ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

歯無し寸前が牧師になった話

2017年10月11日 | 使命
※通っている歯科医院のディスプレイ表示。
「現在、あなたが生まれ持っている歯にまさるものは存在しません。」それを生涯維持しようとすることをデンタルIQと言います。(そのディスプレイがあるかかりつけの医院)

私は若い時から歯医者は痛いからイヤだった。もっとも好きな人は多くないと思う。それでも痛ければ行くしかない。そんな逃げ腰でやむなく行く時の治療とは、抜歯とブリッジ、よくてクラウンをかぶせて銀歯になるか差し歯であった。要するにその場しのぎでしかない。まさにデンタルIQはゼロ人間だった。

四十代後半になると、虫歯、歯槽膿漏で私の歯は総入れ歯まで、カウントダウン状態になった。父と母は五十代でなったので、そんなものかな、と。

そんな投げやりな意識が変わったのは、五十代のはじめに部分入れ歯をしてからだった。その入れ歯が安定しないので、始終気になる。噛みにくい、しゃべっても「フガフガ」と発音不明瞭。これは仕事に差し支えが出た。

決定的だったのは聖霊のバプテスマを受け、自分の召しを祈った時、「あなたを牧師として召す」と語られたことだった。現状のフガフガでは、話すのが命なのに、歯無しでは牧師が話にならないではないか。

それで「どうしたらよいでしょうか」と祈ると、「歯の良き管理者ではなかったことを悔い改め、心を入れ替え、崩壊寸前でも治療してくれる医師の所に行きなさい」と示しがあった。

ナイアガラの滝の滝つぼ寸前に立っているような私にも、さじを投げず、診てくれそうな歯科医、それには実は心当たりがあった。校医で春の定期だけでなく、秋にも進んで来てくれ、ブラッシング指導の衛生士まで連れて来る方だった。(写真は本文とは無関係です)

果たせるかな、意を決して行くと一瞥で「どういう気か?」と聞かれた。もちろん召しに応じるため、悔い改めて一大決心して来たので、その事を告げた。医師はしばらく考え、「それでは必ず毎週来るか?」とだけ私に聞いた。「はい!必ず!」と私。

この時、まさか毎週が何年も続くとは思わなかったし、東京に来てからだって、隔週通いが今日まで十年以上も続けるとまでは、予想だにできなかった。しかし全崩壊寸前だった私の歯は、かろうじて立ち止まり、今ではインプラントのおかげで入れ歯無しの、普通に話せる牧師であり続けている。召しに従いたい思いがこれを支えたのだ。

現在私のデンタルIQは高い。残り少ないが、生まれ持っている歯にまさる歯は無く、残っている自分の歯は宝石以上のものだ。逃げてはだめ。歯科医院に積極的に通い、日々のブラッシングに精を出し、攻め続けること以外に、歯を守る道はないと心得ている。





ケパ




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