

できればこうなりたいとか、こうするつもり、という程度ではなかなか目標は達成できないものと思います。

「必ずこうなる」という本気でなければ、練習の苦しさに負けてしまうことでしょう。

目標に対する本気度が高ければ高いほど、苦しさそのものを感じないはずです。

「練習は試合のように、試合は練習のように」とはよく言われる言葉です。

練習中に試合を想定して緊張感を持って取り組んでいれば、試合は練習のように行えばよいわけです。

練習でできたことが試合でできないことは多々あるものです。

しかし、練習でできないことを試合でやろうとしてもできるわけがありません。

試合で目標を達成したいと考えるのであれば、繰り返し練習を行い、自信をつけるしかありません。

そうすれば、練習中にできたことは試合でもできる可能性は高まります。

実践的な練習に向き合うことは、自分自身と向き合うことでもあります。

競泳選手として成功を収めたいと考えるのであれば、自分から逃げていてはならないのです。

竹村知洋

 

 

 

 

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教えその14 「問題があることは当然である」

2015-04-16 04:52:56 | Weblog

仕事をしていくうえで様々な問題に直面しますが、何かを成し遂げようとしたらそれが当然のことである、という教えです。

教育現場では日々、様々な問題が発生します。

何もない日が続くことの方が珍しいくらいです。

特にクラブ活動ではその問題が倍増します。

私に関して起こる問題は、ほとんどがクラブ関連のことであるといえるでしょう。

しかし、問題が起こる度に悩んではいられません。

一つ一つの問題に思い悩んでいたら、おそらく身心共に不調をきたし、この仕事を続けていくことは難しいものと思われます。

200名規模の部員を有するクラブですから、人間関係に関することはもちろん、寮生活のこと、練習への取り組みや大会の結果に関すること、その他生活面に関することなどすべてが順調にいくことは、まずありません。

特に最近は情報ツールが発達していますから人間関係に関する問題が見えにくくなっており、少しのことで問題が大きくなったり、誤解から生まれていることも多いようです。

インターネット上の問題というのは新たに生まれてきたもので対応が難しい部分もありますが、たいていの問題というのは解決可能なものです。

もちろんそこには諦めずに対応するという態度が必要なことはいうまでもありません。

私が常々言っていることは、うまくいかないときこそその人の本性が試される、ということです。

うまくいっているときには誰でも笑顔になり、力を発揮するのはごく普通のことです。

問題や困難に直面したときにこそ、その時の態度や対応の仕方にその人の本性が現れるものだ、と思っています。

例えば試合でうまくいかなかったりしたときに、愚痴を口にだしたり、言い訳をしたり、環境や他人のせいにしたりする人がいますが、大変見苦しいものです。

大きな器をもつ人物は、決してそのような対応をしません。

大相撲の最多連勝記録を持つ双葉山が、その記録を69で止めてしまった時の「未だ木鶏たりえず」は有名な言葉です。

私と同年代の松井秀喜選手は、甲子園で5打席連続敬遠という作戦でチームが敗戦した時も、一言も相手のことを責めるようなことは口にしませんでした。

他にも大変見習うべき人物は多く、大きな器を持つ人物こそ一時的な感情に流されることなく、自分の気持ちを制御して大きな仕事ができるのでしょう。

問題が発生したら即座に対応することも必要です。

私自身も反省すべきことで、問題は先延ばしにすればするほど大きくなることが多いです。

そもそも水泳部の目標を実現するためには、問題や困難に直面するのは当然であると考えています。

仏陀は「人生は苦である」と教えています。

この一切皆苦の教えは、人間が生きるということはそれだけで苦しいことがつきものであるということです。

人生から苦しいことを消すことはできないのです。

それを受け入れたうえで、どのような心の持ち方で生きるかということを仏陀は教えてくれます。

これからも平常心を失うことなく、目標実現へ向けて為すべきことに取り組んでいきます。

竹村知洋

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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練習風景

2015-04-15 08:04:09 | Weblog

コーチの安村です。

豊山水泳部は、泳力や目標に応じてA・B2つのチームに分けて活動しています。

これまで圧迫感のあったBチームの練習も、新校舎になってからは集中しやすい環境で練習を行うことができています。

  

AチームはHR後、ドライランドを行ってから水中練習に移り、

Bチームは、Aチームがドライランドを行っている最中に、水中練習を行います。

水中練習後は、体幹トレーニングやウェイトトレーニングなどを自主的に取り組むようにしています。

  

Aチームは人数の関係上、プールサイドでの補強組・バルコニーを使用してのTRX組・ウェイト組など、分担してより効率的にトレーニングを行っています。

練習時間や環境は違えど、A・B両チームとも豊山水泳部に所属している以上、泳力に関係なくあいさつ・礼儀・マナーなどを1人1人と向き合い伝えていきたいと思います。

 

またこの度、『みるみる上達!スポーツ練習メニュー』 (監修:上野広治、技術指導:竹村知洋)が出版されました。

ウォーミングアップや練習メニュー、各種目のポイント等が掲載されております。

 

 この本は全国の学校図書館等に置かれます。もちろん、本校図書館でも借りることができます。

ご機会があれば、是非一度、ご一読ください!

安村 亜洲

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教えその13 「文武両道」

2015-04-15 05:04:37 | Weblog

日大豊山高校では「文武両道」を教育方針としています。

水泳部でもその方針に従って活動しています。

「水泳では飯は食えない」とはよく言われたことです。

本校はスポーツ推薦制度があり、各運動部員で構成される体育クラスがありますが、進学クラスを同様に6時間授業をし、試験も基本的に同じもので行います。

大学進学やその先の人生を考えた場合、学習にしっかり取り組むことの重要性は当然のことであって、改めて説明する必要はないかも知れません。

水泳部には成績の優秀な生徒がどのチームにも多数在籍しています。

これまで全国中学校に出場したメンバーはほとんどが学年でも上位の成績です。

全国大会での活躍をめざすチームに所属している進学クラスの高校生もいますが、やはり成績は優秀です。

試験前や試験中でも厳しい練習を行っているのに、成績が上昇しているという例も多数みられます。

不思議なことに中学時代までそれほどでもなかった生徒が、急激に成績が上昇し、学年でもトップクラスになるということがよくみられます。

中学時代に学年で最下位だった生徒が、高校卒業時には一般入試で6大学に並ぶ大学に合格したという例もあり、それに後輩たちがよい刺激を受けているようです。

これはおそらくクラブ内の上下関係の良いつながりから学習の大切さや学習方法まで伝わっているプラスの効果ではないかと思います。

また、日曜日を休日にしていることもあり、学習時間も確保しているのでしょう。

学習能力が高いと水泳に対する取り組みにも生かされます。

学習することで教養や見識が高まることはもちろん、思考力が身につき、水泳に対する見方や取り組み方に深みがでます。

同じ練習であっても、その理由をきちんと理解して取り組んでいる場合と何も考えずにやらされているのとでは雲泥の差です。

また、スポーツの動きというのは感覚的なものですから多様な言葉によって説明するわけですが、言語能力が高いと指導者と選手の意志疎通がスムーズになります。

「哲学をもつ」にも書きましたが、「水泳に取り組む意味」というのが明確になっているか否かで、練習やレースの苦しい場面や故障などの問題に直面した時の対応に差が出ます。

水泳に取り組む意味を考えるということは、水泳に対する考察を深めることであり、最終的には自分の人生を考えることにもつながります。

その際、水泳や人生に対する解釈が必要になるわけですが、その解釈は言語によって行われます。

豊かな言語能力を有することの重要性はここにあります。

つまり、国語力の高さが水泳や人生を考える力になるのです。

ここでいう国語力とは、読解力です。

読解力は、本を読むこと=読書によって鍛えられます。

沢山の本を読むことで、国語力が向上し、物事を解釈する力も高まります。

当然、数学や英語も国語によって考えていますので、国語の成績が良い生徒はたいてい他教科の成績もよいものです。

私は公民科の教員として、「政治・経済」や「倫理」の学習を通じて、哲学の重要性を知り、物事を解釈するための国語の大切さを知ることができました。

哲学の学習を通じて、社会の仕組みを支えている根底の考え方を知ることができ、今後も大切にしなければならないことや私たちが目指すべき方向性も見えてきました。

それを教えてくれたのは先人の智恵です。

その智恵は人の言葉や本から学ぶことができます。

人の話をよく聞くことと読書をすることが学習の第一歩であることは間違いありません。

今後も「文武両道」を実現するクラブとして活動を続けていきます。

竹村知洋

 

 

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教えその12 「哲学をもつ」

2015-04-14 05:07:54 | Weblog

「哲学をもつ」とは、自分にとって水泳を続けることの意味を持つことです。

「水泳に取り組む意味」を主体的に持っている選手は、少々の苦しさや困難に見舞われてもそれに負けることなく、前向きに取り組むことができます。

ただ小さいころからやってきたからとか、親に言われて続けてきたというように水泳に取り組む理由が明確でない場合、壁に直面したときにそれを乗り越えようという意志が弱くなり、挫折しやすいです。

競泳選手として、記録の向上や勝利を目標とした時、何年にもわたり毎日何千メートルという距離の練習をこなし続けるには、水泳に対する自分なりの哲学を持たなければ耐えられるものではありません。

競泳は速く泳ぐことを通して競争するスポーツですが、そのことが自分にとってどのような意味があるのか、という自分なりの哲学を持つことが大切です。

高校生や大学生という「自我」が芽生える時期にそれを明確に持つことができた選手は、競泳選手として成功を収めることができる可能性が高いでしょう。

では、「水泳に取り組む意味」とは何でしょうか。

速く泳ぐことだけであれば魚には勝てず、勝ったところで何の意味もありません。

また、人間は水中で生活するわけではなく、競泳生活を終えてしまえば誰しも選手時代のようには泳げなくなります。

大会で優勝することは喜びにつながることですが、日本の場合、オリンピックで金メダルをとったとしても生涯にわたる経済的な生活保障はありません。

オリンピックに出場することやそこでメダルを獲得するということが競泳選手として最大の目標であり、その実現に向けて最大限の努力を傾けることは競泳選手・指導者として当然のことです。

しかし、オリンピックも含めて大会で活躍することだけを目的として競泳を続け、選手生活を終えた後の人生設計が何もないとしたらどうでしょうか。

大切なのは、選手生活を終えた後の人生であるという認識を深めるべきです。

『倫理』の授業で扱う青年心理学の分野で取り上げるエリクソンというアメリカの心理学者は、青年期の発達課題は「アイデンティティの確立」であると主張しています。

アイデンティティとは自我同一性と訳されますが、「自分」を確立し、社会に出る準備をするのが青年期であるというわけです。

水泳という青年期に取り組むべきことをみつけたとしても、次の人生を考えてその準備ができていなければ、健全なる成長をしているとはいえないのです。

水泳を通して人間的な成長が図られることは間違いないことですが、速く泳ぐこと以外に社会へ出て「自立」する準備が何もなければ、本当にその人にとって豊かな青年期を過ごしたとはいえません。

井上敦雄先生がよく口にしていた言葉は「たかがオリンピック」、「たかが水泳」です。

インターハイで日本一になり、オリンピック選手を輩出している先生の口から、そのような話を聞いたときには少し驚きました。

この言葉の真意を考えると、「水泳は目的ではなく、あくまでも手段である」ということです。

人間教育が主たる目的であり、学問との両立を図る「文武両道」が必要な理由はここにあります。

では、豊山水泳部の哲学とは何か。

それは「日大豊山高校水泳部の伝統」を支えているこれらの教えにあります。

豊山水泳部に伝えられてきたこの教えを解き明かすことで、豊山水泳部の哲学は明らかになります。

竹村知洋

 

 

 

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スイミングマガジン(5月号)に特集が掲載されました。

2015-04-13 19:01:58 | Weblog

こんばんは、初投稿になります山本和幸です。

このたび、スイミングマガジン(5月号)に新校舎完成を機に特集記事が掲載されました。

65ページから69ページまで、5ページにわたり本学の歴史や指導方針・我々スタッフ陣がこれまで受け継いできた豊山魂に関して掲載されています。

また、新校舎の設備やプールの様子・11階からの眺望が写真とともに紹介されています。

 

新校舎完成を機に本学の歴史や指導方針・新校舎の設備に至るまで掲載していただきました、ベースボールマガジン社様には感謝申し上げます。

この恵まれた環境を活かし、しっかりと好成績が残せるように日々精進し新たな豊山の歴史を積み重ねていきたいと思います。

 

投稿者・山本和幸

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教えその11 「チームとして戦う」

2015-04-13 05:08:36 | Weblog

個人種目である競泳競技で「チームとして戦う」ことが、豊山水泳部の特色です。

同じクラブ活動、同じクラス、寮生活を共にすることで、自然とチーム意識は高まります。

その成果はインターハイをはじめとする学校対抗のリレー競技において発揮されます。

個人種目ではいま一つの結果であっても、リレー種目で大幅に記録を更新する選手もいます。

これは男同士という日頃の練習環境から自然と競争意識が高まっている結果といえるでしょう。

練習中から競いあう相手がいるということは、競技力を高めるうえで非常に重要なことです。

厳しい練習で自分に負けそうな場面が訪れたときに、周囲で共にその苦しさと闘っている仲間がいるというのは心強いものです。

一人ではなかなか頑張りきれない練習でも、大きな声を出して雰囲気を盛り上げることで乗り越えられる可能性は高まります。

また、マネージャーの存在がチームの雰囲気を大きく左右します。

マネージャーは練習係として記録を測定することだけではなく、練習環境を整え、チーム全体の雰囲気を盛り上げることにも大きな役割を果たします。

マネージャーも選手と同様に厳しい練習を乗り越えることで、大会での選手の活躍に喜びを得るのです。

練習は全員が同じ時間に同じ練習を行うのではなく、泳力や目標に応じてチームを分けて時間や内容を変えています。

しかし、朝の掃除をすることや上下関係に泳力は関係ありません。

日本選手権に出場する選手からほとんど泳げない生徒まで水中練習以外で区別することなく、一つのチームとして活動しています。

また、チームとしての結束は在学中だけでなく、卒業後はOBの一員としてつながりをもつことでさらに大きな力となります。

生徒が直接OBの方々とお会いする機会は少ないのですが、そのようなOBの方々の協力もあって、豊山水泳部はチームとしての力を高めています。

毎年、秋頃には水泳部全員で食事会を催しており、OB会費を活用させていただいております。

特に寮生活を送る生徒たちには、定期的にOBの方々が食事会を開いてくださっています。

豊山水泳部は練習環境と人のつながりで、大変恵まれたチームであるといえるでしょう。

あとは結果を出してそれに報いることだけです。

豊山水泳部はこれからもチーム力を高めて活動を続けてまいります。

竹村知洋

 

 

 

 

 

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