ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

ついに、iPadのトラブル解決!

2013年11月14日 | PC モノ 便利

Ipad   ずっとイスラエルシリーズなのに、ここでちょっと変わった話題。

  実は9月初旬から私のiPad(アイパッド)に問題が発生していた。というのは、パソコンのiTune(アイチューン)と「同期がいつまでたっても完了しない」というトラブルだ。これは重大なことであって、これを解決しないことには、今後いっさいの新しい曲など、いろいろなファイルがiPadに覚えさせられないことになる。インターネットやメール、それまでに保存できたものは使えるが、いずれはiPad本体まで動かせなくなってしまう可能性すらある。それであらゆる努力をするのだが、まったくダメだった。

※iTunes(下の写真) ~ パソコンのソフト。iPhoneやiPadを飛行機に例えれば、その空母とか飛行基地になるもの。USBケーブルで接続し、バックアップや新しいファイルやソフトのインストール、iOS(iPhoneなどでアプリを動かす土台)の更新などをする。特にたくさんの音楽ファイルやビデオなどの整理は、iTunesでないと実質不可能だ。


Itunes   その努力というのは、まずアップルのFAQやトラブル例を調べたり、ネットで似たような症状の直し方などを探し、徹底的にやってみることだった。ずいぶん時間がかかったが、すべてアウト。徒労感が漂う。ここまで重篤な事態は、30年に及ぶパソコンキャリアがある私でも初めての経験だった。実は祈っても、あまり力を入れずに祈ってしまった(自分の力を過信していた)せいか、開かれることはなかった。


  思いあまって最後の生命線、アップルのサポートに電話したのが、9月中旬だった。アップルケアが切れる寸前だった。しかしそこでの対応も、ある意味で一通りのもので、バックアップをとり、iPadをフォーマット後再起動させる・・・・・云々であって、実際に作業を完了しても、はたしてトラブルは微動だにせずガンと居座っていた。かなりの失望を味わっていた。

Photo
  それから船橋カリスマ聖会、イスラエル派遣など忙しい10月を終え、4日前に帰国。疲れが取れて、まず懸案事項であるiPadに取りかかった。ふたたびアップルのサポートに電話し、経緯と対応を求めたが、2,3人の女性に回されその都度指示通りに試したが、やはりダメであった。最後には「本体のiPadを交換しましょうか」などという話にもなった。しかし私は、これはiPadではなく、パソコンのiTunes側に問題があることを予測しており、失望が繰り返された。しかし私は前回と違って執拗だった。目はギラギラと燃えていたに違いない。「絶対に解決する」と。こうなるともう執念である。電話の向こうで、人が変わっていく都度、レベルの高いサポーターになっていくのがわかる。3,4時間経過して、夜遅くなって(つまり普通は終了している時間帯に)、とうとうおそらくはサポートの真打ちが、それは男性であったのだが、私の相手をしてくれた。「必ず直しましょう、私はそれまで必ず対応します」と。


  不思議なことに、相手がどのくらいできる人物なのか、最初の数回の言葉のやりとりで「ピン」とわかるものだ。医者が診断をくだすのに、原因の見当がつかないので、思いつく限りの試行錯誤的な検査をしようとしているのか、あるいは「当たり」があって、ただその確認をしようとしているのかの違いだ。私は前者で半死半生の目に遭った人を幾人か知っている。「やったぞ、これで直る」と直る前から私は思った。

  結局、少し時間がかかったが、原因はある一つのアプリ(おそらくは写真修正アプリ)が、自身が開けないファイル(普通はjpegというものなのだが、「.CR2」という写真の未現像RAWファイル)を読みにかかって憤死状態に陥っていたことにあったようだ。iTunes内にあるアプリを一つ一つ、しらみつぶしに消去を繰り返し、チェックを繰り返し、ついに突きとめることができたのだった。彼と共に作業を開始したのがpm7時、すべて解決し終わってみるとpm9時をかなり過ぎていた。これで私のiPadは再び健康に、生き生きと動き始めたのだった。こうして半日以上にわたる、およそ4,5人のアップルサポートさんとの長い時間が終わった。

  今回のトラブルは、①iPadやiOSに何か故障や問題があったのではない。②パソコン側のiTunesに問題があったのではない。トラブルのほとんどは当然、この両者なのだが違った。これでは原因がわからない訳である。ただ一つのアプリが、読み込めないものを読み込みかけて、突然死したことにある。Windowsの場合はそれだけでパソコンは止まってしまうが、マックのiOSは健気に動き続けてくれた、逆にそこに発見の難しさが生じてしまったのである。こうしてみると両者のOSの違い、完成度というものがよくわかる。


  ふと気がついてみると、信仰も似たようなものだと思った。初めから神さまに熱心に祈り求めれば良いのだが、人間には自分を信じ、もがき苦しむ時間がないとすぐには、そうは行かないものだ。けれども「真の神と出会いたい、真理を求めたい、それは必ず在るはずだ」と信じ、執拗に求め続けていけば、ある日ある時、願いがかなうものだ。求め続けること、それが多くの人にとって、唯一の方法なのだと。   ケパ

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