Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

宇宙が友をよぶ

2014年06月29日 | Life
最近わたしのまわりにはいろんな人がやってくる。
そんなに付き合いのいい人間ではなかったのに、なぜかこのところ、たくさんの人と会っている。
自分から求めているのかもしれないけど、現象的には向こうからやってくる感じなのだ。
なにか大いなる天の意思、宇宙のいとなみのようなものを感じずにはいられない。



きのうは写真茶話会RRでレギュラーメンバーと会って、うどんをたべ、写真を見せあって、写真制作の話をいろいろする。
いつもよりすこし早めにおわったのだけど、みんななかなか席を立たずに茶話会状態がつづく。
あの空間と時間はなにものにも替えがたく立ち去りがたいのだ。
みんなそういうオーラを出しているから、SIGNさんも「はい、おわり」とはいいにくそう。すみません、遅くまで。



その夜、茶話会メンバーのXくんと新世界で串カツをたべ、そのあとさらに仕事帰りのYくんが合流して近況を交換。
見慣れないスーツ姿に、おもわず二人でわらってしまった。
去年から母校に勤める彼は、姉妹校の同窓会の仕事までやらねばならないようで、合併したのがいいのかわるいのか。たいへんらしい。
いつものバカっぷりが半減して、なんかお疲れのようすでした。



きょうは旧友のZさんと六甲山へ登りにいった。
いつも直前に「あした六甲山へ行きませんか?」とメールが入るので、仕事とかぶって行けないこともあるが、今回はうまいぐあいに空いていた。
日曜日だということもあるが、最近また山登りのブームが到来していて、ロックガーデンは渋滞ができるほど混みあってる。
元気な人でもここは難所なのでいたしかたない。あわてず一歩一歩ゆっくり登りましょう。
とにかく老若男女いろんな人が山登りをたのしんでいる。山はいいねえ。



マラソンの練習で登るときは2時間ほどで頂上にたどりつくが、きょうはZさんといっしょなのでゆっくり3時間ちかくかけて登る。
途中、自転車で登ってくる強者もいて、歩いている人たちは「おおおっ」と声をあげておどろいていた。わたしもその一人。
下山していつものように有馬温泉街でひと風呂あびて、帰りはこれもいつものように梅田で安酒をのむ。
いつもとちがったのは旧友のAさんが合流して、なぜか男3人でカラオケにいったこと。
わたしは「ファッションモンスター」がぜんぜん歌えなくてショックだった。(上の写真は「つけまつける」)

たかがサッカー

2014年06月25日 | Life
いつものように6時すぎに起床。
テレビをつけると、サッカーW杯の日本対コロンビア戦のちょうど前半がおわったところだ。
1対1か、なかなかいい勝負じゃないか。もしかすると決勝へいけるかも。
イチルの望みに賭けながら後半戦を観るも、結果はご承知のとおり、1対4で惨敗。

たしかに残念な結果なんだけど、はっきりいってどうでもいい。
むしろマスコミがこぞって「サムライブルー」を煽動するのがキモチわるい。なんなんだ、いったい。
折しも集団的自衛権をめぐって、自民公明のツバ競り合いくり広げられ、かたや東京都議会では女性差別発言が公然とまかり通っている。
わが日本丸はどんどん右へ傾いていくのに、たかがサッカー、どうしたというのか。

ニュースに出てくるにわかサポーターの幸せそうな顔を見よ。
日ごろのウップンをここぞとばかりに発散しようとしている。
スポーツ観戦にはそういうガス抜き的な効用があることをべつに否定はしない。
だけどどの局を回してもW杯のニュースばかりだと「勘弁してくれ」といいたくなる。



W杯や五輪が代理戦争だなんてヤボなことはいわないけど、仮想敵国をやっつけてカタルシスを得る思考を、若者がじわじわと植え付けられているとすれば、集団的自衛権がなし崩し的に容認され、やがて米国を援護するために若者が駆り出されてもおかしくない。
わが子が徴兵されてもかまわないというのなら、戎橋から道頓堀川にとびこむバカ者をだまって見過していればいいと思う。

「沖縄へのラブレター」より

2014年06月22日 | Photography
NHKの日曜美術館「沖縄へのラブレター~写真家 東松照明」を見た。
わたしの重い尻を気持ちよく蹴飛ばしてくれた。
以下は番組のなかで語られたことばの抜粋。



しょせん、私の沖縄への恋は片思い。
そして写真はイメージで綴るラブレターである。
東松照明

日本の戦後史を一口で特徴づけよ、と問われれば、僕はためらいなく、アメリカニゼーションと答えるだろう。
アメリカニゼーションは米軍基地から始まった、という実感が僕にはある。
アメリカが、基地に張り巡らされた金網の網目から、じわじわっとはみ出して、やがて日本全土に染みとおっていったというイメージだ。
以来、僕は占領にこだわり続けている。
東松照明

東松や奈良原は、細江とは出発点がちがう。報道写真は特定な事実、特定な時間を尊重する。東松はこの報道写真の、特定の事実尊重を捨てた。
これはもっぱら印象だけの写真だ。
名取洋之助

名取さんは世界の説明、事象の解説、そういうことで写真を考えていた。
ある意味それはロマンティックにみえた。
東松さんの場合ははっきりロマンチシズムじゃなくて、リアリズムですよね。
でも事実べったりのリアリズムではなく、写真が本来持っているあいまいな部分をもからめとるという、そういう意味でのリアリズムだよね。
森山大道

シマにあって、僕は写真がまったく無力であることを思い知った。
そして、あらためて、写真とは何かという誰しも疑問を持つけれど結局わからずじまいの果てしない問いにめぐり合い、試行錯誤のすえ、自分の中の双頭の蛇を殺して、矛盾を止揚したつもりで、これからは好きなものしか撮らぬと言い切る。
東松照明

あの人、3億円の犯人じゃないか。
私たちは写真家としての名声を得ている東松照明と付き合ってきたのではなくて、
東松照明自身と付き合った。
下地恵子

「宮古大学」のメンバーの年は、ぼくを除くと20歳前後。
みんな頭の回転が速くて、相手の言葉に機敏に反応する。
ひとことしゃべってはドーッと笑いこける。
スコールのようにさわやかな青年たち。
真剣に考え込むかと思うと悦びをからだいっぱいで表現する。
むき出しの命がまことに美しいのだ。
東松照明

写真家は見ることがすべてだ。
だから写真家は徹頭徹尾、見つづけねばならぬのだ。
対象を真っ正面から捉え、全身を目にして世界と向き合う。
見ることにかける◯◯、それが写真家なのだ。(◯◯は聞き取れなかった)
東松照明

宮古での体験というものは、自分が裸になったように写真も裸になった。
自分が撮ったのではなく、撮らされた。
宮古によって写真家東松照明を解体し、もう一度もう一人の東松照明が誕生していく。
宮古はサンクチュアリ(聖域)の場だ。
仲里効

東松さんの写真はすべて写真の原質にもどっていく。
現象を撮っているというふうには見えてこない、どんな一枚もその原質みたいなものを保っている。
森山大道

24ミリ+RT でニューヨークへ

2014年06月21日 | Life
V中学校の撮影から帰ってきて、大急ぎでシャワーを浴び、難波のビックカメラへ向かう。
きょうはWくんといっしょにレンズを買いにいくのだ。(わたしが買うのではなく、あくまでも付き添いです)
彼は未だにフィルムで撮りつづけていて、愛機のキヤノンEOS-1にEF50ミリF1.4は写真学校時代から変わらない。いや、学生のころはEOS5だったかな。
次々とあたらしいカメラに目移りしてしまうわたしは、彼の頑固ともいえるスタイルにいつも頭の下がる思いだ。
だけどその彼に新風を吹きこもうとニューヨーク行きに誘い、「ニューヨークは背の高いビルばかりだから、広角レンズがいるよ」とそそのかして、その気にさせた。

ビックカメラで28ミリレンズの値段を確認して、日本橋のトキワカメラへいく。
そこで中古の28ミリを買うつもりだったが、残念ながら在庫がない。
二人でショーケースを見ていたら、奥の方に新品の24ミリがずいぶん安い値段で置いてあるのを発見。
よく見るとIS(手ぶれ防止)機能の付いていない初期型のレンズだった。
初期型でぜんぜんいいですよ、と彼がいうので、そのレンズを見せてもらうことに。

自分のEOS-1にレンズを付けてもらって、ファインダーを覗くやいなや、「これ、いいッスね」といって購入決定。
ついでにサブカメラもほしいというので物色していると、めずらしい「EOS RT」を見つけた。
ケースから出してもらうと、なかなか程度のいい品物で、わたしの物欲が刺激される。いかんいかん。
このカメラの最大の特徴はミラーが半透過式なので、ふつうの一眼レフ機にようにシャッターを押したときにミラーが跳ねあがらないことだ。
つまりレリーズの瞬間もずっとファインダー内の画像が見えたまま撮影できる希有なカメラなのだ。

大昔、わたしも仕事で使っていたことがあるが、操作にややクセがある。
ファインダー内に露出のスケールが出ないので、マニュアルモードでは使いにくいのだ。
ほかのモードならサクサク撮れるので、スナップ用としては最高のカメラだと思う。(シンクロ速度が1/125秒なのも仕事用には使いにくかった)
Wくんは「こんなカメラあったんですね」といって、うれしそうにシャッターを切っている。
「レンズといっしょに買えば、どのくらい安くなりますかね」とわたしが値段交渉すると、予想以上に安くなったので、めでたく両方とも買うことに。
おまけに新品の使用説明書とストラップ、フォトクロスまで付けてもらった。サービス満点です、トキワさん。

相合橋筋の居酒屋に入って、あたらしいレンズとカメラに祝杯をあげる。
(きょうはカメラを持っていなかったので写真はなし)

ローソクの光で撮る

2014年06月20日 | Life
きょうとあすはV中学校の宿泊行事に同行して撮影する。場所は貝塚にある少年自然の家だ。
生徒数が減少傾向にある大阪市のなかで、この中学校はいまどきめずらしい一学年7クラスもあるマンモス校。
まず集いの広場でお弁当をたべているシーンを撮影したが、約250人の多さを思い知る。
もう一人カメラマンを連れていくべきだった。

昼食のあとはオリエンテーリングで、28班に分かれて頂上の展望台をめざす。
わたしは生徒さんより一足早く出発し、最短ルート(東尾根コース)を通って展望台へ。
大阪湾を見はるかす絶景をバックに班ごとに記念写真を撮る。

夜の活動は体育館でキャンドルファイヤーと各クラスの出し物。
火の神さまに扮した校長先生がキャンドルを持って入場し、その火を係の生徒さんたちに点けていく。
場内はほぼ真っ暗で、キャンドルの火だけが徐々に広がっていく光景はとても神秘的だった。
ここでストロボを光らせるのは雰囲気を台なしにする恐れがあるので、ISO感度を2500まで上げ、シャッタースピードは1/30秒、絞りをF5.6にしてノーストロボで切ってみた。
背面のモニタを見て「これはいける」と判断し、手ぶれに注意しながら何枚も撮りつづけた。

ニコンD800でも同じような条件で撮ったことはあるが、きょう使ったD5300の方が暗部のノイズが少ない気がする。
最新の映像処理エンジンが効いているのかもしれない。
このカメラなら暗いズームレンズでもキャンドルファイヤーが撮れることがわかった。
でもこんなシーンは単焦点の58ミリF1.4レンズで絞り開放付近で撮れば、もっと幻想的な写真が撮れるのだろうなあ。高すぎて買えないけど(泣)