Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

今年の私的エポック

2014年12月31日 | Life
今年出会ったいろいろなものの中で、心に響いたり刺激的だったもの、あるいは戦慄をおぼえたことを挙げてみる。

アンドレアス・グルスキー展
これを観て「写真とはなにか」「写真家とはだれか」ということを再考する。いまだに消化しきれていないが、自分の写真制作に少なくない影響を与えたことは確か。

ソニーα6000
手ざわりだとかシャッター音という身体的な生理に依存したわたしのカメラえらびの基準に一石を投じた。カメラは吐き出す画が良いことが最優先の価値なのか。

ル・クルーゼ
これまでつくってきた煮込み料理のレシピを一から考えなおすことになったホーロー鍋。調理器具でこれほど味が変わるなんてホントにふしぎ。

安倍晋三
特定秘密保護法案や集団的自衛権の行使容認を強行採決した自民党と公明党に、日本の民主主義のおわりを感じる。今年はこの国の進路が大きく変わった。

渋谷慶一郎
ボーカロイド(コンピュータ音楽)で有名だが、今年聞いたアルバム「ATAK015 for maria」の生死のぎりぎりを感じさせるピアノの響きが新鮮だった。

来年はどんな出会いが待っているのか。
ではみなさん、よいお年をお迎えください。

写真茶話会RRいよいよ大詰め

2014年12月27日 | Photography
A3サイズのプリント16枚と展覧会の案内状1000枚の入った箱をバイクの荷台にくくりつけ、今年さいごの写真茶話会RRへ向かう。
お昼まえに着き、早めに集まった人たちと昼食へ。いつものうどん屋が超満員だったので、きょうはイタリアンレストランへいく。
前菜とピッツァとパスタを頼んで、みんなでシェアした。
年末にふさわしい、ちょっとリッチな気分で店を出て、茶話会に臨む。



はじめに案内状を100枚ずつ分け、展覧会までのタイムスケジュールを確認。
今月中に現地での打ち合わせを予定していたが、結局みんなの日程が合わず、来月に延期となった。来月も全員がそろうのはむずかしいかもしれない。
わたしは展覧会場となるギャラリーCASOをよく知っているので、自分の作品がどのように見えるか、だいたいのイメージはできている。でも行ったことのない人もいるので、できるだけ早めにじっさいの展示スペースを見た方がいい。



きょうはこれまで撮ってきた写真の中から、展覧会に展示する写真をえらぶのだが、一人目のEさんから難航する。予想していたとはいえ、きょう中に全員の作品を見おえることができるのか?
1時間半ほどかかってEさんの展示作品が決まる。
そのあとFさん、Gさん、Hさんと順調に(でもないけど)すすみ、いよいよわたしの番。
持ってきた写真をならべ、みんなに「好きなのを1枚えらんで」というと、それぞれ自分の好みの写真をえらんでくれた。ふむふむ、なるほど。



が、さいごにSIGN氏がえらんだものは、みんながえらんだものとまったくちがった。
彼はスナップ的な写真をはずし、厳密に構図をつくった絵画的なものをえらんだ。結果的にそこには共通する雰囲気のものがそろう。さすがである。
はたして展示用作品はえらばれた。あとは大伸ばしプリントを外注して、タイトルを決めるだけ。
だがタイトル決めにはこの展覧会のテーマとなる「ある縛り」があって、文才のないわたしにはけっこうつらい作業になりそう。

19時すぎ、極寒のなか帰路につく。

α6000とD800 どちらが写るか

2014年12月26日 | Camera
来年3月に走るフルマラソンの大会にむけて、これまでの走り方を見なおしている。
ハーフマラソンの2倍も走るわけだから、腰の位置とペースをすこし落として、膝への負担が少なく燃費のいい走り方をめざす。
きょうは10キロを58分くらいのスピードで走った。早くこのペースを身体に覚えこませたい。



年内の仕事がほぼ終わったので、午後から千里南公園へ写真を撮りにいく。
公園に着くと、池に向かって望遠レンズを構えている人たちがいる。なにを撮っているのかな?
おじさんに聞くと、カワセミを撮っているらしい。あのきれいな色をした小さな鳥です。目のまえの木の茂みに隠れていて、お腹がすいたら出てきて池の小魚をたべるのだという。
寒くてもこうしてみんなで写真を撮るっていいもんだ。たのしそう。

 ソニーα6000 + 16-50ミリ
 ニコンD800 + 24-85ミリ

上の2枚は、ホワイトバランスは「オート」、ピクチャースタイルを「風景」にしている。
ぱっと見てわかるのは、ソニーは青っぽい、ニコンは赤っぽい色調だということ。どちらが正しいかという問題ではなく、どちらの色も許容範囲で、好みの問題に近い。
あえていえば、記憶色に近いのはソニーかもしれない。

絞り値が同じでない(α6000はF9、D800はF13)ので判定しにくいが、周辺の描写はD800のレンズの方がよい。
だけど全体のシャープ感はα6000の方がいい感じがする。もっともこれはレンズの性能というよりも、カメラの画像処理のうまさというべきかもしれない。ソニーおそるべし。
ただしピクセル等倍にして見ると、D800の画像は隅々までしっかり解像しているので、解像力が劣っているわけではない。あくまでもシャープに見える感じの話で、プリントに大きく伸ばすとなるとまたちがって見えるだろう。



ところでα6000の交換レンズにはソニー製とツァイス製の2系統がある。(ツァイス製といってもライセンス生産なのでソニーがつくってるのだが)
フィルムカメラ時代、ツァイスのレンズを一度でも使ったことのある人ならわかると思うけど、ピントの合った部分は切れるようにシャープで、そこからアウトフォーカスの部分へなだらかにボケていく、あの官能的ともいえる描写がツァイスレンズの魅力だ。
厳密にいえばゾナータイプとプラナータイプではボケ味や色のりはちがうし、広角系のディスタゴンやビオゴンにはボケ味よりも周辺のシャープさやディストーションの少なさが魅力であるわけだが、総じて国産レンズにはない異次元の描写力がある。

そんな「ツァイス」を冠したレンズをα6000で使えるとなると、もう買わずにはいられない。
いまもっとも気になっているのは「Sonnar T* FE 35mm F2.8 ZA」というゾナータイプのレンズで、これをα6000に付けると35ミリ換算で52.5ミリという焦点距離になる。
標準レンズの好きなわたしにぴったりのレンズだと思う。
悩ましいのはソニー製で35ミリF1.8という明るいレンズもラインナップされていて、しかも値段がツァイス製の半分ちょっとだということ。罪つくりだね、ソニーは。

ベートーヴェンはロックだ

2014年12月21日 | Life
師走の風物詩といえば、日本の各地で演奏されるベートーヴェンの「第九」であるが、じつはこれは日本だけのことで、年末だからといって第九を演奏する国や地方は世界中どこにもない。
戦後まもなく経営の苦しかった日本のあるオーケストラが、餅代(正月を迎えるための年末のボーナス)を稼ぐためにはじめたのが恒例になったものらしい。
つまり合唱付きの第九をやれば、その合唱団の家族や知りあいにもチケットが売れるという目算があったそうな。
おかげでいまでは「これを聴かないと正月が迎えられない」という熱狂的な第九ファンもいるわけですね。

第九といえば「歓喜の歌」の部分が有名だが、これは70分ほどある全曲のうち、第4楽章のさいご(約18分)に歌われるほんの一部分である。
この歌を聴いて本当の意味で歓喜するためには、冒頭の第1楽章から順に聴いてはじめて味わえるものだと思う。
というわけで、きょうは年末のしごとが一段落したので、シンフォニーホールへ第九を聴きにいく。



きょうの演奏の指揮は金聖響(キムセイキョウ)、オーケストラは大阪フィルハーモニーだ。
曲目は第九こと、ベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調「合唱付」作品125番(これが正式の曲名です)と、ヴィヴァルディのバイオリン協奏曲集「四季」より「冬」。
「冬」だけなので15分にも満たない長さであるが、これを1曲目にやるのは、遅れてきてホールに入れない人のためじゃないかな。サービス、サービス!

さて、第九がはじまった。
宇宙の創世を感じさせる、なにか神秘的な響きではじまる第1楽章は「さあ、どんな世界を見せてくれるのか」とワクワクしてしまう。さいごの「歓喜」に向かうためのはじまりにふさわしい。

金聖響氏の指揮は、本人のことばを借りれば「音の事実を忠実に演奏する」のがモットーらしい。
音の事実というのは要するに楽譜どおり、つまり作曲家がイメージしたとおりに演奏するということ。
とくにベートーヴェンの交響曲は重厚さや壮大さを強調するために、楽譜の指示よりもゆっくりと演奏されることが多い。
金氏はそういう過剰な演出をきらい、できるだけベートーヴェンの指示した速度記号に忠実に指揮棒を振るのだそうだ。

さらに金氏は、第九がつくられた1824年当時、弦楽器はヴィブラートをかけずに弾いていたので、その音を再現するためにオーケストラにノンヴィブラートでの演奏を要求する。(これをピリオド奏法といいます)
またトランペット奏者には、より音のやわらかいフリューゲルホルンを吹かせていた(ようだが、2階席からは遠くてはっきり見えなかった)。



遅い演奏を聴きなれているわたしには「ちょっと速いな」と感じたのだが、そのうちそのテンポ感が心地よくなり、まったく違和感はなくなった。むしろベートーヴェンお得意のシンコペーション(強拍を1拍目からずらすこと)がよくわかるので、躍動的なリズム感が新鮮だった。
「ああ、ベートーヴェンってロックミュージックだな」と感じるほど、メリハリがついておもしろかった。

こうして聴衆を魅きつけておいて、いよいよ最終楽章がはじまる。
冒頭、第1・2・3楽章の再現部があり、それぞれの途中でチェロとコントラバスが割り込んでくる。これがもうシビレるほどカッコいい。ここを聴かないと歓喜の歌へは行けないのである。
そして、ついにクライマックス「歓喜の歌」へ突入!
ここからはもうどんどん宇宙に向かって飛んでいくだけで、その加速感をたのしめばよい。
指揮者とオーケストラと合唱団、そして聴衆が一体となってラストを迎える。このライブ感は本当にすばらしかった。



演奏後、カーテンコールが3回もあったので、なにかアンコール曲をやってくれるのかなと期待したけど、結局やらずにおわってしまった。
なごり惜しい気持ちでホールをあとにし、福島駅前で呑んで帰る。

まつげエクステで気分をアップ

2014年12月19日 | Life
かつて宇多田ヒカルの「In My Room」を聴いたとき、エクステンションってなに?と思ってしらべたら、若者がファッションでつけるカツラのことだった。
正確にいうと頭皮に接着したり自分の髪の毛に編み込んだりいろんな方法があるので、単にカツラとはいえない。
このエクステは頭髪だけかと思っていたら、最近は「まつげエクステ」なるものがあるそうだ。最近じゃないかもしれないけど。



きょう、いっしょに仕事をしていたヘアメイクさんと話をしていたら、「週の半分はまつげをつけています」というので「まつげをつけるってなに?」と聞いた。
それが「まつげエクステ」のサロンで、簡単にいうとまつげ1本1本に人工のまつげを貼りつけるのだそうだ。
いったい人間のまつげって何本くらいあるのだろう?
人によって本数はちがうが、だいたい片目に50本、両目で100本くらいあるという。
で、そのサロンの施術コースには「80本」「100本」「120本」「つけ放題」というのがあって、お客さんのまつげの本数によってえらんでもらうのだとか。
また、つけまつげの長さや太さ、カラーにもいろいろバリエーションがあって、それも好みでえらぶらしい。すごいなあ。

まつげエクステなんてそれほど多くないのかなと思ったら、それがものすごい人気でサロンにやってくるお客さんはとぎれることなく、施術師は昼食もとれないほど予約がびっしり入るそうだ。
しかも若い女性ばかりではなく、なんと70歳以上のおばあちゃんもやってくるという。
いやあ、女性は何歳になってもおしゃれをしたいのですね。ザッツ・エクセレント!
あなたのとなりの女性もエクステかもよ?

ちなみにまつげエクステの施術をするには美容師免許が必要だそうです。
でも、まつげのことなんて美容師学校では習わないとヘアメイクさんがいってました。最近はそんなカリキュラムもあるのかな。