Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ニコンF5のシャープな視線

2013年06月30日 | Photography


きょうは朝から暗室。
午前中、ニコンF5で撮ったフィルムのベタ焼きをつくる。良さげなカットに印をつけて、午後からプルーフプリント。
最近はプルーフでも11×14インチのRC紙で焼く。どうせ本焼きで11×14インチのバライタ紙で焼くのなら、同じ大きさの方がいい。
オリエンタルのペーパーはどちらも感度がほぼ同じなので、RC紙で焼き方を追い込んでおくと、本焼きはすぐできるのだ。

この間、ステートメントやらコメントをまとめてるおかげで、自分の撮りたいイメージがはっきりしてきた。
撮影していても「よし、これは撮れたぞ」という手応えみたいなものがあるので、ベタ焼きから選ぶときも迷うことが少ない。
上の2枚は先週撮ったものだが、すごくシャープな感じで撮れていると思う。
この場合のシャープ感とは、レンズの解像力のことではない。画面全体に漂う撮影者の視線の緊張感のようなものだ。
動いているボートを撮ったカットはもちろん、水たまりのカットにも一瞬のシャッターチャンスを感じさせるものがある。
ウェブ上ではわかりにくいかもしれないけど、11×14インチのプリントだと、それがトライXの粒子から伝わってくる。
この粒子感こそがデジタルでつくるモノクロプリントと決定的にちがう点だ。(デジタルでもノイズを入れれば同じ感じに加工できるけど、そこまで擬似フィルムみたいなことをするなら、逆にデジタルで撮る意味がわからない)

それから、今までライカでスナップしていたが、M型ライカのファインダーというのはわりとアバウトである。
ファインダー内にフレーム枠が浮かんでいるものの、じっさいに写る範囲はもう一回り広くて、思いもかけないものがフレームの中に写っていることがよくある。
一方、ニコンF5のファインダーは視野率100%で非常に見やすい。
見えている部分がきっちりと100%写るわけだから、ファインダーでしっかり構図を作っておけば、プリントのときにトリミングをする必要がない。
このファインダーのおかげで撮影時の緊張感を生んでいるのかもしれぬ。

きょう一日で8枚のプルーフプリントを得る。

完全無欠のニコンF5

2013年06月27日 | Camera


3月にニコンF4を買ったというのに、またヤフオクでカメラを買ってしまった。ああ、わたしは病気だ。
そのカメラというはニコンF5。(「エフご」と読みましょう)
もちろんデジカメではなく、フィルムを入れて写すカメラである。
バッテリーグリップが取り外せないので、とても大柄で重い。ボディだけで1400グラムもある!(電池を含む)

いまさら使用感でもないけど、驚くほどオートフォーカスが速く、狙った場所に瞬時に合う。
F4はコントラストの低い場所で迷うこともあったが、このカメラはもう迷わない。最速最強だ。
以前使っていたF100はもちろん、F6よりも速いかもしれない。
F4時代、マニュアルで合わせていたカメラマンも、F5からはみんなオートフォーカスを使うようになったのではなかろうか。

カメラのデザインはもちろん、イタリアの工業デザイナー・ジウジアーロであるが、このデザインはその後のニコンの一眼レフ機の原型になっている。
ニコン初のデジカメD1もこのカメラにそっくりだし、バッテリーグリップの部分をなくしたら「F5ジュニア」ことF100になる。
つまり、こいつはニコンのメートル原器のような存在なのだ。

シャッター音のやわらかいF4にくらべると、F5のそれはずいぶん金属的な硬い音がする。けっこう派手な音だ。
大昔に使っていたコンタックスSTとちょっと似た響きがあるな。
この音を聞きながら撮っているうちに、だんだんと戦闘的なモードになってきて、この音を聞きたいがためにシャッターを切る、という本末転倒の事態になってしまった。
報道カメラマンってこんな感じなんだろうか。(いや、そんなわけないか)

デジカメとちがって、フィルムカメラは使用頻度がわかりにくいが、グリップの親指の当たる部分を見れば、どのくらい使い込んだボディなのか、だいたい判断できる。
プロが使うとこのラバーが擦り減ってツルツルになっているか、端から剥がれていることが多い。また手のひらの汗がしみ込んで、白っぽくなってたりもする。
今回、手に入れたF5の外観は大きなキズもなく、とくにグリップ部がほとんどきれいなままである。
プロ機にあこがれて買ったものの、あまりの重さに使用頻度が少なくなったという素人さんが使っていたって感じか。

とにかく、コイツはちょっとやそっとじゃ壊れない装甲車のようなカメラで、「頑丈」「堅牢」「強靭」なんていうことばがよく似合うカメラなのである。
35ミリフィルムで撮るために、ここまで完全無欠なカメラはないだろう。

ニコンF5:主な仕様

頭がしびれるほど

2013年06月25日 | Life
きょうは朝から、例の文章作成ゼミのステートメントをつくるために、テンプレートにそって略歴や創作理念をまとめる。
この間、個展用に作品のコメントをまとめていたので、1時間くらいでできるだろうと高をくくっていたが、そんなに甘くはなかった。
とにかく、わたしは英作文が苦手でなので、ネットの英語翻訳を使って、日本語→英語→日本語って感じで、はじめとあとの日本語がだいたい同じ文章になるように整えていく。

でも、これって一度ためしてみたらわかるけど、なかなかまともな文章にならないのですね。
なぜなら日本語というのは主語があいまいでも通じるので、主語なしの文章になりやすい。
それを英語に翻訳すると、たちまちヘンな文章に置き換わってしまい、つぎの日本語はとんでもない文章になってしまう。
なので、まずはじめに日本語を正確に作文することが大事なのだ。

ああだこうだして、結局、第1稿をつくるのに夕方までかかった。
これを講師の横内さんにメールで送り、次回のゼミまでに添削してもらう。
その添削にそって第2稿をつくっていく。
その繰り返しでステートメントをしっかりしたものにするわけだ。先は長いな。

ところで、日本の写真現場(とりわけArt photograph)で「ステートメント」という概念が言われるようになったのは2006年くらいからで、意外と最近のことらしい。
単にその作品のコンセプトというだけでなく、作家自身の創作理念を指すことばで、ひと言でいえば、その作家が「なにを表現したいのか」「どんなメッセージを発信したいのか」ということである。
いい方を替えると、商品(作品)をどのように売り込むのか、というコピーストラテジー(コピー戦略)だと横内さんはいった。
そうか、こちらからコピーをつくって売り込まなければ、作品なんて売れないということか。そりゃそうだ、甘くないね。



それにしても、ふだん使っていない部分の脳を使ったので、頭がしびれている。
愛犬アルタと散歩のあと、10キロのランニングで脳をリラックスさせた。運動は脳にもよさそうだ。
あしたは作品のコンセプトを作文する。これがまた大仕事なのだわ。

写真になにを写そうとしているか

2013年06月23日 | Photography
2夜連続の長距離バス強行軍はさすがにこたえた。いまも腰が痛い。
そのうえ東京駅から西新宿まで約10キロ、芝浦から竹芝まで約5キロ歩いたので、けっこう足にきた。
なので、きのうは一日のんびりして、疲れを癒していた。

きょうは朝のニュースを見たあと、ランニングへ。なぜか足は軽い。いい調子で10キロを走る。
午後からは小雨降るなか、作品を撮りにいく。
自分が撮りたいイメージってなんだろう、この写真で伝えたいことってなんだろうと考えながら撮影する。
いままでそんなことあまり考えずに、きれいな光やおもしろいものに反応して撮っていたけど、それだけでは作品にならないのだとだんだん気づいてきた。
写真になにを写そうとしているのか、もっと考えて撮らねばならないと思う。
いまさらなにを言ってるのかと笑われそうだが。



文章作成ゼミのあと、渡部さとるさんにブックを見てもらったのであるが、そのときにもらったアドバイスとはこうだ。

まず「REBORN」というタイトルは、すでにいろんなところで使われすぎているので、かえって自分の伝えたいことが伝わらない可能性があるということ。
たしかにそうかもしれない。あのトヨタのCMと重ねて見られるのはイヤだなあ。
それから「これは面白いかもしれない」というくらいの気持ちでブックに入れてしまった写真は、訴求力が弱いので逆に全体から浮いてしまう。「これこそがわたしの見せたいものだ」という強い意志のある写真をしっかり選んで入れるということ。
その弱い写真がどれなのかは指摘されなかったが、渡部さんの目にはそれが見えているのだろうな。自分で考えろということか。

プリントの焼きについては言うことはないと言われた。
つまりモノクロプリントの焼き方として、一定の水準には達しているということだと思う。
モノクロ作品をたくさん発表している渡部さんに、そう言ってもらえるとちょっとうれしい。多少リップサービスもあるでしょうが。
さいごに、秋にブルームギャラリーで写真展をする予定だというと、「ああ、あのギャラリーならきちんと見てくれる人がいるよね」苦しみながらでも5~6年は続けて写真展をすれば、きっと評価されるはずだから、がんばってください、とエールをいただいた。
今回で3回目だから、まだまだということかな。



写真というものは「撮るのがたのしい」なんて思ってるうちはまだまだだ。趣味ならそれでいいけど。
写真家と名乗るかぎりは、イヤでも撮りつづけて形にしていかねばならない。それくらいの覚悟がなければプロにはなれない。
なんか恥ずかしいことを書いているなあ、きょうは。

東京で見たもの聞いたもの

2013年06月21日 | Life
7時すぎに東京駅の丸の内側に高速バスは到着した。
重いブックを駅のコインロッカーに預け、とりあえず内堀通りを歩いて皇居ランの様子を見にいく。
たしかに朝からけっこうな人数のランナーが走っている。でもそれほど危険という感じでもない。お互いに注意してさえいれば、ぶつかってケガをすることはないと思う。
桜田門の近くのベンチに座って朝飯を食う。こんな早朝からトレーナーに付いて真剣に走っている人たちがいる。ランニングサークルの練習かな。



半蔵門まで歩いて、そこから西に折れて新宿通りを歩く。
ワンちゃんを自転車のまえに乗せて走るサラリーマン風の男性をノーファインダーで撮る。
東京のママさんはオシャレだね。
四谷の交差点で都議会選の選挙演説をチラ見する。雨なのにたいへんですな。



新宿2丁目あたりを歩いてるとき、道路の向かい側にいい感じの古本屋を見つけた。
車が途切れるのを待ってすばやく渡ろうとすると、とつぜん「横断禁止!」とわたしを指さしながら大声で叫ぶ人がいる。
なに? と思って見ると、2軒となりにあった派出所の警官だ。古本屋ばかり見ていたので気がつかなかったよ。
道路の中央まで渡っていたけど、しかたないのでまた引っ返した。
そういえば、東京の人たちの信号遵守率は高い。車なんて来てないのに、みんな止まって青信号を待っている。
いつも警官に「信号無視!」なんて四文字熟語を叫ばれているのかな。「信号守ってなにが悪い」と突っ込まれそうだが。



西新宿の東京オペラシティ・アートギャラリーで「梅佳代展」を見る。
雨の降る平日の朝だというのにすごい人だ。梅さんの人気ぶりがうかがえるね。
内容はすばらしいのひと言でした。
こんなに幅広い層に支持される梅さんの写真って、やっぱりすごいな。もう雲の上の存在になってしまった。
広いギャラリー内は、これまで出版されている写真集ごとにセクションが分かれていて、天井まで届くほどの巨大な写真に驚いてしまう。
中でもわたしは最新作「のと」が好きだ。サイン本があったので、思わず買ってしまった。

午後から芝浦のフォトギャラリー・インターナショナルへ「濱田祐史 作品展」を見にいく。
光そのものが被写体の写真って、意外に少ないかも? とにかく美しいプリントだった。
そのあと竹芝まで歩いてギャラリー916で「森山大道展」を見る。
森山氏の作品は何度も見てるけど、見るたびにその印象が変わるのがふしぎだ。
きょうはとてもカッコ良く見えて、どの写真も腑に落ちたね。

夜はいよいよTIPの例のゼミにいく。
このゼミでは受講者の非常にプライベートな履歴を掘り起こしていくため、ここでの撮影や録音はもちろん、見聞きしたことは守秘しなければならない。
受講を申し込む際にそれを約束するので、残念ながら詳しいことは書けない。
きょうは全5回のうちの第1回目で、このゼミの企画に関わった写真家の渡部さとるさんも来られていた。
ゼミが終わったあとで、渡部さんにわたしのブックを見てもらい、少しアドバイスをもらう。タイムリーな話も聞けて、とても勉強になった。



22時40分発の夜行バスに乗って大阪に帰る。