ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

イスラエル事情 シロへの道とユダヤ人に学ぶこと

2013年11月13日 | 随想

Efraim   旧約聖書のシロに行ったことでの、貴重な体験ができた、その続きの話。

  いよいよ「シロ」に行く日、用意されたバスは意外なものだった。なんと黄色のスクールバスなのである。運転手は新しい人で、頭にユダヤ人のしるしであるキッパをつけているものの、自分の住まいは自治区内にあると後で聞いた。「エエッ」と一瞬思ったが、これらは今日の目的地に関係あるのかも、と私は推察した。

  私たちはエルサレム旧市街のすぐ近く、ザ・ガーデン・チューム(園の墓)に寄って後、すぐにパレスチナ自治区内に入って一路北上した。目的地シロは、直線距離でやく30キロぐらいの距離になる。

Rabi   自治区内に入る時、バスは意外なほどすぐに「OK」が出て、パスポート提示などのチェックを受けることなく、あっさりと入った。黄色のスクールバスと運転手の効果があったのかも知れない。窓外はベニヤミン、すぐにエフライムの土地を通過していく。特徴的なのはうねうねと10㎝から数mの白い岩石層が幾重にも折り重なった地層が続く、かなり起伏が入り組んだ山丘だらけの景観である(上写真)。アカシアやオリーブの木立ちは窪地に、丘は石ころだらけで、わずかに枯れた草が点々とする大地である。古代からの道らしく、バスは山丘を巧みにじくぐり抜けていく。


  めざすシロは意外なほど、その景観のただ中にあった。そこで待っていたのは遺跡発掘兼、ガイドという感じの人(中写真)。しかし、ちょっと話を聞くだけでわかる、聖書理解の深さ。それから察しShiro_museum_2てどうも「ラビ(ユダヤ教の教師)」ではないかと思わせられた。正直、旧約聖書に関しては完全にシャッポを脱がざるを得なかった・・・・悔しいが。実際彼からいろいろな話を聞いたが、ちょっと専門的なので割愛する。しかし聖書の地に住み、生きている彼から、たとえて言えば富士山の5合目以上からしか知らない私たちに対し、そのはるかなふもとから山全体を見ているような、そんな知識の広さが印象的であった。

  私たちクリスチャンは新約聖書が中心であって、旧約聖書は新約聖書に導く存在である。イエス・キリストをメシアと認めないユダヤ教には、旧約聖書しかない。これは致命的な問題ではあるにしても、旧約に関してはユダヤ人の彼らから謙虚に学ぶものが相当あると感じた。新約聖書をより深く理解するという目的においてではあるが。

  (下写真はシロの歴史や景観をビジュアルに見せてくれる立派な施設)  ケパ 

コメント
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