今年の5月末に得た天啓とは「デジタルでも写真は撮れるよ」という写真の神様からのお告げであった。
フィルムにこそ真の写真が写るとか、シリアスな作品はフィルムで撮らねばならないとか、フィルムにはデジタルでは写せない何かが写る、などという思いこみがあったことは否めない。
いや、いまでもそういう思いは捨てきれないのだけど。
長年にわたって撮ってきたモノクロネガのファイルがロフトの棚に並んでいるのを見ると、そう簡単には捨てきれないだろう。
そこには自分の視覚的な記憶が蓄積されているのだから。
でも神様はそんなわたしの気持ちもよくわかっていて、「デジタルで写真を撮れ」とは言わない。
どっちでも好きな方で撮ればいいけど、デジタルでも撮ってみれば?
これで銀塩という呪縛からわたしは解放された。
神様はさらにつづけてこういった。
仕事も、やりたいことをやれば?
30歳代で一度リセットしたはずなのに、気がついたらいろんなシガラミがまとわりついている。
仕事でお付き合いしてる人たちはわたしのことを誤解している。
わたしは金儲けに興味はない。
あるのは自分の作品づくりだけで、それをつづけるために金が必要なだけだ。
神様の声にしたがって、4年ほどやっていたある仕事にピリオドを打った。
店主は「寂しくなりますね。また顔を見せてくださいね」などと名残惜しそうであったが、わたしの本心は小躍りしそうなくらい嬉々としていた。
かえり道、夕立に遭いスーツとお気に入りのネクタイがずぶ濡れになったけど、まさにシガラミを洗い流すのに恵みの雨であった。
イヤフォンの中で佐野元春がわたしにエールを贈っている。
風向きを変えろ individualist!