Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ノウハウなんていくらでも盗め

2011年05月27日 | Class
きょうの授業の前半はいろいろなレンズの使い方の話をする。
はじめにわたしが仕事で使っている機材の紹介。
そのあと、これらのレンズを使ってわたしがどんな写真を撮っているのか、プロジェクターで見せる。
いろんなものを撮っているけれど、標準・広角・望遠のそれぞれのズームレンズがあれば、まずどんな現場でも困ることはない。
ただ、ときにはボケ味のきれいな単焦点やマクロなどの特殊なレンズも必要な場面があるので、一応持っていると心強い。



さて広角レンズの使い方であるが、広角は文字どおり画角が広いのでいろんなものが画面に入ってくる。
初心者が使うと主題のわからない散漫な絵になりやすい。
それを防ぐためには、できるだけ主題に近づいて撮る必要がある。
主題に近づくと当然その主題は大きく写り、それに比べて背景は小さく写る。
広角レンズが「遠近感が強く出る」というのはこのためである。

ところがこの遠近感がクセもので、カメラをアイレベル(被写体とフィルム面が平行になるよう)に構えないと、被写体の形が歪んでしまう。
たとえば人物を上から見下ろす(ハイアングル)ようにして撮ると、頭が大きくて足の短いプロポーションになる。
そういう絵が求められているのならかまわないが、ふつうの撮影ではNGだ。
そこで人物ポートレイトやブツ撮りなどでは形を歪まさないように、標準から中望遠レンズを使うことになる。
あとはどこまでピントが必要か(つまり被写界深度の深さ)を考えて絞り値を選ぶ。
とはいえ、じっさいの現場では会場の大きさや教室の広さによって、このレンズでしか撮れないという場合も少なくない。
さあ、バイトの金が貯まったら、キミがつぎに買うレンズは広角ズームだ。



授業の後半にインドの写真のスライドショーを見せる。
時間にして5分足らずの短いものだが、楽しんでもらえたのならうれしい。
上映後、なにか感想や質問はあるかと聞いたが、だれも反応しなかったのはちょっと残念だ。
もしわたしが生徒で、先生の撮りおろしのスライドショーを見せてもらったなら、どんな機材でどんな風に撮影してるのか、あれこれ聞いているだろう。
なぜインドなのか? ほかにどんな国を撮っているのか? おもしろいエピソードは?・・・つぎつぎと聞きたいことが出てきそうだ。
だが今年の生徒さんはずいぶんと控えめで、授業中もあまり質問をしてこない。
そんなにわかりやすい説明をしてるとは思えないのだが。
わたしとしては膨大な時間と金をかけて写真を撮っているわけだから、そのノウハウを明かしたくない気持ちもあるが、生徒の立場でいえばせっかく高い授業料を払って学んでいるのだから、盗めるものはなんでも盗まなければ損だ。
そのために外部講師を呼んでいると考えれば、もっとあつかましくてもいいと思う。(自分でいうのもなんだが)

だけどホントのことをいうと、どんなにノウハウを明かしたところで、同じ写真は撮れない。
写真というのは「どこに立つか」が勝負だからね。
生徒たちよ、いくらでもかかってきなさい。

ピントの厚みをイメージする

2011年05月20日 | Class
インドから帰国して、きのうは少しゆっくりしたが、きょうからまた仕事だ。
仕事しないと夏の旅行費が捻出できないからね。
インドの話はおっつけ紹介する予定。
で、3週間ぶりの写真学校の授業は「被写界深度について」。



一般的に、被写界深度は絞りを開けると浅くなり(つまりピントの合う範囲が狭くなり)、絞っていくにしたがって深くなる。
あらかじめ撮影しておいた写真をプロジェクターで見せながら、絞りを変えるとどのように絵が変化するのかを説明する。
素人さんは絞りを開けて背景をぼかすことが「良い写真の秘訣」みたいにカンちがいしているが、背景のボケ方と写真の良し悪しとは関係がない。
むしろレンズの力(大口径の明るいF値のレンズを開放で使う)に頼らない表現の方がわたしは好きだし、写真の内容も良くなるのではないか。
背景にあるうるさいものを何でもかんでもぼかしてしまうのは、安直すぎるというものだ。
ほんの少しアングルを変えればうるさいものをフレームアウトできるのに、そういう手間を惜しむというか、いろんな工夫をしないというのでは写真は良くならない。

わたしは使う焦点距離によって、どこまで絞ればどこまでピントが来るか(つまり被写界深度はどのくらいか)というイメージが頭のなかにできている。
イメージがなくてもデジカメのモニタを拡大表示すれば、だいたいのところはわかるけど、それではプロ失格だ。
たとえばスウィーツを撮るときと集合写真を撮るときとは、たとえレンズが同じでも使う絞りの値はちがう。
また同じ商品でもイメージカットとして撮るのか、カタログ用として撮るのかでもちがってくる。
必要なのはピントを1点と捉えるのではなく、ピント面を含めた前後にある被写界深度をピントの厚みとしてイメージすることだ。
フィルム面に平行な面(厚み)がいまどこにあるのか、そのなかに被写体を入れるという考え方だ。
ぼかすことよりも、ぼかさない(つまりシャープに見せる)ことの方が、じつは大切なのである。



まあ、ことばで言ってもなかなかイメージできないと思うので、何度も撮って自分なりのデータを頭にたたきこんでほしい。
Fさんは小さなエヴァのフィギュアと格闘中。
エヴァ初号機は第3使徒サキエルと格闘中だが、このときすでにパイロットの意識はなく初号機は自らの意思で戦っていた。つまり暴走中



[きょうの夕食]
・舞茸とたまごの中華スープ
・小エビと春キャベツの甘酢あえ
・厚揚げのあんかけ
・蒸し鶏のゴマだれ風

GWの課外授業その2

2011年05月06日 | Class
わたしの大型連休はきのうでおわったが、学生たちの連休は8日までつづく。
なので、きょうは課外授業の2回めとして靭公園で撮影会をしようと誘ったら、こんなに集まってテンヤワンヤだった。(じつは合成です)
とりあえず4グループに分かれて、グループごとに撮影することにする。



屋外で人物ポートレイトを撮るときのポイントは場所よりも光の選択だ。
いかにきれいな光線を見つけて、そこにモデルを立たせるかがすべてといってよい。
ポートレイトによく使う光線はその状況によって大きく分けると6つのパターンがある。
いずれもレフ板を使って光をコントロールするのだが、このレフ持ちがなかなかむずかしい。
順光でも逆光でも影になってる部分へ光を送りこんで、明暗の差を少なくするのが目的。
いかにもレフ板当てましたという感じよりも、効いてるか効いてないかわからない程度のほんのうす味がいい。
明暗の差がなくなるほど強い光を当ててはいけない。



(左)帽子をかぶった人はどうしても顔が暗くなるので、下からレフ板で少し強めに光を返してやる。
光はいいが、この場所は背景の木がうるさすぎるので、もっとすっきりした場所で。
やっぱり場所もたいせつ。
(中)ズミクロンR50ミリをD300に付けて撮ってみた。
開放だと高輝度の部分がにじんできれい。
背景に光が当たっているのでキラキラしていい感じ。
(右)左目にピントを合わせたつもりが奥ピンになっている。
もうマニュアルでは合わせられないほど視力が悪くなった。ショック
男性はもっと明暗のコントラストが強くてもいい。

撮影会に参加経験のあるAさんが「ポートレイトってくもりの方が撮りやすいのではないですか」と聞いてきた。
たしかに大勢で一人のモデルさんを撮るような撮影会なら、どの方向からでも影の出にくいくもり空がいいかもしれない。
でもくもりの光線はやわらかすぎて逆にメリハリがつきにくいし、フィルムだと色がにごる。
わたしは画面のどこかにキラッと光るハイエストライトが入った写真が好きなので、きょうのような晴れの日の太陽光線の方がいい。
どんな絵がほしいのか、カメラマン(あるいはデザイナー)のイメージによるけど。



午後からくもってきたので、いい絵が撮れなくなった。
光が悪いと結局レンズの力におもねったような醜い写真を撮らざるを得ない。
(上のバラと5/2の植物とのちがいを見よ)
なので14時半に解散する。

[きょうの夕食]
・煮込みハンバーグ
・チーズちくわ
・ツナ缶とペンネのサラダ(写真は撮り忘れ)

GWの課外授業その1

2011年04月30日 | Class
きょうは学生たちを連れて大阪の街をねり歩き、スナップ撮影&ギャラリーめぐりをする。
これは教室ではなかなか教えられないことを現地で実習する、いわば課外授業である。
希望者を募っての個人活動なので、べつに学校からギャラが出るわけではない。(一応、担任の先生には断っているが)
まあ、これは半分わたしの趣味みたいなものだが、世話になった学校への恩返しでもある。
それはともかく。



GW中なのでミナミは朝からけっこうにぎわっている。
まずは戎橋でお約束の記念撮影。
そして建物やショーウィンドーを撮りながらアメリカ村へ向かう。
三角公園こと御津公園に着くと、わたしはめぼしいカップルに声をかけ写真を撮らせてもらう。
人物スナップは声をかけて撮る場合とかけないで撮る場合があるが、どちらもそれなりにテクニックが必要だ。
かける場合はそのタイミングとしゃべり方がポイント。
知らない人に写真を撮られるなんて、ふつうの人は警戒するのがあたりまえだから、相手にそう感じさせないような雰囲気をその場でつくることが一番大切である。
とはいえ、これはカメラマンの個性というか人間性が出てしまうので、だれにでもできるというものではない。



わたしの撮り方(声のかけ方)を見せ、「5人(組)のスナップを撮っておいで」と学生たちに課題を与える。
5人くらいすぐ撮れそうなもんだが、はじめてだとなかなか声をかける勇気が出ないものだ。
はたして1時間後、もどってきた彼女彼らのなかに5人クリアした人はいなかった。
でも1人の人を10カット以上撮っていたSさんのねばりはすばらしい。
わたしの学生時代には100人の人に声をかけて顔のアップを撮ってこい、という課題を出す先生がいたが、今はもうそんなきびしい先生はいない。
1人1点で100人撮ったら100点だなんて、最高の課題でした。



アメ村をあとにして四ツ橋筋をキタへ向かう。
直線距離でちょうど3キロだから、スナップしながらゆっくり歩いても1時間はかからない。
西梅田に到着し、まずギャラリー・アルテスパーツィオに入る。
ちょうど本人さんがいたので少し話をする。
写真は見るだけでなく、作者と話するのがたのしいし、学生たちには勉強になると思う。
つぎにニコンサロンでjuna21に入賞した人の写真展を見る。
ここにも本人さんがいたので、学生たちは積極的に話しかけていた。いいぞ
さいごにキヤノンギャラリーでアサヒカメラのコンテスト入賞者の作品を見る。
あざとい写真もあるが、おおむね技術は高い。
スタバでお茶を飲んで解散する。

うえの女子2人のカットは、Yくんの使っていたゾナー50ミリF1.5を借りて絞りF2で撮ってみた。
素直なボケ味とさらっとした色調がいい感じだが、わたしのM8ではほんの少し後ピンになるようだ。
代わりにYくんにはわたしのズミクロン50ミリを貸すと、あっという間に1本撮ってきた。
ちなみに彼のカメラは最新のツアイスイコン。しぶい



[きょうの夕食]
・いなり寿司(買ったもの)
・焼きシューマイ(買ったもの)
・大根の甘酢づけ
・アサリとタコとイカのトマト煮

ちょっと疲れたので手抜き料理4品。

光を見るという意識

2011年04月27日 | Class
写真を意味する「photograph」ということばは、古代ギリシア語に起源があり「光で描く」という意味であるらしい。
このことばは写真の本質を言い当てていて興味深い。
カメラがどんなに進歩しようとも光がなくては写真は写らないからだ。
いつも写真を撮っていると光源の位置とか、光の方向や強さに敏感になってくる。
というか、それを意識しないことにはいい写真は撮れない。

きょうの授業ではまず「光を見る」ことを意識するようにという話から入る。
光を見るといっても光そのものは無色透明だから、じっさいには光の反対側にできた「影」を見て、わたしたちは光を感じている。
したがって写真に「光を写す」というのは、言い換えれば「影を写す」ことにほかならない。
画面のなかに影があってはじめて光を感じとるわけだ。



では影を写すとはどのようにすればいいのか。
それは室内のちょっとした物の撮影でも風景でも同じであるが、「あっ、きれいな光だな」と感じたら、その光を単独露出計で測って撮影すればいい。
カメラの内蔵露出計で撮るとほとんどの場合、平均的な明るさになって影の部分まできれいに写ってしまう。
これでは影を写すことにはならない。
単独露出計で測るとその光の当たっている部分が中庸な明るさになり、影の部分が暗く落ちるので、明暗がはっきりしてくる。
慣れてくると、どの光を測ると影の部分がどのくらい落ちるかが見えてくるので、自分の表現にあわせてさらに露出補正をかけることもできる。



授業の後半は光の状態によって露出計をどのように使うとどんな写真になるかを説明する。
すなわち順光の場合、被写体のまえで受光球をカメラに向けて測光する。
これが基本だが、サイド光や逆光の場合はいろいろな測り方があるので、あらかじめ撮影しておいた写真をプロジェクターで見せながら解説した。
写真のハウツー本にはあまり載っていないので、知りたい人はわたしの授業を受講されたし。

予定ではあまった時間に「光を感じる写真」を撮影しようと思っていたが、やはり時間が足りなくなって、結局準備してもらったモノクロフィルムは使わずじまいであった。
あしたの実習でO緑地へ行くそうだから、そこできれいな光を見つけてね。
連休明けにインドへ行くので、つぎの授業でそのスライドショーをやります。
おたのしみに。

[きょうの夕食]
・チーズとキュウリのオードブル
・アジの南蛮漬け
・小エビとブロッコリーの天ぷら
・豚肉と白菜のオイスターソース炒め

今夜は夕食の写真を撮るのを忘れて食べてしまったので写真なし。