Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

カーネーション大団円

2012年03月31日 | Life
NHKの連続テレビ小説「カーネーション」はいよいよ最終回。
わたしは朝の連ドラをこんなに必死に観たことがない。
それくらい毎日たのしみに観ていた。



このドラマで主人公・小原糸子役が3人出てきたが、注目したのは尾野真千子さんだ。
これまでにもさまざまな映画やドラマに出演しているベテランなので、どこかで目にしているはずなのに、ぜんぜん記憶に残っていない。
このカーネーションを観てはじめて認知した人なのだが、本当にいい俳優だと思う。とくに泣きの演技が最高で、この半年で何度泣かされたか知れない。
小原糸子にぴったりのキャストだった。今後も注目していきたいと思う。

そして尾野真千子さんの演技を光らせたのは、なんといっても渡辺あやさんの脚本の素晴らしさに負うところが大きい。
夫を戦地へ送りだす妻の目線をとおして、戦争の醜さや悲惨さをくっきりと描く一方で、戦後の日本を復興に導いたのはじつは女性たちのがんばりであったこともさらりと語る。
つねに前向きで懸命に生きる糸子だからこそ、紳士服職人の周防さんとの叶わぬ恋にも本気だったし、さいごにその娘さんが登場する場面では、この運命のいたずらになぜか必然を感じて泣けてしまった。
このドラマは徹頭徹尾、小原糸子のまっすぐな人間性に突き動かされる人たちの力強い交流の物語である。

晩年の小原糸子は夏木マリさんが演じたが、関東出身の彼女が岸和田弁を使うのは難しかったようだ。
だが、はじめこそ気になったけれど、途中からはもう気にすることはなくなった。やはり小原糸子という人物像が際立っていたからだと思う。
糸子が老いてゆく姿を見るのは、まだ見ぬ自分の姿を見るようで、たまらなく怖かった。
でも「85歳を超えたら奇跡を見せる資格ができる」という台詞は、そんなわたしにとって衝撃的なことばだった。あの病院でのファッションショーの場面を思い出しただけでも涙が出てくる。(いまホントに泣いてます)

カーネーションはおもしろく「生きる」ということをストレートに見せてくれた。

春景を観にいく

2012年03月27日 | Life
きょうは京都へ一足早い「桜」を観にいく。
桜といっても本物はまだ咲いていないから絵の桜だ。

京阪三条で降りて、鴨川沿いを丸太町通まで歩く。そこから西へ折れて京都御所へ。
あの広々とした空間は、大阪にはない感じなので好きだ。
みんなのんびりしていて、時間のたつのを忘れてしまう。あの塀の向こうに清盛たちが出入りしていたのかと思うと、平安時代にタイムスリップした気分になる。



御所をとおりぬけ、烏丸通を渡ったところに京都ギャラリーはある。ここで開催している「山岸泉淋の世界-春景-」を観る。
彼女の描く桜は日本画らしい淡く繊細な色彩で、ぱっと咲いてはかなく散ってゆく桜の美しさがみごとに表現されている。
雲や川の表現はぜんぜん写実的ではないのに、その平面的な描き方のなかにとても深い奥行きというか、空間を感じる。その中で桜が誇らしげに咲いているように見えるものもあれば、花びらが狂おしく舞っているものもある。
観る者の想像力が桜を揺らし、雲や水を動かす。その自由度が心地よいと思う。



京都ギャラリーは和菓子の虎屋が運営しているギャラリーで、併設している喫茶室でゆっくりお茶を飲むこともできる。
もちろん菓子の販売もしていて、山岸泉淋さんがデザインした干菓子もあります。

Nikon1なら逃さない

2012年03月23日 | Camera
午前中、D保育所の卒園式の予行を見にいく。
卒園式などの撮影で注意するのはシャッタースピードだ。1/60秒くらいだと、歩いたりお辞儀をするシーンではよくブレてしまう。なので最低でも1/125秒はほしい。
この式場は明るい教室なので、ISO800・1/125秒・F7.1・ストロボ天井バウンスで撮れそうだ。



ためし撮りのついでに、Nikon1でも撮ってみた。
すでにいろいろなレビューに書かれていることだが、このカメラのオートフォーカスは相当速い。
コンデジではめずらしい位相差AFとコントラストAFのハイブリッド方式だそうなので、どんな条件でもすばやくフォーカスを合わすことができるらしい。
メカニズムのことはよくわからないが、じっさいに使ってみて感じるのは、その速さよりも迷わずにスッと合う気持ちよさだ。
AFエリアをオートではなく、シングルエリアに設定しておけば、狙ったところに一発で合う。
これくらい速ければ、子供が動きまわるシーンでもまずピントを外すことはないだろう。



加えてEVF(電子ビューファインダー)の出来がとてもいいので、動く被写体でも追いかけやすい。
ためしに両目を開けて覗いてみると、タイムラグがほとんどないことがわかるだろう。一眼レフ機にVRレンズを付けている程度の遅れ方なのである。
以前、D400はもうミラーレスになって、ファインダーもEVFになるだろう、と冗談めかして書いたけど、Nikon1を見ればそれは現実味をおびてくる。

十年を区切りに

2012年03月22日 | Class
いろいろ事情あって、来年度から写真学校の講師を辞めることになった。
わたしのような受賞歴も肩書きもないフリーカメラマンを、よく10年近くも使っていただけたものだと、いまはこの学校に感謝の気持ちしかない。
この先、生徒たちと難波をぶらぶらしたり、靭公園で撮影会をしたり、六甲山へ行くことはもうないのかと思うと少しさみしい気がする。

ふりかえれば授業の内外で、生徒たちが一生懸命に写真を撮る姿を見るのはたのしかった。
いつもそこには若き日の自分を見るような気がして、彼女彼らを見ることで常に自分の足もとを見なおすきっかけになったし、「コイツらには負けられない」という励みにもなった。
よく”先生は生徒から学ぶ”などというが、まさにわたしはそうだったと思う。
彼女彼らの反応を見ながら授業内容を毎年練りなおしては更新していく。週にたった2時間の授業なのに、いつもその何倍もの時間を費やして準備していた。
おかげで写真の技術的なことは自分のなかでよく整理され、どんな素人さんに聞かれてもそれなりに説明できるようにはなった。

少しは役立つ授業ができたかなと思う一方で、写真の撮り方なんて長くやってれば自然と身に付くものだ。そんなことよりもなにをどう表現するか、ということがもっと大切なことで、その部分に対してはわたしの授業はほとんど役には立たなかった。そう考えるとこの10年ほどの仕事はなんだったのかという気もする。
つくづく写真を教えることは難しいと思う。
まあ、この学校を卒業した人間がカメラマンとして細々と仕事をしながら、写真制作をつづける姿を見せることができたのをよしとしよう。

わたしの関わった生徒たちがつぎの10年でどれだけビッグになるか、その姿を見るのがいまからたのしみである。
同時にわたしもビッグになって、「あのマツノ先生に教えてもらったんです」と彼女彼らをしていわしめたい。

センサーサイズと画質は比例するか

2012年03月20日 | Camera
卒業式4連チャンで少々グロッキーだ。
ふだんならこんな休みの日は家でぼーっとしているのだが、きょうはNikon1を連れて散歩に出ることにした。やはり新しいカメラは人生を前向きに、生きいきとさせてくれる。
せっかくなのでD7000もいっしょに撮りくらべしてみた。

ご承知のとおり、Nikon1のセンサーサイズはCXフォーマットと呼ばれ、13.2×8.8mmの大きさである。それに対しDXフォーマットのD7000は23.6×15.6mmであるから、CXの3倍強の大きさをもつ。
ついでにいえばフルサイズ機のセンサーは36×24mmだから、DXの2.3倍、CXの7.4倍もの大きさになる。

一般的にこのセンサーサイズに比例してきれいな写真が撮れると思われているようであるが、必ずしもそうとはいえない。小さなサイズでも十分きれいな写真は撮れる。
プロがフルサイズ機を使うのは、その堅牢性や連写性能、あるいはレンズとの重量バランスといった、画質とはまたちがった基準で選んでいることが多い。中には「わたしはプロです」とわかる格好をしているだけの場合もある。
それはともかく、D7000とNikon1が同じシーンでどの程度の差があるのか、ないのか、たしかめてみたい。



結果は上のとおりで、ほとんど見分けがつかないどころか、Nikon1の方がシャープできれいに見える。このシャープ感のちがいは被写界深度のちがいなのかもしれないが、コントラストの付き方や色の抜け方はどう見てもNikon1の方がいい。こんなことってあるだろうか。
やはり絵づくりのキモはEXPEEDとよばれる映像エンジンにあるようで、D7000はEXPEEDの2型、Nikon1はその3型なので、その差がここに現れたのかもしれない。
あるいは、もっと光の少ない条件の悪いところなら、結果はちがってくるかもしれない。

それにしてもNikon1の写りは予想以上だ。CXフォーマットのセンサーサイズの大きさなんて、画質にほとんど関係がない。小ささを云々する人は使ってみればそれが杞憂であることがわかる。
コイツを持っての夏の撮影旅行がたのしみだ。もしかするとNikon1がメイン機で、D7000がサブ機になってしまうかも。
ちなみにNikon1のバッテリーはD7000と同じ型なので、共用できるというのもうれしい。