クラクフ2日目
レディスプログラムが始まります。
ホテルから集合場所の会議会場間は徒歩だと30分ぐらいあるので、
バス&徒歩で行ってみる。
ホテルで教えてもらったバス停から、結局20分ぐらい歩く。
あまり意味無いなぁ。。。とぶつくさ言ってたら、転んだ。
いきなりですかぁ~~~。
8時半集合で出発、ガイドさんはダイアナ妃似のマグダ。
先ずはユダヤ人居留地だったガジミエシュ地区へ
映画「シンドラーのリスト」のロケ地になった場所。
ポーランド最古のユダヤ教会 スタラ・シナゴーグ
(現在ユダヤ人博物館)
昔はここにユダヤ人がひしめきあってただろう広場は、
犠牲者追悼の碑があるものの、駐車場兼観光拠点。
クリック拡大で中央にダビデの星=追悼碑
スタラ・シナゴーグの裏
天気がいいのに、朝から重い雰囲気になっていく。
レーム・シナゴーグ(現在もシナゴーグとして使われている。)
門の前右の白いコートがガイドのマグダ。
左の男性はイスラエル人研究者でノーベル物理学賞受賞者のダン・シュヒトマン博士
午前中の参加者はイスラエル人が6名。
ドイツ人1名、オランダ人1名、ベトナム人1名、日本人5名
イスラエル人はどういう気持ちでこの地に訪れたのだろう。
内3名は母と子2人の親子だったので、この先の訪問地でも気になった。
次はシンドラーのホーロー工場跡 現クラクフ歴史博物館
ガイドのマグダの家族は昔からクラクフに住み、
祖父は大学教授だったという事なのだが、
クラクフがドイツに占領されて以来の話が、生の歴史として語られる。
クラクフの王宮にナチスの旗が揚がった日のこと。 。。
そして、これからの大学運営についての説明を受けるという名目で大学教授が大学に集められ、
そのまま連行されドイツ・ザクセンハウゼン収容所へ送られた話。
これはポーランド人に教育をさせないということだけではなく、
知識人による抵抗運動、扇動を予防する目的があると思われる。
こういうドイツのやり方に、緻密な計画性を感じる。
そして、後日行ったアウシュヴィッツでは、それを確信することになった。
シンドラー博物館では記録映画(ナチス撮影?)があって、大学教授が集められる様子を映した。
大学教授の名簿もあり、そこにマグダの祖父の名があった。
展示の写真なんか撮る気にならない。
言葉少ないレディースであった。
そして、ノーベル賞博士ダンは常に遅れ気味。展示を詳しく観ているようだった。
展示室は暗いし、通路は狭い。そして展示品は重くて多い。
午前中で、酸欠。
外に出た時は、本当にホッとした。
(この思いは、やはりアウシュヴィッツでも実感できる。)
ここでダンは本業に戻るためレディースから離脱。
私たちは軽い昼食となった。(詳しくは食事編を待ってね。)
午後の行程は後編へ続く。