Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

吉村昭との出会い

2015年03月18日 | Life
きょうはある小学校の卒業式の撮影。
式では卒業証書の授与のときだけ、一人ひとり撮って、あとのスナップは撮らない。撮りおわったら舞台の袖でしずかに待機しておくのだが、これがけっこう長く感じる。
式がおわると卒業生が退場して教室へいき、小1時間後にふたたび式場へもどってきて、クラスべつに集合写真を撮る。12時すぎに終了。



写真の仕事って、撮ってる時間よりも意外に待ち時間の方が長い。なので本は必須である。
以前、撮影現場で時間つぶしに岩井俊二を読んでいたら、もう一人のカメラマンが「なにを読んでますか?」というのでその本を見せた。
で、そのカメラマンがそのとき読んでいたのが吉村昭であった。

吉村昭は読んだことがなかったので、さっそくわたしも読んでみると非常におもしろくて、それ以来わたしの好きな作家の一人になった。
彼の小説は江戸時代から昭和にかけてのエポックメーキングな事件を、史実にもとづいて物語にしている。戦艦武蔵が有名だ。
ただ年代や場所をあまりにも詳細に書き綴っているので、なんだか歴史の史料を読んでるような場面もあって文章が硬い。

でも、きょうから読みはじめた「羆嵐(くまあらし)」はなかなかテンポと迫力がありおもしろい。現在、北海道の六線沢にてヒグマと戦っているところです。ズキューン(村田銃の音)

病名は突発性脳脊髄炎

2015年03月11日 | Life


愛犬アルタのMRI検査のためにネオ・ベッツVRセンターへいく。この動物病院は二次診療を受ける専門病院なので、行きつけの病院の主治医の紹介状がないと受け入れてもらえない。動物の医療も人間なみに複雑なシステムになっている。
それはともかく、MRIは全身麻酔をかけるので身体への負担が大きい。検査まえに問診票と手術同意書を書かされる。万が一のことがあっても「訴えません」という念書だ。神さまにすがるような思いでそれを提出する。

アルタが検査室に入っていったので一旦家にもどり、特急で受験用の証明写真をしあげる。午後からそれをもって行かねばならない。
それにしても3月に入ってからの忙しさは尋常ではない。毎年、卒業アルバムを納品したらすこしホッとできるのに、今年は就活の証明写真の撮影がうしろにずれ込んできて、さらにイレギュラーな仕事も重なり、とにかく忙しい。
非常にありがたいことではあるが、その間げきをぬってMRI検査に来ている。

2時間ほどで無事に麻酔がさめて、アルタがヨタヨタと検査室から出てきた。
獣医がPCのモニタにMRI画像を映しだし、異常な部分をていねいに説明しだした。それによると小脳に本来あるべき葉脈のようなシワが少なくなっており、白い影が見える。明らかに炎症を起こしているという。
同様に脊髄にもすこし炎症が見られる。これらによって四肢のふるえやマヒを引き起こしていると考えられる。病名は「突発性脳・脊髄炎」だそうだ。

近年、動物の脳医療はすすんできているが、まだまだ解明されていないことが多く、この突発性の脳炎に関しては原因不明で、いまのところ完治する治療法はないという。
ただジステンパーなどのウィルス性の脳炎だとほとんど助からないが、突発性の場合、薬で症状を抑えながらふつうに生活し、寿命を全うする犬も多いという。不幸中の幸いと受けとめたい。

VRセンターから主治医へ検査報告が入り、後日アルタをつれていつもの病院へいく。
主治医から炎症を抑える薬と免疫を抑える薬、ヘルニアに効く痛み止め、さらに薬によって胃が荒れるのでそれを防ぐ胃薬を処方される。
食事の準備がとてもたいへんなのだが、愛するわが子のような存在なので、一日も長くいっしょに暮らしたいと思う。

愛犬がナゾの病いにかかる

2015年03月09日 | Life


わが家で飼っている愛犬アルタは8歳になるオス犬であるが、2月半ばから食欲がなくなり、とうとう立てなくなった。
がんばって立とうとするが身体がゆらゆらと横に揺れて、10秒もしないうちにうしろ脚からへたり込んでしまう。
そんな具合であるから、とても散歩どころではなく、オシッコも床に寝たまま垂れ流し状態だ。

近くの動物病院につれていくと椎間板ヘルニアの症状に似ているが、原因がどこから来ているのかはここでは判断できないという。
とりあえず痛み止めの薬を処方してもらい、ようすを見ることになった。
彼の好物(茹でたサツマイモと鶏ササミ)に小さく砕いた薬を埋め込み、騙しだまし食事を与えると、幸いなことに薬が効き、なんとか立てるようになる。ヨタヨタと足もとはおぼつかないものの、短い散歩には行けるようになった。

 

ところが調子に乗りすぎたのか、三日目でまたもや立てなくなり、あわてて病院にいくとその日は休診日。このまま死んでしまうのではないかと眠れない夜をすごし、つぎの日の朝一番で病院へいく。
反応の悪かったうしろ脚につづき、左のまえ脚にもすこしマヒが見られる。ゆっくり立たせると、身体が左右に揺れてまえ脚が交差する「エックス脚」という症状も出てきた。
これは脳になにか異常があるのではないか。紹介状を書くので、大きな病院でMRI検査を受けた方がいいと獣医がいう。

獣医の勧めにしたがって、つぎの週に検査の予約を入れたが、はたしてその結果はいかに。アルタは生きのびることができるのか。

ニコンの高倍率ズームはどうか

2015年03月07日 | Camera
今週は2つの中学校に卒業アルバムを納品した。
小金が入ったのでさっそくレンズを買う。ニコンの「28-300ミリF3.5-5.6」という高倍率ズームである。
きょうはこのレンズでジャズダンスの発表会を撮る。テスト撮影もせずいきなり本番だなんてちょっと無謀だが、もともと無茶な依頼だからしかたがない。(なにが無茶なのかは割愛)

午前中のゲネプロ(通し稽古)では観客がいないので、舞台かぶりつきで1人または2~3人を大きく写す。きょうの写真はLサイズより一回り大きなサイズで販売するそうなので、まあ厳しい条件下でこれくらい写れば十分だと思う。
しかしこのレンズをD800に付けるとけっこうな重さ(1.9kg)なので、腕力のないわたしには相当つらい。ブラさないように脇をしめて、できるだけ速いシャッタースピードを切った。

←白枠の部分をピクセル等倍に拡大
(ISO5000・1/320秒・F5.6・AWB)

午後からの本番は客席の最後列から舞台全体と数人のヌキ(部分)撮影をする。
13時に第一部がはじまって、第二部がおわったのが20時半。
一脚を使ってはいても、右手の握力はもう限界を超えてほとんど感覚がない。さらに左の肩甲骨の上あたりにしびれのようなコリ感があり、熱をもっている。
メディアカードはクライアントが持って帰ったので正確にはわからないけど、おそらく5000カットは超えているだろう。いやあ、きょうはホントによく撮ったなあ。

「問う」を問う

2015年03月01日 | Photography
写真茶話会RR展はおわった。
「人にはたらく」写真展という意味では、おおむね成功だったのではないか。
会期中、いろいろな出会いや再会があり、出品者それぞれに達成感のある展覧会になったと思う。

ただ、たくさんの人が見に来てくれたというだけでは、本当の成功とはいえない。
人さまに写真を見せるかぎり、その写真で自分のいいたいことが見る人に伝わり、さらに見る人のこころを動かすところまでいかなければダメだ。
それは写真にかぎらず、芸術あるいは表現とよばれるものすべてにいえることだろう。そういう前提で自分の作品を見たとき、はたして今回のわたしの作品はどうであったのか。



わたしが写真に求めているものは現実感すなわちリアリティだ。
「えっ、この写真のどこにリアリティがあるの?」「むしろ逆でしょ?」と感じた人がいるかもしれない。
そう感じてもらえたら成功で、現実の風景を写したのに写真になると現実感がなくなる、その違和感こそがわたしの表現したいことである。
非現実に見える写真がデジタル合成ではなく、「ある瞬間」を切り取ったものであるならば、鑑賞者はやはりその写真の中に現実を見ようとするだろう。そのとき見る人の頭の中であたらしい風景が再構築されるわけである。
その再構築されるイメージがリアルであればあるほど、ことばにできない気持ち悪さが生まれるのだと思う。

つまり現実の風景が写真を通して一度非現実になり、さらに鑑賞者の頭の中で現実になるということだ。
ややこしいことを言っているのではない。そもそも写真というメディアは多かれ少なかれこのような経路をたどって見る人の認識に至るものである。ただ写真に置き換わったときに、現実離れしていない(ホンモノっぽく写っている)写真は、そのまま見る人の記憶や経験とかんたんに重なってイメージされるので、再構築しているにもかかわらずそれを意識することがないだけだ。

わたしはあえて「これ本当の風景なの?」と感じさせるような写真を撮ることで、「写真とはなにか」「現実とはなにか」を問うている。なので今回の展覧会でのわたしのタイトルが「問う」になったというお話。