カプメイの独り言

2シャム猫的お気楽生活

歩け歩けのポーランド紀行 その5(前編)

2013-09-16 15:07:05 | ポーランド

クラクフ2日目
レディスプログラムが始まります。

ホテルから集合場所の会議会場間は徒歩だと30分ぐらいあるので、
バス&徒歩で行ってみる。
ホテルで教えてもらったバス停から、結局20分ぐらい歩く。
あまり意味無いなぁ。。。とぶつくさ言ってたら、転んだ。
いきなりですかぁ~~~。



8時半集合で出発、ガイドさんはダイアナ妃似のマグダ。

先ずはユダヤ人居留地だったガジミエシュ地区へ

映画「シンドラーのリスト」のロケ地になった場所。

ポーランド最古のユダヤ教会 スタラ・シナゴーグ
(現在ユダヤ人博物館)



昔はここにユダヤ人がひしめきあってただろう広場は、
犠牲者追悼の碑があるものの、駐車場兼観光拠点。
クリック拡大で中央にダビデの星=追悼碑


スタラ・シナゴーグの裏


天気がいいのに、朝から重い雰囲気になっていく。

レーム・シナゴーグ(現在もシナゴーグとして使われている。)


門の前右の白いコートがガイドのマグダ。
左の男性はイスラエル人研究者でノーベル物理学賞受賞者のダン・シュヒトマン博士
午前中の参加者はイスラエル人が6名。
ドイツ人1名、オランダ人1名、ベトナム人1名、日本人5名
イスラエル人はどういう気持ちでこの地に訪れたのだろう。
内3名は母と子2人の親子だったので、この先の訪問地でも気になった。

次はシンドラーのホーロー工場跡 現クラクフ歴史博物館

ガイドのマグダの家族は昔からクラクフに住み、
祖父は大学教授だったという事なのだが、
クラクフがドイツに占領されて以来の話が、生の歴史として語られる。

クラクフの王宮にナチスの旗が揚がった日のこと。 。。
そして、これからの大学運営についての説明を受けるという名目で大学教授が大学に集められ、
そのまま連行されドイツ・ザクセンハウゼン収容所へ送られた話。
これはポーランド人に教育をさせないということだけではなく、
知識人による抵抗運動、扇動を予防する目的があると思われる。
こういうドイツのやり方に、緻密な計画性を感じる。
そして、後日行ったアウシュヴィッツでは、それを確信することになった。

シンドラー博物館では記録映画(ナチス撮影?)があって、大学教授が集められる様子を映した。
大学教授の名簿もあり、そこにマグダの祖父の名があった。

展示の写真なんか撮る気にならない。
言葉少ないレディースであった。
そして、ノーベル賞博士ダンは常に遅れ気味。展示を詳しく観ているようだった。 

展示室は暗いし、通路は狭い。そして展示品は重くて多い。
午前中で、酸欠。
外に出た時は、本当にホッとした。
(この思いは、やはりアウシュヴィッツでも実感できる。)

ここでダンは本業に戻るためレディースから離脱。
私たちは軽い昼食となった。(詳しくは食事編を待ってね。)

午後の行程は後編へ続く。 


歩け歩けのポーランド紀行 その4

2013-09-13 22:30:42 | ポーランド

ポーランド3日目
ダンナの仕事が始まるので、クラクフへ移動です。
朝ごはんも食べずに、チェックアウトしてタクシーで駅へ。

ワルシャワ中央駅切符売場


反対側の様子 電光掲示板


切符はwebでe-チケットを購入済みだったので、
慌てることなく、のんびりとベンチで時間待ち。

おじいちゃんと一緒に旅行するネコちゃん


可愛がられてるみたいだけど、置きっぱなしにされてた。
駅構内には、「荷物から離れないように」とか、
「盗難注意」のアナウンスが流れているんだけど、
皆さんのんびりしたもの。
若い女性バックパッカーは、ベンチに座った隣の女性に荷物を頼んでトイレに行ったり。。。

さて、時間が近付いたので、早めにホームへ降りよう。
ととと、、、その前にトイレに行くダンナ。
エスカレーター横で待ってると、エスカレーター停まったーーー。
駅の人が来るも、動かないぞーーーー。
実は中央駅は大工事中。
隣のホームはエスカレーターを取っ払ってそのまんまにしてあるので、
なんだか壊れたロボットが放置されてるような状態。
皆さん、大回りしたり、大荷物をゴタンゴタン苦心してホームに降りてる。
あのですね。。。
通路の反対側に大きなエレベーターがあるんですが、
誰もそれにお気づきでない。
案内板が無いんだなぁ。

と言う訳で、ポーランドは標識、案内が未熟!
これに私たちも振り回されますた。

列車はザコパネ行きのEICなんだど、
私たちの予約は15号車。



ホームでどの辺に乗るかを検討つけたのだけど、
これが大外れ!
表示通りの場所で待ってたのだけど、全然違う。
ダンナは、表示がおかしいことに気が付いたのだけど、
ドイツ仕込みの私は「そんなはずない」と思っちゃったのだ。

で、仕方なく、取り敢えず列車に乗ったのはいいけど、
コンパートメント車両の通路は狭い。
おまけに同様にテキトーな場所に乗った乗客が移動していて、
すれ違いたくてもすれ違えない。
コンパートメントに一時避難したり、
やり過ごしたりして、とにかく後ろへ後ろへと移動。
(一番前の車両に乗っちゃったのだ。)
3,4,5号車と来たら、6だろう?
なんで7号車?
車両番号が飛んでいるー。

食堂車や子供の遊び場車両もあったりして・・・
車掌さんに聞くと、後ろだーーー、一番後ろ!
私たちの15号車は10号車の後ろにいきなりあったのでホッとした。
ってなことで、えっらく苦労して自分の席へ着いた。。。ら、
ららら、若いお姉ちゃんが座ってるしぃ~~~。
空いてる席に取り敢えず座ったらしい。 

どいてもらってやっと座るも、荷物を置く場所もいっぱいで、
大きなトランク(20kg)は通路に置くしかなく、
これがまた皆さんの大迷惑。

時速とか表示されてるのは新幹線と同じ。


席には食堂車のメニュー。
デリバリーもあるみたい。


チリンチリンと移動販売もやってくる。
あぁ、ごめんなさい。
トランクを席に挟んで、やり過ごす。

1ドリンクとお菓子がサービスで付いてるのは、
飛行機に対抗してのことか。。。



JRもこれぐらいやろうね。

と、えっらく苦労した列車の旅、
ワルシャワ-クラクフ間はノンストップ3時間。
乗り心地は快適で、荷物での大移動さえなければ楽しい。

更に、クラクフ駅も大工事中で、駅舎に直接行けなくて、
駅前ホテルのはずなのに、辿り着くまで苦労した。
駅には案内のオレンジビブスの若者がいて親切なんだけど、
やっぱり表示がちゃんとしてないのが困るなぁ。
クラクフへ行かれる方は、要注意でっせ。

ホテルにチェックイン後、近くのショッピングセンターで昼食して(ケバブを食べた)、
仕事場の大学までタクシーで行っちゃったんで、
あとはもう、この日の画像は無し。

いや、あるんだけど、オープニングパーティーの食べ物だから、また後でね。

と言う訳で、翌日からプログラムで動き回ります。

つづく。



おまけ。

ハナ吉


この方は、本宅でのおのおと過ごしていたらしく、
太ってらっしゃいます。

留守中は隣と本宅におかかやカリカリを渡しておいたので、
それなりに正しい外猫生活をしていたようです。 

チョビ子も元気です。

良かった良かった。 


歩け歩けのポーランド紀行 その3

2013-09-12 22:46:01 | ポーランド

誰??

ポーランドで有名なのはショパンだけではない。
地動説のコペルニクスもポーランド人。



コペルニクスの像の周りのタイルは太陽系模様になっている。

地球だ!


えっと、ここは初日、ショパン博物館が開く前に行きました。
コペルニクスには、ワルシャワの後に行ったクラクフでも会ったので、
詳しくはまたその話の時。

と、明るい話題で始めといて、2日目後半は少し重い。。。



ワジェンキ公園からトラムに乗って街中の方に戻ってきた。
新市街に近い停留所で降りて歩くと、

ワルシャワ蜂起記念碑


中学生か高校生の課外学習中か、学生が先生の説明を受けていた。

ワルシャワ蜂起とは、
第二次世界大戦の末期、1944年にナチスに対して市民が一斉蜂起するも、
ソ連軍の援軍無く、約20万人の死者を出した。

街のそこここに、まだ弾痕が残り、
その死者を悼む碑が掲げられている。(拡大あり)


旧市街市場広場


映画「戦場のピアニスト」を観た人はイメージできると思うが、
大戦中にこの街は徹底的に破壊された。

だが、市民はがれきを集め、資料を見つけ、
大戦前の建物を、街を、ひびの1本まで復元して再興したのだ。

新市街王宮広場


ポーランド人のこういう執念って凄いと思う。
新しいのを作っちゃわないのよ。

日本って壊れたら、それを機会に新しくしちゃうでしょ。
元通りではなくて、もっといい物にしちゃいましょうって考え。
 
それはともかく、
大学を卒業したての頃、岩波ホールで観たアンジェ・ワイダの作品や、
友人に勧められて読んだ本の印象が強く、
破壊されきった街の再興された姿をゆっくりと観たかったのだ。。。

。。。。。

のだが、市場広場は掘り返して工事中。
狭い道に人が溢れてて、
王宮広場に着いたときには、こってこてに疲れ切り、
お茶をする気さえなくなり、
やっとこさっとこでトラムに乗ってホテルに戻ったのであ~る。 

 

ヴィスワ川沿いに歩いたり、
文化科学宮殿に行ったりもしたかったのだけど、
時間と体力が足らん。

あ、マリ・キュリー博物館(生家)へは行ったよ。
キュリー夫人の実験道具とか見て~、
やっぱり再生不良性貧血で死んだのね~とか言って。。。
だって放射線の恐ろしさを知らない時代。
手作業で実験してるんだもん。
そりゃ、被爆するわなぁ。 

 これでワルシャワはだいたい終わり。
翌朝、クラクフへ発ちます。
(たりぃら~らら~らら~らぁ~ら~~~♪) 

つづく

食事編は後日まとめます。 


歩け歩けのポーランド紀行 その2

2013-09-11 01:50:54 | ポーランド

2日目、前日快晴の下歩き回った疲れがあるので、
トラムを利用しまくることにする。



どうもトラム路線mapが解りにくくて、
乗ったトラムが違う方向へ行ったりして、乗り換えたりする。
停留所の時刻表をよく見て確認しなきゃダメだ~。

で、やって来ましたワジェンキ公園

ショパン像で有名。


ショパンの目線の先(?)に、リストがいたーーー。


大きさが違いすぎるー。

周りはバラ園。


 ←で大きさチェック!

この公園はワジェンキ宮殿(ポーランド最後の王ポニャトフスキの離宮)で、
ショパンの像はここの一角にある。
ワルシャワのシンボル、ポーランド人の魂的な像で、市民に愛されている。
そのため、ドイツは真っ先にこの像を破壊したんだな。
戦後、復元されたこの像の下、夏の日曜日はコンサートが行われるらしいんだけど、
今回は日程的に残念。

この後、生家のジェラゾヴァ・ヴォラ(ワルシャワから50㎞西)へ行くって言う案もあったんだけど、
ショパンは生まれて半年ぐらいで引っ越しちゃってるって言うし、
博物館になってるそうなんだけど、
あっさりパスしちゃいました。
だって、前日にくたびれちゃったんだも~ん。
土曜コンサートもやってたんだけど、
前日堪能しちゃったからね。

で、公園=離宮を散策。



そんなに人を怖がらないリスさんとか、


クジャク(雌)


クジャク(雄)もいたりして、楽しいなぁ。


さて、お腹が減ってきたので、旧市街&新市街へトラムで移動。

・・・の前に、トイレ!
これがなかなか無い!
お金を払ってもいいからさぁ、そこここにあってほしいのよ。
あっちだ、こっちだと教えられるも、たどり着けず、
結局アイスを売ってた所の前で入れることに。
それがね、男女1つずつしか無い。

で、ここでお勉強。
男性マークは△か▽
女性マークは〇

ありり~?
先頭の男性、〇に入っちゃったぞー。
で、△が空いたんで、女性が「まいっかぁ~。」って入っちゃった。
で、私の番になっても〇に入った男性が出てこないんで、
△に入った。
そしたらね、後ろの方にいたおじいちゃんがダンナに。
「△は男性用だ!」って憮然として言うんだって。
だから、ダンナは「〇に男性が入ってる。」って言ったら黙っちゃったんだそう。
そ~れで、私が出た時じいちゃんが何か言いたげだったんだな~。
と言う訳で、ダンナは〇に入ってた。
おかしかこつ、あるもんね~。

続きは次回。




ところで、初日のショパン関係で観た所が抜けてた。

ヴィジテック教会


大戦で大きく破壊されなかったおかげで、
内部の美しいロココ調装飾が残っている。



ショパンはワルシャワ高等学校時代、
この教会の日曜ミサでオルガンを弾く栄誉を与えられた。

当時からのパイプオルガン。
(ショパンが弾いた当時のパイプが2~3本残っている。)

つづく


歩け歩けのポーランド紀行 その1

2013-09-10 01:18:44 | ポーランド


なんかカッコいいタイトルをつけようかと思ったけど、
ガラではないのでやめて、だらだらと書き綴る旅行記でふ。

とは言え、ポーランドと言えば、偉人も多いし、歴史もかなり複雑。
考えることも多い旅になりました。

先ずは商売柄、ショパンで。。。

写真表示の日時は日本設定のままなので悪しからず。

29日に成田を発ち、ミュンヘン経由で同日夜ワルシャワ着。

翌日、早速ショパン詣で

聖十字架教会


この柱に
 

ショパンの心臓が埋葬されている。

 

1772年~ロシア・プロイセン・オーストリアの三国干渉により国土は分割され、
ポーランド王国は消滅した。
そのため20歳でワルシャワを出て以来、生涯帰る事が出来なかったショパンは、
死んだら心臓だけでもポーランドに帰りたいと願い、
死後その通りに成されたのだ。

祖国を失うというのは、どういう事なのだろう。
その想いは、私たち日本人には解りえないかもしれないけれど、
少しでも感じることが出来たら。。。と思う旅の始まりであった。



と言う訳で、ショパン・ミュージアム


11時開館のため、早めに行って並ぶ。ってか待機。



通りの反対側にはショパンの顔。



こちらは音楽祭のポスター

博物館のチケットはネット予約で買う予定だったのだけど、
サーバーエラーが出て、最後まで買えなかったので、
早くに行ってチケットを買う必要があったのだ。 
でも、結果的にそんなに早く行かないでも大丈夫だった。
平日だったからかな。

どこからかの個性的な風貌のおじさん旅行者と3人で待っただけ。
他は開館ちょっと前に現れた。 

博物館の内容は、彼の手紙や楽譜の草稿など、
オーディオもあって、なかなか工夫された展示。
外国人には解りにくいけどね。
引き出しを開けると、楽譜が観れて音が鳴る仕組みは面白かったけど、
他の人が一緒に開けるとかぶっちゃうんだ。
ちょっと惜しい感じの展示もあったけど、量的には満腹。
 
次は・・・・ 

ショパンのサロン@旧クラシンスキ宮殿
 

ここが分かりにくい!
入口に何も書いてない!!
美術学校の一角なんで、階段を上る間ムサ美みたいな匂い~~。 (油科!)
で、中はショパン家族が住んでたリビングを再現。
ショパンが使ったのではないけど、当時のフォルテピアノが置いてあり、
雰囲気は伝わる。

クラクフ郊外通り(ワルシャワ旧市街のメインストリート)のベンチ
座るとショパンの曲が流れる


さて、、、これからがお楽しみ。

フィルハーモニー小ホール
 

ショパン美術館で 第9回「ショパンとそのヨーロッパ」国際音楽祭のチケットを購入。
30日は、17時から大好きなピアニストのディーナ・ヨッフェの一人コンチェルト 。

大ホール
 

20時からはコンチェルト三昧の夕べ

えへへ、ハシゴしちゃいました。

一人コンチェルトは、本来オーケストラが演奏する分も自分でピアノで弾き、
もちろんソロ部分も弾くから、大忙し。
体力的にも技術的にも相当力が無ければできない。
それを2曲も!!
ショパンのコンチェルトOp.11とOp.21
凄いわ!凄すぎる!!
ただ凄いだけじゃなくて、音楽の造りが明確。
歌う所は美しく歌い、力強い所はもちろん男性並みの音量。
ただ、オケとソロを弾くと、同時に進行している部分で厚みが足らなくなって、
音楽が単調になるのは仕方ないか。。。

ディーナ・ヨッフェは、ツィメルマンがショパンコンクールで1位を取った時の2位。
ツィメ様も大好きだけど、ちょっと繊細すぎて、
まぁ、ショパンは病弱だったしな。。。的な演奏だったりする。(個人的な見解)
なので、ヨッフェの演奏は久々にショパンはこれでもいいんだ! 
と思わせてくれる、私には救世主のような演奏だった。
そもそも、この時の順位には政治的な動きもあったようだし。
この話しはまた別の機会に。。。 

夜の部は
1曲目はP・シマンスキーのオケ作品。
2曲目はベンジャミン・ブリテンのP協奏曲。よう解らん。途中で寝た。
すまぬ。ベンジャミン・グローヴナー。君は良かった。
しかし、時差ボケに無調はきつかった。

3曲目は、チャイコフスキーのコンチェルト Op.23
これが!ピアニスト(ネルソン・ゲルナー)がオケを煽る!!
走るんじゃないんだけど、イケイケどんどん!
オケは付いて行けるのか。。。ハラハラハラハラ・・・・。
指揮とオケになると落ち着こうとするんだけど、
そんなことは許しません!バンバン!!
最後のオクターブまで、ノンストップで演奏しきりましたよ、彼は。
無事に終わった時の指揮者(アレキサンダー・リーブライヒ)とオケ(ナロドヴァ放送交響楽団)のホッとした顔。 
こんなに手に汗握るチャイコは初めて。

と言う訳で、初日早々、もう日本に帰ってもいいや!ぐらい満足した一日だった。
 



ところで、 
前出のどこからかの個性的な風貌のおじさん、
ディーナ・ヨッフェの時にも会った。
彼は私たちがチケットを買ってるのを見て、自分も!と思ったのだそうだ。
なんで話したかと言うと、博物館の開館待ちの時に、
「ここは博物館のチケット売り場か?」と聞かれたのだ。
それとお互い個性的だから(片っぽはアジア人だし、片っぽはアーティスト風フリーターみたいな)
記憶にインプットされちゃったんだな。

彼は朝見かけたまんまのかっこだったけど、
こっちは一度ホテルに戻って着替えて来たから、ワンピ&スーツ。
「あら、エレガントね~。」と彼に褒められた。(語調はあくまでもイメージです。) 
ブエノスアイレスから来て、翌日帰るのだそうで、
ちょっとした国際交流。
袖振り合うも他生の縁ってやつだね。 
彼はコンサートで満足したかな。。。

さて、ワルシャワはもう1日あります。
ショパンだけじゃないぞ~~~。

つづく