ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』
これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

神に愛された人

2014年08月22日 | 信仰

 私は小さい頃から物事を否定的に考え、受け取る傾向があって、皮肉屋で、冷笑的だった。盲腸で入院した時、見舞いに来てくれた近所の友だちを、追い返したほどだった。だから書物だけが友だちの、孤独で、かなり可愛くない子どもだったと思う。いじめられたことを前々回書いたが、標的にされるのも、うなづける状態だった。内心はどんなに、人とのふれあい、愛を求めていても、まずそんな自分を知られないようにし、高慢であり続け、守ることで十代前半まで生きていた。

Baptism_49

 いつもそんなあり様が苦しくて、子どもなのに死ぬことを考えていた。だから12才でジッドの「狭き門」を読んだ時、恋愛することより、神への愛を優先する愛の形に衝撃を受けた。そして「これだ!」と思った。この神が真の神で、私の神だと知ったのだった。

 クリスチャンになった多くの人は、それまでの人生のどこかでミッションスクールに行ったとか、幼稚園がキリスト教式だとか、幸運なことに親族にクリスチャンが居たとか、あるいは近くに教会があった、そんな方が多い。キャンパスや路傍で伝道されて信じたという人は、割合的には意外と少ない。しかし私のように、上掲のいずれにも当てはまらない、導く人皆無で、なおかつクリスチャンになろうとし、実際になった人の話は、これまで一度も耳にしたことがない。神は伝道がどんなに不可能な場合でも、信じる者を起こそうとされれば、それはその通りに成ることの実例がこの私である。

 しかし、幸せで、善良な少年が信じたのではない。中学から私学へ通わされながら、へそ曲がりでその心は愛に飢え、乾ききった、死への甘美な誘惑に常に誘われていた少年が、救われたのである。自分に希望を持てない、頭でっかちで鼻持ちならない高慢な少年が、である。実に逆転である。


 神さまは人の目には不思議なことをされる。牧師になろうと献身して神学校に入ったとたんに、妻を失った人。また、神学校を卒業してこれからという時に、生死をさまよう病に倒れる。牧師を全面的に支援しようと、立ち上がったばかりの信徒の愛息が、直後に事故死する。神を信じる者に良いことが起こるのならわか
るが、これは反対ばかりである。

 しかし実は、これらは神に愛されている人々である証拠なのだ。聖書にはこのように私たちに教えている。

「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタ 6:33)

 このことばに「ふんふん、良いこと言っておるわい」では甘い。聞き流すのではなく、これは実際に「神さまのことを第一に求めよ」、と言われているのだ。しかしどうして、人間に過ぎないものが、神さま一番に実際に生きられようか?瞬(またた)く間にその頭の中は、神の事など吹き飛んでしまい、この世の事ばかりに支配されてしまうのだ。

 しかしもしその人が、理不尽ともいえる苦しみにあい、生きるのが辛い中で、生きる本当の目的を神に見いだしたとするならどうだろうか。神を呪うのではなく、逆に取り上げられれば取り上げられるほど、細くなった神という一本の糸に、自分の命以上に、神を求め、愛し、神の内に留まることを選んだとすればどうだろうか。これは想像を超えた祝福となる。そう聖書で神が、確証を与えているのだ。

 世のものはやがて、すべて過ぎ去る。しかし神の愛と、神の内にある希望と喜びは、肉体の死すらこれを奪う事は出来ない、永遠のものなのだ。そのために最愛の伴侶の死、行く末の希望であった愛息の死があったとすれば、なんと神に愛された人なのだろうと思う。しばしば、神は世でもっとも愛するものを、奪われる(正確には、許される)。伴侶も息子も、天で甲斐あったと手を打って喜ぶ事だろう。

 天の神の為さる事は、人智をはるかに越えたものである。   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今広島では

2014年08月21日 | 自然

昨日の衝撃的な土砂災害は、6月にも帰広した広島市内からケパさんの実家やお姉さん宅に行くは必ず通り道沿いで見ていた風景でもあった。Photo_2

 

あまりにも大きな災害となって、災害の大きな地域に隣接する地域に居する姉家族が心配になった。姪にMailしたりケパさんは電話連絡したりと心配。

 

気になったのは姉夫妻の営業する茶房&工房「金木犀・銀木犀」は大丈夫だろうか・・・と、茶房のすぐ横には川が流れているから。

  

夕方になってようやく一枚の画像で様子が送られてきた。横を流れる川が決壊したのだろうか・・・ハーブやバラなど花で埋もれていたアプローチは今は泥で覆われているようす。土砂をかたづける作業の写真から庭の様子が想像できた。

    

実は私の実家も農業用水せぎが目の前を流れていたので、大水の時の増水で怖いと何度か思ったことが思い出された。また、妹の住む地域では千曲川へ入り込む小さな川が決壊して団地内が水で覆われ、畳を外し2階へPhoto_2避難した事が何度か。柱にはその水の浸かった位置がはっきりと残っていた。その地域はかつては沼地で、人々はけして家を建てなかった地域だっ たとか・・・

    

確かに今回の災害を思ったら、この茶房は大きな被害ではない。でも近辺の様子を目の当たりに見た地元の人々はどのような小さな災害であったとしても、深く深く心が痛まれたことだろと思う。

 

災害が起きるのはいつどこでも起きるだろうと。あらためて聖書に書かれている事が脳内をめぐった。

 

そして少しでも早くの復興があることを祈った。ドルカス

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広島の大規模土砂災害

2014年08月20日 | 祈り

 Photo 今朝起きた豪雨による広島の大規模な土砂災害、犠牲者は50人近くになりそうだ。

 実は私は現職時代に、この辺りをホームグランドとしており、よく知っている地域だった。最近も里帰りした時、梅林地区(今回の被害地→写真)の高台を見て、「あんな高い所まで家を造って、どうして許可が出たのだろうか?」と疑問に思っていた所だ。今回のようなことは想定できる危険な所であって、宅地の造成許可が降りたこと自体が疑問だ。「きっと砂防ダムでも出来たのだろう」と思っていたが、そうではなかったようだ。亡くなった人たちを悼むと共に、建てる権利と規制がうまく行かなかった犠牲者だと、感じさせられた。

 それにしても、異常な豪雨が最近多い。東京などの熱帯気団が遠因で、これほど異常な雨が広島に降ったとのこと。地球がおかしくなってきているとも感じる。

 ところで最近私たちの群れでは、聖書の黙示録の解き明かしが進んでいる。災害に備えるのは必須であるが、あらかじめこの地球と世界がどうなっていくのか、神の計画のあらまし知っておくことは、どんな災害に対しても大きな守りとなっていることを痛感する。  ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「Stand by me ドラえもん」

2014年08月18日 | 映画•映像

 ふつうに言えば子ども映画である。それを60代の私たちが観た。一昔前の手描き風のアニメとDraemon1異なって、デジタル画像の美しさに、隔世の感がある。私の子ども時代は鉄人28号とか、明智少年探偵団の時代だったので、これはかつて我が子と一緒に観ていた懐かしさである。今年、藤子・F・不二雄は80才だそうである。

 映画ではドラえもんと別れなければならないことを自覚したのび太は、ある行動に出る。これまでドラえもんに頼っていた、いじめっ子ジャイアンとの壮絶なバトルである。殴られても投げられても、食らいついていくのび太。それはドラえもんに頼れなくなったという、追い詰められ、窮鼠猫を噛む的な行動なのか、あるいはドラえもんを安心させて送り出そうとするのび太の思いやりの心のどちらだったのだろうか?

 わたしものび太の頃、隣近所の3人組につねにいじめられていた。帰り道待ち伏せされ、集
団でやられる。近所の大人は見て見ぬ振りであった。ある時私は、我慢も限界に達し、もうこれ以上は耐えられないと思った。これ以上やられるのでは、もう死んだ方がマシだと思い、どうせ首をくくるのなら、相手に痛い思いをさせてからでないと気が済まないと思った。抵抗すれば余計やられるのは覚悟だった。しかしどんなに殴られても蹴られても、たとえ一発でもよいDraemon2、相手にも痛い思いをさせてやろう。
 実行の時、反撃をまんべんなくするのではなく、3人の内の一人に徹底的に集
中してすることにした。当然やられるが、それはいつものことである。私は徹底的に一人に襲いかかって行った。ついにその子が逃げ出した。私は追いかけ、逃げ込んだその子の家にも土足で上がって、泣くまで徹底的に殴りつけた。当時の子どものけんかは、泣いたら負けで、もうそれ以上はやってはいけなかった。映画ののび太とよく似ている。この時も大人たちは、まったく見て見ぬ振りで、その子の親は何も言ってこなかったし、土足にもクレームが来なかった。
 
 翌日からまったく形勢は一転した。彼らが私を避けるようになったのだ。実にあざやかな逆転である。たとえようもなく痛快だった。重い雲がさっ
Photoと開けて、まぶしい太陽が射してきた感じだった。のび太ではないが、びくびくとおびえていては人間、小さくなるばかりである。しかし堂々と歩ければ、自分の前に世界が広がっていることがわかった。

 すばらしい転機だった。大人たちの不干渉は、今となってはありがたく思うようになった。もし自分で、殴られようとどうしようと、恐怖に打ち勝って戦うことをつかんでいなければ、
生きる力が未だに弱い、情けない男になっていただろうと思う。

 その点だけから言えば、今はあまりにも過保護であり、どんな世界にもある理不尽な人間の感情、いじめを克服し打ち勝つ力を奪っているとすら思う。その機会は子ども時代でなければならない。もし子どもの時に、克服する道をつかむことなく、大人になって似た状況に陥った際、もしクリスチャンでなかったなら、自殺しか考えようとしないのではないか。   ケパ

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

8月17日

2014年08月17日 | 教会のこと

8月17日
船橋キリスト教会の主日礼拝。今日も始まります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンサートが終わり

2014年08月16日 | ゴスペル

コンサートが終わり
各グループとも、それぞれすばらしかった。ぐっと迫るものを感じさせるチーム、爽やかな笑顔が絶えないチーム、ハーモニーがいいチーム、癒される歌声、元気になるチーム。聴く人々に色々な思いを伝えてくれました。 全てが終わり、ロビーで見送る各チームメンバーの顔は、笑顔で満ちていました。 私たちも良い時を過ごせたこと主に感謝して、夕食を済ませ帰宅しました。 ハレルヤ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コンサート

2014年08月16日 | ゴスペル

今日は都内に杉並区にある座 高円寺で、こころごすぺるコンサートです。Photo_2

今回は教会員の姉妹たちも来れました。七時開演までもうしばらくです。今日はどんなごすぺる聴かせていただけるでしょうか。神様に期待します。今 舞台裏では多くのいのりがあるのでしょう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知の空しさと、あわれみの素晴らしさ

2014年08月15日 | 聖書

 ある家に行くと、とても立派なことば「知恵と慈悲」が飾ってあった。
Photo  曰く、
 「とらわれのない心と
  深い思いやり
  この二つの力が
  世の中を
  幸せにする」

 こういう立派なことばを目にすると、正直私は空しい思いになる。
 どうしてかというと、例えて言うと、すばらしい豪華な自動車があって、喜んで乗り込んだものの、いつまで経っても車は走り出さない。これでは暑くもなるし、快適どころではなく、狭い監獄である。なぜか?この立派な車には、なんとエンジンがない見せかけだけの車だったのである。

 「とらわれのない心」とか「深い思いやり」、それを人はどのようにしてゲットできるのだろうか?どんなに「オッ、いいこと言うね!」と思ったって、まさにそれは絵に描いた餅である。具体的に得るハウツーが内包されていなければ、価値が無いと私は思う。

 反対の例を挙げよう。キリストは「わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない」と幾度も言った。これまで気にも留めていなかったが、ある時から体が震えるほど身に沁みた。
 自分というものが、どれほど愚かで罪深いものか、その罪の重さにうちひしがれた時、そのこと自体が、自らの力で「(神によろこばれようと)いけにえを捧げ」ていたことが分かったのだ。
 ただキリストのあわれみだけが、私の希望であり、力だ・・・・Callこの真理を、このことばは端的に言い表していた。その時以来、私は自分を守る必要がなくなった。惨めであわれな自分が、あわれであるほど、何とキリストの愛をゲットする宝だったのだ。

 最後に、コールが暑い夏を過ごしている写真を載せよう。コールは何か人の役に立つことができているかというと、それはまったくない。しかしコールが共に居て、「ねえ餌ちょうだい」「つまんないから遊んで」とか、こうして「グテー」と寝ているだけで、どれだけ喜びを与えてくれていることか。自分は価値の無いと思っている方、そうではありません。あなたは神さまにとって、コール以上の存在であり、愛されています。   ケパ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ここでもやってるね

2014年08月14日 | PC モノ 便利

ここでもやってるね
昨夜遅く田舎に到着したケパさん。着く早々こちらでも、iPhone&パソコン教室なり!

生徒はわたしの兄。ケパさんはどこへ行っても自分の知ることを分けます。これって天に宝?にならない!かなと、感謝! ドルカス。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

久しぶりに

2014年08月12日 | 生活
田舎から
田舎に来てます。兄夫婦の手伝いのため、姉妹三人揃いました。お喋りの口は止まりませんが、体は動かします。なかなかカシマシイ事ですが、楽しい時間です。 そして夕飯を済ませてから、兄を誘って3人で散歩、安全に気をつけてタスキしてね、ちょっと短めに夜の散歩でした。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする