Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

三脚であたらしい世界を見る

2016年01月10日 | Class
知人のUさんが三脚を買ったというので、その使い方をご教授することになった。



三脚を使う最大の目的は、シャッタースピードが遅くなるときにカメラがブレないようにすることである。
で、どういう場合にシャッタースピードが遅くなるかというと、ISO感度が低い・絞りを絞る・暗いなどの条件が重なった場合だ。
逆に明るい場所か、ISO感度を高くするか、絞りを開ければシャッタースピードは速くなるので、三脚がなくてもブレにくい。
いつも使っているカメラとレンズで、自分がどのくらいのスローシャッターまでブレずに切れるか、それを把握しておくと、三脚を使うべき場面もはっきりしてくる。

それから露出モードをプログラムオートにしていると簡単でいいのだけど、シャッタースピードがいったい何秒で切れているのか、意識できない(しない)ことが多い。それでは三脚を使う場面もわからない。
つまり三脚を使うということは、つねにシャッタースピードを意識していないとその意味がないということだ。なので露出モードは絞り優先ないしはマニュアルにしておく方が、自分のイメージに近い写真が撮れると思う。



三脚を使うもうひとつの目的は、構図とピントを固定するということだ。
これはシャッタースピードが速くても遅くても関係なく、使うべきときは使う。まあ、たいていはスローシャッターになる場合が多いけど。
たとえば人物を撮るときに、いい表情を写すために何枚もシャッターを切るが、人物が動かない場合はピントも動かないので三脚を使って撮る方が撮りやすい。
また商品などの動かない物を撮る場合もおなじで、三脚にカメラを固定しておくと、光の当て方や物の配置などを試行錯誤するのに便利だ。
さらに風景写真でも構図を決めてから太陽光線や雲の表情がよくなるまで待つ場合にも三脚は有効。



このようにいろいろ撮ってみると、三脚が必要なときと不要なときがはっきりしてくる。
いちいち三脚を使うのは時間がかかるし持ち運びも面倒なのだが、三脚を使うと手持ちでは撮れないものが撮れるので、じゃまくさがらずに使ってみるといい。
いままで見えなかった世界が必ず写せます。

過去の作品にふれる

2015年07月15日 | Class
きょうは日本写真映像専門学校の授業にゲストとして呼ばれている。
わたしのほかに内倉真一郎さん、ヨシダミナコさんもいっしょだ。歳ははなれているが、彼らとわたしはこの学校の同級生である。
卒業して13年ほど経つが、いまだに自分の作品を撮りつづけている3人を呼んで、作品を見たり、作品制作の秘話などを聞き出すというのが、きょうの授業のねらいらしい。
これを企画したのは写真学科2年生の担任F先生であるが、じつは彼もわたしたちの同級生で、きょうのために作品の準備などいろいろと動きまわってくれた。ありがとう、F先生。



さて、授業はホスト役のH校長先生の話からはじまり、場がなごんだところで3人のゲストの自己紹介。
そしてスライドを使っての過去の作品の紹介。さらにその作品解説と質疑応答。
おどろいたのは内倉さんの話ぶりだ。学生時代、彼はどちらかというと口べたで、人まえでそれほどうまくしゃべっていた記憶はない。でも、きょうの彼は「ノリにノッている新進気鋭の若手写真家」という感じで、生徒さんたちの注目をあつめていた。すごいね、ウッチー。
あっという間に1時間目がおわり2時間目に突入。途中で休憩をはさみ、今度は最新作の飾ってある教室へ移動する。

そこでも作品の解説と質疑応答をしていたら、なんとあの浅田政志さんが教室に潜入していた。彼は午前中、1年生の授業の講師で来ていたようだ。なんという偶然か。
彼の話ぶりはとても穏やかで、内容も興味深いことばかり。なにより自分のことばでしゃべっているので非常にわかりやすかった。さすがは第一線で活躍している写真家さんである。
木村伊兵衛賞をとった直後はなかなか仕事がなくて、婚礼写真のアルバイトなども掛け持ちでやっていたという。(浅田さんに撮ってもらった婚礼写真ってプレミアムだね)



で、わたしの話はあいかわらずまとまりのない、グダグダな内容になってしまって、生徒さんには有意義な話ではなかっただろうな。すみません。まあ自分なりに過去作品をふりかえることができたのは収穫でした。
3時間の授業のあと、みんなで梅田へくり出して反省慰労会というかプチ同窓会。F先生のことばが耳の奥に残る。

十年を区切りに

2012年03月22日 | Class
いろいろ事情あって、来年度から写真学校の講師を辞めることになった。
わたしのような受賞歴も肩書きもないフリーカメラマンを、よく10年近くも使っていただけたものだと、いまはこの学校に感謝の気持ちしかない。
この先、生徒たちと難波をぶらぶらしたり、靭公園で撮影会をしたり、六甲山へ行くことはもうないのかと思うと少しさみしい気がする。

ふりかえれば授業の内外で、生徒たちが一生懸命に写真を撮る姿を見るのはたのしかった。
いつもそこには若き日の自分を見るような気がして、彼女彼らを見ることで常に自分の足もとを見なおすきっかけになったし、「コイツらには負けられない」という励みにもなった。
よく”先生は生徒から学ぶ”などというが、まさにわたしはそうだったと思う。
彼女彼らの反応を見ながら授業内容を毎年練りなおしては更新していく。週にたった2時間の授業なのに、いつもその何倍もの時間を費やして準備していた。
おかげで写真の技術的なことは自分のなかでよく整理され、どんな素人さんに聞かれてもそれなりに説明できるようにはなった。

少しは役立つ授業ができたかなと思う一方で、写真の撮り方なんて長くやってれば自然と身に付くものだ。そんなことよりもなにをどう表現するか、ということがもっと大切なことで、その部分に対してはわたしの授業はほとんど役には立たなかった。そう考えるとこの10年ほどの仕事はなんだったのかという気もする。
つくづく写真を教えることは難しいと思う。
まあ、この学校を卒業した人間がカメラマンとして細々と仕事をしながら、写真制作をつづける姿を見せることができたのをよしとしよう。

わたしの関わった生徒たちがつぎの10年でどれだけビッグになるか、その姿を見るのがいまからたのしみである。
同時にわたしもビッグになって、「あのマツノ先生に教えてもらったんです」と彼女彼らをしていわしめたい。

技術講座はみんな「優」

2011年09月25日 | Class
写真学校でわたしの担当する「写真技術講座」の成績を今月末までに出さねばならない。
あまり大きな声ではいえないが、わたしはこの成績をつけるという作業が苦痛である。
これまで授業で配布したプリントから問題をつくってペーパーテストをやっていたが、単に知識を問うだけのテストなんて意味がないので、今年はそれをやめてしまった。
替わりにグループごとに実技のテストをおこなうことにする。

あらかじめ予告した6種類の被写体から好きなものを選び、それをスタジオで撮影するというテストだ。
本番までに1週間あるので、グループで撮り方やライティングの練習をすることもできる。
テストはグループみんな(1グループ5人前後)で協力して撮影することが採点のポイントである。
撮影したデータはその場で提出、フォトショでの加工はできない。
いかにクォリティの高い絵が撮れるかも採点のポイント。
かくして実技テストはおこなわれた。



結論からいうと、このテストは採点が困難であった。
「カメラマン以外の人はカメラマンをアシストすること」と指示していたが、じっさいシャッターを切り出すと4人もアシスタントはいらない。
ライトを組むまでは全員で動くけど、後半は動かない人も出てくる。
そこを減点するというのも、なんかちがう気がする。
さらに提出した画像を見て、フレーミングやアングルのまずさをカメラマン一人の責任にすることはできない。
いろいろ撮ったなかから全員で選んだカットなのだから、みんなの責任である。
また、露出の測り方がまちがっていたり、グレーカードでホワイトバランスをとらなかったり、そういうミスも全員の責任といえるだろう。
いろいろ考えていたら、グループのなかで点数の優劣をつけることは難しいという結論になった。
これでは採点の意味がないけれど、べつに優劣つけることが目的じゃないのでかまわないと思う。
テストとはいえ、みんなで協力して一つの写真を撮ったのだから、その経験はつぎに生かされるはずだ。

まあ、じっさいは夏休みの課題との合算で成績をつけるので、若干のばらつきは出た。
それでも課題を提出して、実技テストを受けた人は全員80点以上、つまりみんな「優」なのです。
ははは、甘い先生でしょう。
(でも課題の写真のうらに書いたコメントを読んで、そんなに甘くないことを知るはずだ。おこらないでね)

パリの落雷がグランプリ

2011年09月02日 | Class
きょうは2学期最初の授業、というか前期さいごの授業。
夏休みの課題を提出してもらい、みんなの投票でグランプリを決める。
投票は一人3票で、気に入った作品のボードに直接丸いシールを貼ってもらう。
シールの個数を見れば、何人から支持されたのか一目瞭然だ。



グランプリはクラスの半数以上の支持を集めたCくんの作品だった。
この夏、1ヶ月の旅をして撮った写真だという。
セーヌ川を臨むパリの夕景であるが、その夕焼け空のなかに3本の落雷が写し止められている。
雨が降っているような左半分の暗い空の下にはエッフェル塔も写っている。
現実ばなれした風景だが合成ではなく、本当にこんな風景が目のまえに出現したのである。
この瞬間に出会えること自体が彼の運の強さをあらわしていると思う。
なかなかこんな写真は撮れそうで撮れない。



つづいて準グランプリはDさんの作品。
沖縄は伊江島の海に潜って撮ったものだそうだ。
スクーバダイビングをやったことのある人ならわかるが、海の中って本当に美しい。
とくに水面から降り注ぐ光の束は、神秘的でもう神々しいまでの美しさだ。
それがこの写真には写っている。
サンゴ礁がメインのような構図になっているが、もっと光を見せてもよかったかもしれない。

上の二人の作品からもわかるように、写真ってやはり「なにが写っているか」が重要で、写っているものが素晴らしければなんの説明もいらないものだ。
つまらない写真はそれをごまかすために、写真以外のもので説明したり飾ったりしてしまうのだと思う。