Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

夏休みの長さに学力との関係はあるか

2013年08月29日 | Life
今年の夏は本当に暑かったので、8月に入ってからは全く走っていなかったが、今週からまたジョギングを再開した。
よくトップアスリートが「1日練習を休んだら、調子を取りもどすのに3日かかる」なんていうけど、わたしのような素人ランナーにはそんなの関係ない。
約3週間ぶりに走ったけど、意外にスイスイと走れた。タイムは10キロを55分くらいで、以前と変わりはない。
ただ、全身の筋肉が痛いのがサボっていた証拠。とくに腹筋が痛む。走るのにけっこう腹筋を使っているんだね。

午後からZ中学校へクラブ写真を撮りにいく。
大阪の中学校は夏休み中に全教室にエアコンが付いたので、夏休みは1週間短縮され、今週からすでに2学期が始まっている。
「暑くて授業にならないから8月末まで夏休みだったけど、エアコン付けたからもう夏休みは終わり」って感じで大阪市の教育委員会が決めたわけだが、教室は涼しくても、やっぱりこう暑くては生徒さんも先生方もエンジンはかからないようだ。
「全国統一学力テストで46位なんだから、もっと危機感をもってやってくださいよ!」と教育委員会のうしろからハシモト市長の声が聞こえて来そうだが、1週間早めたからといって、そんなにかんたんに学力が上がるとは思えない。

まあ、わたしのような門外漢がとやかくいう問題ではないが、子どもの学力というのは教室の中だけでつくものではない。
学校で習ったことを家で復習したり反復することで身についていくのだから、学校以外での学習環境も大切だと思う。
そう考えると、保護者の協力も必要だし、それを得るための地域や社会の在り方も問われてくるだろう。
ご承知のように、大阪市は生活保護を受けている世帯が全国で一番多い。
当然ながら、生活のなかで子どもの教育にかけるお金も多くないだろうし、そんな余裕すらない家庭も多いと思う。
その結果が「学力テスト」に現れているのだから、問題解決の根は深い。

選ばれし者のたのしみ

2013年08月27日 | Life
18歳からバイクに乗りはじめ、この歳まで30年以上も乗りつづけている。
車よりも小回りが利くので目的地まで早く行けるとか、ガソリン1リットルで30キロも走るのでお財布にやさしいとか、まあ、そんな理由はともかく、バイクという乗り物は「ただ走る」という目的だけに存在する。
これはことばでいくら説明しても、じっさいに乗って走ってみないとわからない。



きょうは雨で延期していたツーリングにYさんと二人で行く。ホントは四人で行く予定だったけど、二人は都合がつかず。
Yさんの家からバイパスを南下し、京奈和道に乗って橋本までぶっ飛ばす。
そこから370号線と480号線で高野山に入り、あとは龍神スカイラインで護摩檀山のピーク「ごまさんスカイタワー」をめざす。
1000メートルを越す高野山は予想以上に寒い。
途中、数カ所の道路工事のため、ペースがあがらず、出発から2時間半かかってタワーに到着する。



タワーの食堂でたべた天空うどんが冷えた身体を温めてくれる。赤山椒七味が効いてて、とても旨かった。
駐車場でしゃべっていると、カワサキのW800がやってきた。
以前わたしが乗っていたW650よりも野太い排気音で、なかなかいい音を響かせている。
乗ってきた人がヘルメットを脱ぐと、わたしよりすこし年輩の方で、見たところ60歳まえくらいか。
話を聞くと、30年ぶりにまたバイクに乗りはじめたという。いわゆるリターンライダーだった。
龍神を下って、十津川沿いでキャンプするらしい。いいねえ。
お気をつけて、といって別れる。



帰りは371号線で丹生川に沿って走った。
くねくねと細い道がつづくので、あまり速くは走れないが、スロットルの開け閉めで曲がっていくたのしさが味わえる。
YさんのVF750Fはホイールベースが長いのに旋回性能は高く、らくらくとカーブをクリアしていくのが少し悔しかったけど、非力なエストレアでもこんな道なら負けてはいない。
VFに付かず離れずで、たのしく走れた。片手運転で写真を撮りながら走るってスゴくない?

Yさんの家でコーヒーをいただき、帰路につく。
往復で240キロ。ワンデーで走るにはちょうどいい距離だった。
今度は四人で行きましょう。

個展用「REBORN」完成

2013年08月26日 | Life
先週末から天気がよくない。きょうも朝から雨が降っている。
猛暑が続いているので恵みの雨なのだが、きょうはバイクツーリングを予定していたので晴れてほしかった。
Yさんと相談して、あしたに延期する。

それで、朝から個展で展示する作品をマッティングすることにした。
先週、マットを切り抜き、ブックマットをつくってあるので、きょうはそれにプリントを挟んでコーナー止めするだけだ。
20×24インチの大きさで、全部で17枚。1時間ほどでマッティングは完了する。
そのあとスポッティングして、一応、展示用の作品は完成。



さあ、あとは搬入当日にギャラリーでフレームに入れて、展示するだけだ。
だいたいの並べ方は考えているが、じっさいに展示してみないと、どう見えるのかはわからない。そこが不安でもあり、たのしみでもある。
このあとすることは、会場に掲示する作品コメントと略歴を書いたものをプリントすることと、14日のパーティで話する内容を考えることだ。
それとちょっと気が早いけど、個展に来ていただいた人に送るお礼状をつくること。
今年は全部アナログで作品をつくったので、お礼状も手焼きのプリントでつくろうと思っている。

作家が自分の手で焼いたプリントをお礼状で送るなんて、そんな人なかなかいないですよ。たぶん。
それがほしい人は写真展を見に来てください。本末転倒だけど。
くわしい会期と会場はこちら

写真茶話会はこれからも続く

2013年08月24日 | Photography
4年くらい前にはじまり、今年の5月に最終回をむかえたSIGNの写真茶話会であるが、きょうはその卒業生たちが集まる。いわば「同窓会」である。
この会の目的は、茶話会のなかで完成させた作品を持ち寄って、みんなで見せ合うことだ。
じつは完成した作品はお互いにまだ見ていないので、わたしの呼びかけでこの会をもつことになった。
もちろん茶話会の主宰者のSIGN氏にも来てもらって、意見や感想をいただくことになっている。



まずはじめに、お互いの作品を回覧して見たあと、一人一人が自分の作品をプレゼンテーションする。
たった数人のまえでも、作品について語るというのは難しいことだ。みなさんの緊張感がこちらにも伝わってくる。
この間、わたしはTIPの文章作成ゼミでステートメントをしっかりまとめてきた。
そう思っていたのに、いざプレゼンする段になると、どうも浮わついた言葉ばかり出てきてうまく説明できない。
「崩壊と再生」というテーマで作品を語ろうとすればするほど、なんかウソくさく感じてしまうのだ。
本当に撮りたかったものは、じつはそうではないのか?

プレゼンのあと、SIGN氏にも「そのテーマはちがう」という意味のことをいわれ、ますます混乱する。
ええっ、もう再来週から個展がはじまるのに、今さらちがうといわれても修正できないよ。どうすりゃいいの?
一方、オブザーバーで参加してくれたX氏は、わたしの作品をおもしろがって見てくれた。
いろいろな見方や感じ方があるので、それはそれでいいのだけれど、はじめからずっとわたしの写真を見てきているSIGN氏の意見は重い。
彼の意見に応えうる作品にするには、まだまだ時間がかかるかもしれない。くやしいけど。



帰りの車のなかから見えた花火が、きのうは妙に切なく感じた。
日本の花火って、そういうものなのかしらん。

羅針盤を手にして

2013年08月22日 | Photography
昨夜の文章作成ゼミはいつもより30分早い6時半にはじまった。

最終回の今回は、これまでつくってきたWORKSのコレクション(作品)を持ち寄って、参加者のまえでプレゼンテーションすることになっている。
プレゼンといっても、その内容はもうすでにWORKSのなかで書いて、何度も推敲を重ねた文章があるので、それを読みながら作品を見せるだけだ。
ただ、このゼミは作品の内容を評価したり合評するのではなく、あくまでも作品に沿った文章ができているかを見てもらうのが目的だ。
プレゼンのあと、CVも読みながら最終の校正をしていく。
(WORKSやCVってなに? という方は、こちらの記事を先にお読みください)

6月末から2ヶ月にわたってこのゼミに参加してきたが、わたしにとって非常に有意義であった。
自分のなかで意識化できていないことが、写真に現れてしまっているということに、文章を練りあげていく過程で気づかされた。
かんたんにいえば、自分の撮った写真でありながら、なぜそれを撮ったのかが理解できていなかったということだ。
作品について言葉で語りきることで、作品のコンセプトがより明確になり、そこからつぎの方向性も見えてくる。

また、参加者のCVとWORKSを読みながら、いろんな視点(視座)はその人それぞれの生い立ちや生きざまの中から生まれてくるものだとはっきりわかった。
作品の表面的なおもしろさを見て、それをマネても、決して作品にはならない。マネできる程度のものは作品とはいえない。
作品にはそれが生まれてくる必然性があるということだ。
まあ、写真に限らず、なにかを表現するということは、そういうことなのですね。



それにしても、こんなに赤裸々に自分の生い立ちを語ったことは今までなかった。
妻にも話したことのないようなことまでCVに書いていくなかで、自分でも気づいてなかった(忘れていた)ことがたくさん掘り出された。
学生時代にわたしがギター片手にフォークソングを歌っていた意味や、大学の卒業制作で大きな裸婦像をつくりあげた意味。15年にわたる教員生活の意味。退職後、モンゴルの大草原で自分の心が解放されていったこと。本当に自分がやりたかったこと、やろうとしていること。
それらのことがすべて一本の線でつながり、いまに至っていることがはっきりと自覚できた。

さあ、完成したCVとWORKSを羅針盤にして、これから本当の航海がはじまる。しゅっぱーつ!