Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

残暑のスナップ写真

2015年08月28日 | Life
わたしは修学旅行や遠足に同行して奈良へいくことが多いが、だいたい回る場所は決まっているから、もうあたらしい景色の発見や感動もない。
でも個人的に奈良へいくときは、いつもとちがう場所へあえていくので、これがなかなかおもしろい。奈良ってディープです。



きょうは県庁前から市バスに乗って破石(わりいし)までいき、そこから歩いて奈良市写真美術館へいく。
美術館までの細い生活道路は、東大寺周辺の観光客でにぎわっている雰囲気からは想像できないほど、しずかでおちついた感じのする町並みで、のんびり歩きながらその途中にあるちょっとシャレたお店をのぞくのもたのしい。

さて写真美術館では「モノクロスナップ写真の魅力」という企画展が開催されている。あさって30日(日)までなので、あやうく見逃すところであった。
この展覧会には三人の写真家の作品が展示されていて、ここをつくった主旨からして入江泰吉は当然であるが、あとの二人は近藤斉(こんどうひとし)氏と阿部淳(あべじゅん)氏という写真家だ。
勉強不足ではずかしいが、二人ともわたしは知らない。

入江泰吉の写真は昭和20年代から奈良を中心に撮った街角のスナップ写真であるが、歴史の記録というか、時間の蓄積という意味では写真本来の魅力がある。
しかしながら近藤・阿部両氏のスナップ写真は、その上手さ・力強さにおいて入江の写真を超えていると思う。
とりわけ阿部氏の写真の「量」にはおどろいた。展示室まるまる一部屋の壁面に上から下までぎっしりと四切と半切のプリントが貼ってある。
しかもその1枚1枚がじつによく撮れていてすばらしい。つまり「質」も非常に高い。圧倒的です。
スナップ写真をやってる人ならぜひとも見ておいた方がいいと思う。ただし体調のよくないときだと、全部見おわらないうちにバテてしまうかもしれない。



三人の作品に刺激をうけ、春日大社や東大寺の境内で写真を撮ってかえる。

ライカ的描写のひみつ

2015年08月15日 | Camera


マウント基部からイメージセンサまでの長さをフランジバックというが、フランジバックはメーカーによって厳密に決まっている。同じメーカーでもマウントが異なれば(たとえばソニーにはAマウントとEマウントがあるように)、マウントごとにフランジバックはちがう。
なので、ニコンのカメラにキヤノンのレンズを付けようと思っても付けられない。
ところが逆にキヤノンのカメラにはニコンのレンズを付けることができる。いや、そのままでは付けられないのだが、マウントアダプターというものを介してマウントの形状とフランジバックを合わせてやると、光学的にはレンズの無限遠が出るので使うことができる。
ただし電気的な接点がないので、オートフォーカスは働かないし、絞り羽根も動かない。つまりピントも絞りも手動で合わせなければならないから、けっこう使いにくい。

同様に、フランジバックの短いカメラであれば、フランジバックの長いレンズを取り付けることが理論上は可能なのである。
最近のミラーレス機はフランジバックが比較的短いので、いろいろなメーカーのレンズが付けられるマウントアダプターが出ている。
フェイクも含めて世界中で一番たくさんあると思われる「ライカ」のレンズは、こういう異種格闘技のようなあそびのできる最適のレンズであるから、富士フィルムなどはXシリーズに付けるためのM→Xマウントアダプターを自社でつくっているほどだ。
サードパーティー製もたくさんあって、キポン近代インターナショナルなどが最右翼ではないか。



さて、ライカM8を売ってシグマdp2クアトロを買ったものの、残ったライカのレンズたちを眠らせておくのはじつにもったいない。エコ精神が旺盛なわたしは、わざわざマウントアダプターを買ってソニーα6000に取り付けてみた。
いやあ、これはなかなかカッコいいですね。エルマリート28ミリの角形フードもじつにシブく決まっている。
写りはどうかというと、ふしぎなことにライカM8のような描写をする。ピントはシャープだが線はやや太く、そこからなだらかにボケる。彩度は低めだが、コントラストがしっかり付いて、ややアンダー目で撮ると暗部が締まって、じつにライカっぽい描写になるのだ。
ピクチャースタイルを変えて、もっと高彩度にすることもできるが、わたしは「ニュートラル」にしている。

考えてみればあたりまえのことかもしれないが、ライカ的な描写はやはりライカのレンズが生み出すのである。
現在、妻の実家でエルマリート28ミリF2.8とズミクロン50ミリF2のためし撮りをしている。ピント合わせがたいへんだが、合わせたいところにきちんと合ったときの画は、ちょっとゾクッとするものがある。
これはひょっとすると禁断のおもちゃを手にしてしまったのかもしれない。

昼下がりのボサノヴァ

2015年08月09日 | Life
Salt & Uribossa」のコンサートを聴きに、奈良県は榛原にあるホワイエ・ヴェールへいく。ホワイエ・ヴェールとは「緑に包まれた空間」という意味だ。
たしかにそこは奥深い山の中にあった。



Salt & Uribossaというのはボサノヴァの音にのせて、オリジナル曲やいろんなカバー曲を歌う男性二人のユニット(ときどきパーカッションが入るときもある)。
ボサノヴァといってもどんな音楽なのか、浮かんでこないかもしれないが、もともとはブラジルのサンバがルーツらしい。あの激しく妖艶なダンスとリズムからはちょっと想像しにくいけど、よく聞いているとたしかにボサノヴァのリズムはサンバと似ている。



主宰者のあいさつのあと、コンサートははじまった。
Salt氏の声はその名とは正反対で甘い。ボサノヴァのゆるいテンポと心地よいメロディを聞いていると眠気がおそう。時差ぼけのせいかもしれぬ。
だが彼のうたう歌には非常につよいメッセージがある。1曲目の歌詞はこうだ。

 どんな国のことばでも あいさつはうつくしい
 おはよう ボンジュール ハロー
 サワディー ボンジョルノ ジャンボ
 ことばはちがっていても 心はつながるさ

 どんな国の文化でも あいさつはすばらしい
 ありがとう ダンケシェーン シェシェ
 カムサハムニダ オブリガート グラッシャス
 文化はちがっていても 心はとどくだろう

 はだの色はちがっていても いのちは同じだから(作詞・作曲 Salt)


どの曲も新鮮でよかったけど、MCのなかでSalt氏がいったことばが興味深い。
「なにか大切なことを伝えようとするときは、あまり大きな声でいわない方がいい」
彼がボサノヴァという音楽にのせて、やさしく歌うのはまさにこれである。
声の大きなものが得をし、勝ったようにみえるご時世であるからなお、このことばの意味は深い。
Salt & Uribossaの音楽はとても大人の音楽だと思う。


フィンランドから帰ると

2015年08月06日 | Life
フィンランド旅行八日目。
ホテルをチェックアウトし、中央駅へ向かう。駅のコインロッカーにスーツケースを預け、6番トラムでヒエタラハティ広場へ。
ここはヘルシンキで一番大きなフリーマーケットが毎日開かれている(夏期5~9月)広場だ。
有名なアラビア陶器やイッタラのガラス器、それから衣料品、アクセサリー、家電製品、日用雑貨まで、さまざまなものが売られている。



散策してると「フェド5B」というソ連製の古いカメラを発見。ボディ前面にオリンピックのマークが付いている。こいつは1980年モスクワ五輪のときにつくられた記念モデルだ。ちょっとレアものかも?
一応シャッターは切れるものの、レンジファインダーが曇っている。使えなくはないが、いまさらフィルムカメラを買ってもなあ。
店のオヤジに値段を聞くと30ユーロ(約4200円)だという。お土産に買ってもよかったけど、結局食指は動かず。
広場のまえにあるオールド・マーケットホールでまずいラーメンをたべて、中央駅へもどる。



たった8日間でフィンランドのことなんて何もわからないのだが、印象としては弱者にとてもやさしい国であった。
街角で地図を見ていたら、必ずだれかが声をかけてきて、その場所へのいき方をおしえてくれる。もしわからなければ「ちょっと待ってて」といって、わかる人をさがして連れてきてくれる。するとやってきたその人は、イヤな顔ひとつしないで「オレについてこい」といいながら案内してくれる。
また、信号のない交差点で立っていると、どの車もその手前でかならず停まり、歩行者を渡らせてくれる。

それから特急列車の妊婦と老人優先のシートのことは以前に書いたが、トラムにはベビーカー専用のスペースがあって、赤ちゃんを連れた人が乗ってくると、だれもがサッとその場所を空ける。見ていても気持ちがいいくらい、なんのためらいもない。
こういう行動は子どものころからの習慣というか、しつけの問題、ひいては教育の問題だと思う。

ものの本によると、フィンランドは1991年ソ連の崩壊によって、大きな輸出相手を失い深刻な不況に陥る。
それを打開するために国をあげて産業と教育を見なおし、2000年には憲法まで改正している。以下は改正憲法の主要な柱だ。

・児童取り扱いの平等
・男女の平等
・プライバシーの保護
・死刑の廃止
・情報アクセス権(情報公開)
・環境権
・表現の自由と児童保護規定
・永住外国人の地方参政権
・教育権(高校就学権)
・労働権および商業活動の権利
・兵役の義務と兵役忌避の権利
・緊急事態における基本権と自由の一時的制限
・環境保護の責任

これだけ見ても内容まではわからないが、弱者優先の社会づくりの礎にはなっている気がする。
折しもわが国の為政者たちは憲法を勝手にねじ曲げて、戦争法案を通そうとしている。弱者を切り捨て、そして戦争へ駆り立てようとするこの国のあり方には、もう絶望しかない。

カフェ・ウルスラで乾杯

2015年08月05日 | Life
フィンランド旅行七日目。
わたしたちが投宿しているのは「ホテル・カタヤノッカ」というホテルだが、ここはなんと2002年まで刑務所として使われていた建物を再利用したユニークなホテルだ。
客室はふつうのホテルと変わりないが、レストランはかつての監獄をイメージして改装されているのでなんだかうす暗い。また玄関には刑務所時代にじっさいに使われていたとおぼしき手錠や足かせなどがディスプレーされていて、スタッフはみんな囚人服を着ている。ちょっと悪趣味だといわざるを得ないが、お手ごろ価格でけっこう人気のホテルらしい。
わたしたちはここに連泊して、毎日ここから日帰りでいけるところへ出かけている。なので、今回の旅は北の方へはまったく行っていない。そちらはまた次回いく予定。



ホテルのすぐまえにトラムの駅があり、4番に乗ると約10分で中央駅につく。きのうの夕方に買った1dayチケットがあるので、きょうの夕刻まではヘルシンキ市内の乗り物はすべてフリーだ。3回以上乗ればもとはとれる。
さて、きょうは中央駅のすぐ西側にある「現代美術館キアズマ」へいく。
偶然にもロバート・メイプルソープ展が開催されていたので、常設展と合わせてゆっくりと見ることができた。

メイプルソープの作品は人物をモチーフにしたものが多いが、男性の性器を大きく接写しているものがある。ポートレイトというより物撮りに近い。
これらの写真をめぐっては、日本で出版された彼の写真集が「わいせつ物」として東京税関に没収される事件が起こっている。その後、出版社が国を相手取りその不当性を訴えて裁判となる。
約9年にわたる裁判の結果は税関に処分の取り消しが命じられ、写真集はわいせつ物に該当しないと判断、国が敗訴した。この判決が出たのは2008年のことであるから、ついこの間の話だ。
芸術を理解しない日本の税関(ひいては日本のお役所)は嘆かわしいばかりである。



美術館を出て、今度は3番トラムに乗ってカイヴォプイスト公園へいく。ここはヘルシンキ最南端にある公園で、そのはずれにフィンランド湾を臨みながら食事のできるカフェ・ウルスラがある。
映画「かもめ食堂」で主人公の女性3人とフィンランド人女性がのんびりとビールを飲むシーンに使われたレストランだ。
わたしたちもこの1週間のたのしかった旅行をふりかえりながらビールで乾杯する。



ところでカフェからすこし離れたところに背の高いクレーンが立っている。
なにかの工事かなと思いきや、吊り下げられたゴンドラの中から奇声を発して人が落ちてきた。もちろん両足には太いロープ(ゴム?)が結びつけてあり、地上に接地することはない。カイヴォプイスト名物のバンジージャンプだ。
ゴンドラの高さは100メートル以上あるとか。考えただけでも足がすくむよね。

このあと夕方まで別行動することになり、わたしはマーケット広場でおみやげを物色したり、写真を撮りながらホテルへもどる。