このかなり大きな虫眼鏡、私が田舎の実家を出る時に、厳選したグッズの一つだった。五十代の半ばとなると、それまで(爺くさくて)見向きもしなかったものが、ありがたくなる。喜んでいいのか、悲しんでいいのか、複雑な心境ではあるが。

今日発見するまで、てっきり父のものだと思っていた。父と母がこの虫眼鏡を取り合って、新聞を読んでいた姿は、実はあまり見たくはなかった。両親の老いと、家庭を持ち一人前の社会人となった自分、いわば代替わりを自覚をさせられたワンシーンでもあった。で、いつの間にか、私たちがそうなってしまっていることに、なんだかまだしっくりしない変な感じがする。

ところで、今日この大型虫眼鏡、レンズが外れてさあ大変、ちょうどよいのでお掃除をと、よく見ていたらレンズ挟みに何やら書いてある。見覚えのある母の字で、「おじいちゃんが残してくれた」とある。エエッ、おじいちゃん? そう言えば私が七、八歳で亡くなった祖父が、敷地内の隠居小屋で、新聞や本を虫眼鏡片手に読んでいたなぁー、と思い出す。つまりこれは三代にわたっての虫眼鏡。すごい! ケパ

今日発見するまで、てっきり父のものだと思っていた。父と母がこの虫眼鏡を取り合って、新聞を読んでいた姿は、実はあまり見たくはなかった。両親の老いと、家庭を持ち一人前の社会人となった自分、いわば代替わりを自覚をさせられたワンシーンでもあった。で、いつの間にか、私たちがそうなってしまっていることに、なんだかまだしっくりしない変な感じがする。

ところで、今日この大型虫眼鏡、レンズが外れてさあ大変、ちょうどよいのでお掃除をと、よく見ていたらレンズ挟みに何やら書いてある。見覚えのある母の字で、「おじいちゃんが残してくれた」とある。エエッ、おじいちゃん? そう言えば私が七、八歳で亡くなった祖父が、敷地内の隠居小屋で、新聞や本を虫眼鏡片手に読んでいたなぁー、と思い出す。つまりこれは三代にわたっての虫眼鏡。すごい! ケパ