ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ゴスペルを聴きながら

2013年05月04日 | 随想

Truevine  昨日行われた「TrueVineとPeacefulのジョイントコンサート」(右イラスト)は感動的だった。歌詞がこころにズンズン入ってくる感じは初体験だった。そんな場の空気があったせいか、観客はみな砂漠に雨が降るように、吸い込まれるように聴いており、気が付けば歌い手の方も時間を忘れて次から次へと歌っていた、そんな感じだった。同時に観客が少人数だったので「贅沢だ」とか「モッタイナイ」という、もっと多くの人にこんな素晴らしいものを・・・・と悔しい気持ちも同時に感じながら聴いていた。

 ところでゴスペルは歌のジャンルとして確立されているが、ソロシンガーとバックコーラスの掛け合わせとか、コーラス的にハーモニーとかをあまり重視せず、ソウルで行くという点が独特だ。要するにリズムさえ合えば、多少音痴でも思いっきり歌っていいのだ。拍手
 この日、コンサートの終了後に初めて参加されたご婦人から、「みなさんはクリスチャンみたいですが、ノンクリスチャンも加わって歌えるのでしょうか?」と質問をいただいた。もちろん「歌うのはノンクリスチャンであろうと、なんら問題ありません」と答えたのだが、ではゴスペルの歴史というものに以下、簡単に触れたい。(次はWikipediaの説明)

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Gospel2  奴隷と してアメリカ大陸に連行されたアフリカ人は彼ら独自の言語・宗教などをいっさい剥奪された。その苦しい状況下で、彼らのうちのある人々は、救いを与えるゴスペル(福音)と出会い、個人的なキリスト教への改心を経て、神に彼ら独自の賛美をささげるようになった。こうしてアフリカ特有の跳躍するリズム、ブルー・ノート・スケールや口承の伝統などとヨーロッパ賛美歌などの音楽的・詩的感性が融合してスピリチュアル(黒人霊歌 negro spiritual などとも言う)という現在のゴスペルの基調となる音楽が生まれた。
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 ここにあるように、ゴスペルとはアフリカ大陸から奴隷狩りとして拉致され、命からがら新大陸に連れて来られた黒人たちが、クリスチャンとなって神に捧げるようになった祈りの歌である。キリスト教は憎い白人たちの宗教であったが、しかしこの宗教は「神の前に人はみな平等」という驚くべきものだった。黒人たちは白人たちにでは無く、自分たちを平しく扱ってくれる真実の神によりどころを見出し、こころを注いで賛美したのがゴスペルなのだ。

 最近公開された映画「リンカーン」は30万人以上の戦死者を出しながら、白人自らの手で黒人解放を実現させた実話である。やや少し前、英国内の奴隷売買を禁じた法律制定を描いた映画「アメージング・グレース」も白人自らによるものだった。これらいずれも「人はみな平等である」とした聖書とキリスト教の影響を受けているのは当然だ。無論あまりにも多くの問題が、キリスト教社会にはあった。しかし同時に人類の歴史の中で、このような人間としての「平等」普遍的価値観を実現させてきたのも、他ならぬキリスト教社会だけである。だからゴスペルはクリスチャンだけのものでは無く、人類全体へのものである。と同時にその対象は、真の神への賛美と祈りである。 ケパ

コメント
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