Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ライカ病が再発

2016年03月23日 | Camera
ライカM8を手放してもう病気は完治したと思っていたのにまた再発した。気がついたら極上の大ライカをヤフオクで落札していた。



「大ライカ」と聞いてそれがライカM5のことだとわかる人は重篤なライカ病である。この病気はライカウイルスによって感染するのであるが、その感染経路はよくわかっていない。多くはカメラに潜んでいて触れたとたんに感染するのだが、中にはライカを使う人から話を聞いただけで感染してしまう人もいる。
あなたが感染しやすいタイプかどうか、まずは下の質問に答えてみよう。6つ以上「はい」がある人はライカウイルスに感染しやすい、またはすでに感染している可能性が高い。逆に5つ以下ならライカを持つ資格のない人だと思う。

1)いまだにガラケーを使っている。
2)プラスチック製品より金属製品の方が好き。
3)アンティークなものが可愛いと感じる。
4)デジタル操作(タッチパネル等)よりアナログ操作(ダイヤル・ボタン等)の方が得意。
5)格好よりも性能や使いやすさを重視する。
6)自分は物欲がつよい方だと思う。
7)収集癖があり、何でもコンプリートしたくなる。
8)他人とおなじものを持つのはイヤだ。
9)ドイツの家電や工業製品が好き。
10)エコロジーライフに興味がある。
11)アンリ・カルティエ・ブレッソンを知っている。

くだんの大ライカであるが、文字どおりM5はほかのM型ライカよりも大きい。ボディの厚みはおなじだが、高さが5.5ミリ、幅は11ミリ大きい。重さにして約130グラムも重い。それまでのM型に露出計を内蔵するためにハウジングケースを大きくしたのである。
またバルナック型からの特徴ともいえるボディ両端の半円形のフォルムが直線的に切り落とされたような形になり、巻き戻しレバーは軍艦部から底部に移動してしまった。
伝統的なスタイルから大きく変わったこのM5に対して、保守的なライカファンは正統な純血種とは認めず「大ライカ」と揶揄した。予想外の反応(ある意味予想どおり?)に困ったライツ社はたったの4年間で生産を中止し、今までとおなじサイズに露出計を押し込んだM型ライカをあらたにつくった。ベストセラー機となるM6の登場である。

そんなわけでM5の製造台数は約34000台と少なく、当然ユーザーも少ないわけであるが、人気とは裏腹にこのライカはじつは非常に使いやすい。ファインダー内に表示される露出計がM6以降のLEDではなく、アナログな直読式だからだ。適正露出から何EVずれているかが直感的にわかる。
M5を使うライカファンは口をそろえて「M5が一番使いやすい」という。そこには不人気モデルをあつかう少し屈折した気持ちと強がりもあるだろう。さてじっさいに使ってみてどうなのか。つぎのレビューに乞うご期待!

個性的なバイクたち

2016年03月21日 | Life


きょうは梅林で有名な月ヶ瀬へバイク友だちのYさんとその知り合いのZさん、Aさんの4人で走りにいく。途中、やまなみロードを快走する予定であったが、あまりの寒さにペースが上がらず。
休憩のときにYさんが「最高の仕上がりなので、乗ってみてください」というので、ちょっとだけSRX6に乗ってみた。すると!
どこにパワーバンドがあるのかわからないほど、どこからでもグイグイとすごい勢いで加速する。シングルエンジンとは思えない吹け上がりのよさに驚く。
そしてフロントブレーキの効きのよさにも驚く。わたしのSRはこれほどブレーキが効かないので、けっこう強く握るクセがある。だからいつもどおり握るとかんたんに前輪がロックしてしまいそう。あのロックしたときの恐怖は味わった人間にしかわかるまい。
おもしろいと危ないは紙一重で、このバイクはライディングのうまい人が乗らないと危険だ。わたしには到底乗りこなせないジャジャ馬です。



月ヶ瀬で満開の梅をたのしんだあと、柳生街道を水間町まで走ってハーブクラブで昼食をたべる。そこへSRV250を駆るBさんも合流。
せっかくなのでみんなで記念写真を撮るが、プアーな三脚に取り付けたカメラは上のようなたのしい写真を撮ってくれた。みごとに右端のわたしがフレームアウトしてます。
帰りはmotoSIGNへ寄り、おいしいコーヒーをいただく。



そのあとYさんがこつこつレストアして30年?ぶりに動きだしたベスパ100にすこし乗せてもらう。意外にパワフルに坂道をぐいぐい登っていく。が、Uターンして戻ろうとしたら急にパワーがなるなり、まさかの立ちごけ! 土の上でよかった。
さいごにAさんのホンダVRXに乗せてもらう。400ccには見えない大きな車体にVツインエンジン。これが非常に乗りやすいバイクで、アメリカンのようにシートにどっかりと座って尻で入力するだけでくるくると曲がっていく。いやーたのしい。久しぶりにVツインのたのしさを思い出した。なのに、VRXは不人気で1995年からたった4年で生産中止になってしまう。いいバイクなのになあ。

かえり道、SRでとぼとぼ走っていると、やっぱり今の自分にはコイツが一番合ってるなと感じる。
それにしてもバイクという乗りものは1台1台乗り味がちがっていて、つくづくおもしろいと思う。いい歳していつまで乗ってるのかと思うだろうが、こんなにおもしろいものをやめるわけにはいかない。

攻める撮影

2016年03月19日 | Life
ただいま卒業式シーズンまっ盛り。おかげさまで忙しく撮影させていただいている。
きのうは午前中、西宮でV小学校の卒業式のあと、午後からリッツ・カールトン大阪でW大学の謝恩会を撮った。
きょうはX大学の卒業式とゼミ・研究室の集合写真、それに個人写真も撮影する。

大学の撮影はその学校によって依頼のかたちがさまざまで、大学→写真館→わたしというかたちで依頼されることもあるし、大学→生協→写真館→わたしという場合もある。あるいは大学→印刷会社→写真館→わたしのところもあるし、きょうのX大学は大学→学生自治会→印刷会社→写真館→わたしというかたちで、じつに多くの人間が動いている。
そんなわけできょうの卒業式では自治会の学生さんたちといっしょに撮影していた。

学生さんといってもなかなかいいカメラとレンズを使っていて、格好だけはプロ級である。
でもこちらは毎日いろいろな場所で卒業式を撮っているので、学生さんなんかに負けはしない。だが、アルバムの編集は自治会の学生さんたちがするので、大半は自分たちの撮った写真を掲載し、わたしたちプロカメラマンの撮った写真は使われないことが多い。くやしー
ボツになることがわかっている撮影には力が入らないのだが、きょうは気持ちを切りかえて臨んだ。

学生さんよりもいい写真を撮ればいいのである。彼らの撮れなかったシーンを撮れば、わたしの撮った写真を使わざるを得ないでしょ。
彼らが望遠レンズで撮るなら、わたしはガツンと広角レンズで肉迫したカットを撮る。彼らが横からスナップするなら、わたしは真正面からしっかり目線をもらって撮る。そうやって攻めの気持ちで撮影していたら、あっという間におわった。さあ、どのカットでも自由に使ってくれ。

「楽しむ写真」ってなんだ

2016年03月13日 | Photography
きょうは奈良の自主研究サークル・写真茶話会RRの「楽しむ写真・六人の視点」展を見にいく。
場所は主宰者SIGN邸のすぐ近く、Quadrifoglio CAFFEの1階にあるギャラリーだ。ちなみにクアドリ・フォリオとはイタリア語で「四つ葉のクローバー」を意味する。



今年のRR展のテーマは「楽しむ写真」。ああ写真をたのしんで撮るってことね。
ところがじつはそうではなく、写真そのものを一人称として捉えて、「写真さん」自身がたのしむ写真だという。意味わかる?
わたしの理解はこうだ。

カメラが生まれて約190年が経過するが、この間、人類がカメラを通して見てきたシーンは良きにつけ悪しきにつけ、最もダイナミックな人類の歴史であった。写真というものを擬人化すれば、「写真さん」こそがその生き証人である。
写真さんは人類のさまざまなシーンを見てきたし、いまも見つづけている。だが最近、彼(彼女?)は日常のあらゆる場面に借り出され大忙しである半面、そのたのしみ方がせまく固定化されてきたことに悩んでいる。
写真さんはもっといろいろなものを見たいし、たのしみたいと願っている。その願いをSIGN氏が叶えようという企画がこのRR展なのだ。

写真の本質は「記録し伝える」ことだ。その主語は「感動」である。だとすればカメラを操作する人間側にもそれなりの感性や覚悟が必要だろう。
きょうは職場の上司と寿司屋に来てますとか、彼氏とディズニーシーに来ましたとか、ナンバでサヤ姉見かけました、みたいな写真をいくら撮っても見る人の心には届かないし、それは感動からは遠いものにしかならない。



さて前置きが長くなったが、RR展に展示されている写真たちは非常に密度のあるステキな作品であった。
6人それぞれの作家が1年以上かけて撮ってきた写真を「楽しむ写真」という視点で選び抜いたものなので、それぞれに伝わってくるものがある。

とりわけイケモトタツヤ氏の作品にわたしはとても感動した。彼の作品は自分の仕事のようすを丹念に記録し、それを何冊ものフォトブックに丁寧にまとめている。「いつ仕事してるの?」というツッコミを入れたくなるほど、その写真群は臨場感にあふれ力強く、しかも写っている被写体(多くは人物)にとって意味のある局面を的確に切り取っている。これはもう写真家の仕事である。
一人称の「写真さん」がたのしみたいと願っていたものがイケモト氏の写真には宿っている。そしてそれは見た人の心にも確実に伝わってくる。写真のもつ力をまざまざと見せつけられた気がする。

この写真展の会期はきょうまでだが、カフェのオーナーのご好意でつぎの展覧会までは作品をそのまま展示しておくらしい。今回見ることができなかった人は、たとえば二上山に登るついでに見ることは可能だ。
Quadrifoglio CAFFEのHPはこちら

終了15分まえ

2016年03月10日 | Life
「よくもこの忙しい時期に個展なんかするな」といつも仕事をいただいているスタジオの社長からは大ブーイングの写真展も無事におわり、また今週からまじめに働いている。日銭を稼ぐ仕事も大切ではあるが、でも一度ドロップアウトしている人間にはそんなことに縛られるより、自分のやりたいことをやることの方が優先順位は上なのである。すいません。

きょうは去年の4月から撮影・編集しやっと完成した卒業アルバムを納品し、いまようやく一段落した気分だ。
小金を手にして、さあ、どんなカメラを買おうかと画策中。いやいやカメラはあとまわしで、今年はPCを買うのであった。それと息子にスマホ、自分にタブレットを買う約束をしていたっけ。カッコいいデニムもほしいし、履きやすい革靴もほしい。
調子に乗っているとあっという間にもとの貧乏生活にもどってしまいそう。



写真展最終日の終了15分まえに教え子のUさんが見に来てくれた。卒業してもう何年もたつのに、いまだにこうしてつながりがあるのは嬉しいことだ。
写真が人と人をつなぐ。それだけでも写真展をやってよかったといえる。
ただそれだけで満足していてはプロ作家とは名乗れないわけで、今回自分のなかで整理できたテーマを今後さらに掘り下げて制作をつづけなければならない。

写真展に足を運んでいただいた方々に、あらためてお礼申しあげます。ありがとうございました。