Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

いとしい写真

2016年06月28日 | Photography
先月ライツフォコマートIcを入手したことは書いた。最高の引伸し機を得て、早く暗室作業がしたいと思っていたが、先週ようやく再開することができた。さあこうなったらどんどん焼くで。
1枚のプリントができあがるのにいったいどのくらいの時間がかかるのかを考えてみる。



まず36枚撮りのフィルムをカメラに装填して撮影する。当然ながら36カット撮りきるまではフィルムを取り出すわけにはいかない。まあ調子がよくても1時間くらいかかるだろう。

そのあと自分でフィルム現像するとして、フィルムのベロ出しをしてダークバッグの中でリールに巻いたり、薬品を溶いたりして準備するのに30分。現像時間は6分、停止2分、定着10分、水洗30分として合計78分。タンクから出して乾燥に約半日。
乾いたフィルムを6コマずつ切り分けてネガ袋に入れ、撮影データを書き込むのに、5〜10分。これでフィルム現像は一応完了だ。ここまでは明室での作業。

フィルム現像ができたらつぎは暗室でベタ焼き(上の写真)をつくる。風呂場の窓に目張りをしてダークカーテンを引き、薬品類を溶く。これに30分。フィルムをネガ袋から出して印画紙の上にならべ、無反射ガラスをのせて露光する。6〜8秒。現像2分、停止30秒、定着1分30秒、水洗5分。

さてここからが本当の写真制作のはじまり。できあがったベタ焼きをルーペで丹念に見て、どのコマをプリントするか、どんな絵にするかを頭のなかでイメージする。それが固まったらネガを引伸し機にかけて、テスト露光。それからまずストレート焼き。それを見て、どこを何秒焼き込むか、これも頭のなかでイメージする。2枚目でイメージどおり仕上がることはまずないので、3枚4枚と納得いくまで焼きつづける。

←冬の日本海/夜明け前

このように手間ひまかけて、ようやくできあがったプリントは、単に印画紙の臭化銀が現像液によって還元され黒化銀になった物質というだけでなく、まるでわが子が産まれ出たような「いとしさ」がある。
デジタルで出力したプリントもそれなりに嬉しいしたのしいのだが、暗室作業でできたプリントは格別である。

あれもないこれもない

2016年06月23日 | Photography
先週末で今春の繁忙期をようやく脱し、今週は自分のペースをとりもどしている。大阪城で長い距離を走ったり、友だちと会ったりしているのだが、一番気になっているのは作品制作のためにモノクロ暗室を再開することである。



まず溜まっているフィルムの現像からやろうと準備していたら(いままで現像所へ出していたが、あまりにも料金が高いので自家現像することにした)、いくらさがしてもフィルムクリップが見つからない。あんなにたくさんあったのに、捨ててしまったのか? おそらく10年ほどまえに引っ越ししたときの未開封のダンボール箱に入っているのだろう。散らかった屋根裏部屋から見つけるのはたいへんなので、もうヨドバシカメラで買うことにした。

さらに去年から撮りためた現像済みのフィルムを整理しようと思い、ネガファイルを買ったものの、ネガ袋をどこにしまい込んだのか思い出せない。これもたくさんストックしていたから、どこかにあるはずだ。
一事が万事こんな調子で、さあやろうとすると「あれがないこれがない」という具合いでなかなかまえにすすまない。



書棚の奥からネガ袋を発見し、フィルムを入れなおしたり、8ヶ月もまえの撮影データを思い出したりして整理していると、タイミングよくヨドバシカメラからフィルムクリップが届いた。これでようやく現像ができるぞ。
ところがである。フィルムの現像はかれこれ10年以上やっていないので、処理時間などを完全に忘れてしまっている。あわててコダックのウェブページからデータをさがしたり、暗室関係のブログを検索したり。停止液って何パーセントに希釈するんだっけ?



そんなこんなで、きょうはなんとか4本だけ現像できた(クリップが4本分しかないので)。自家現像は時間と手間がとてもかかるが、20数年まえにモノクロ暗室をはじめたときのたのしさがよみがえってくる。
あしたはいよいよ暗室を再開して、ベタ焼きづくりからはじめる。時間があればプルーフも焼いてみよう。たのしみ。

魅惑の銀塩プリント

2016年04月29日 | Photography
黄金週間の初日は奈良市写真美術館で開催中の「ゼラチンシルバーセッション巡回展」を見にいく。



ゼラチンシルバーセッションとは銀塩写真による競作のことである。
風前の灯のようになったフィルムと銀塩プリントでいまだ制作をつづけている写真家たちが、その銀塩写真の文化をのこすためにアクションをおこしている。

2007年には写真家が2人1組になって、自身のネガから仕上げたプリントと互いに交換したネガから仕上げたプリントを展示した。このセッションは「21世紀の銀塩写真」というタイトルで写真集も出ている。
参加している写真家はつぎの8組で、いまや日本を代表する錚々たる顔ぶれ16人だ。
上田義彦×三好耕三/笠井爾示×繰上和美/菅原一剛×広川泰士/鋤田正義×平間至/小林紀晴×泊昭雄/小林伸一郎×本城直季/瀧本幹也×蓮井幹生/蜷川実花×藤井保

さらに去年はべつの組み合わせ、なんと18組(36人)もの写真家が、それぞれに決めた独自のテーマで撮りおろした写真を展示している。
今回の展覧会は2007年と2015年の展示をまとめて一度に見ることができる。



わたしは2007年の写真集をもっていて競作の内容は一応見ているのだが、小さな印刷物なのでじっさいのプリントが見てみたいと思っていた。
で、きょう見てみたら、想像を超えた美しさ! 銀塩写真ってこんなにきれいだったのかとあらためて感動したしだい。ここ数年で自分の目が退化しているのかもしれない。

それぞれの写真家がお互いにネガを交換してプリントするので、本人のねらいとはちがう表現が見くらべられてとてもおもしろい。その上質な写真は見ていて気持ちがいいというか、豊かな気持ちになってくる。銀塩ならではの表現だと思う。
さらに特別ゲストとして、在米イギリス人の写真家マイケル・ケンナが日本を撮った作品も20点くらい展示されている。これがもう涙の出るくらい美しくて、見にいって本当によかったと思う。銀塩写真に興味のある人はぜひ見にいくべし。

ゼラチンシルバーセッション巡回展

「楽しむ写真」ってなんだ

2016年03月13日 | Photography
きょうは奈良の自主研究サークル・写真茶話会RRの「楽しむ写真・六人の視点」展を見にいく。
場所は主宰者SIGN邸のすぐ近く、Quadrifoglio CAFFEの1階にあるギャラリーだ。ちなみにクアドリ・フォリオとはイタリア語で「四つ葉のクローバー」を意味する。



今年のRR展のテーマは「楽しむ写真」。ああ写真をたのしんで撮るってことね。
ところがじつはそうではなく、写真そのものを一人称として捉えて、「写真さん」自身がたのしむ写真だという。意味わかる?
わたしの理解はこうだ。

カメラが生まれて約190年が経過するが、この間、人類がカメラを通して見てきたシーンは良きにつけ悪しきにつけ、最もダイナミックな人類の歴史であった。写真というものを擬人化すれば、「写真さん」こそがその生き証人である。
写真さんは人類のさまざまなシーンを見てきたし、いまも見つづけている。だが最近、彼(彼女?)は日常のあらゆる場面に借り出され大忙しである半面、そのたのしみ方がせまく固定化されてきたことに悩んでいる。
写真さんはもっといろいろなものを見たいし、たのしみたいと願っている。その願いをSIGN氏が叶えようという企画がこのRR展なのだ。

写真の本質は「記録し伝える」ことだ。その主語は「感動」である。だとすればカメラを操作する人間側にもそれなりの感性や覚悟が必要だろう。
きょうは職場の上司と寿司屋に来てますとか、彼氏とディズニーシーに来ましたとか、ナンバでサヤ姉見かけました、みたいな写真をいくら撮っても見る人の心には届かないし、それは感動からは遠いものにしかならない。



さて前置きが長くなったが、RR展に展示されている写真たちは非常に密度のあるステキな作品であった。
6人それぞれの作家が1年以上かけて撮ってきた写真を「楽しむ写真」という視点で選び抜いたものなので、それぞれに伝わってくるものがある。

とりわけイケモトタツヤ氏の作品にわたしはとても感動した。彼の作品は自分の仕事のようすを丹念に記録し、それを何冊ものフォトブックに丁寧にまとめている。「いつ仕事してるの?」というツッコミを入れたくなるほど、その写真群は臨場感にあふれ力強く、しかも写っている被写体(多くは人物)にとって意味のある局面を的確に切り取っている。これはもう写真家の仕事である。
一人称の「写真さん」がたのしみたいと願っていたものがイケモト氏の写真には宿っている。そしてそれは見た人の心にも確実に伝わってくる。写真のもつ力をまざまざと見せつけられた気がする。

この写真展の会期はきょうまでだが、カフェのオーナーのご好意でつぎの展覧会までは作品をそのまま展示しておくらしい。今回見ることができなかった人は、たとえば二上山に登るついでに見ることは可能だ。
Quadrifoglio CAFFEのHPはこちら

出会いと気づきの場

2016年03月05日 | Photography
昨夜のきつい仕事とは、あるジャズダンスの発表会の撮影であった。
18時から21時まで(途中5分間の休憩あり)27グループが次々と広いステージを端から端までつかって踊りつづける。
ダンサーはほとんど女性であるが、年齢は小学生くらいから50歳代と思われる人たちまで、じつに幅広い層が出場していた。みなさんとても活き活きと踊っているので、そのエネルギーがファインダーを通してこちらまで伝わってくる。
中盤からはダンサーたちとわたしとの一騎打ちというか、「カッコいいポーズを写しとめるぞ!」という真剣勝負みたいな気持ちになってきて無我夢中で撮りまくった。その画像をお見せできないのが残念だ。



さて、きょうは写真展5日目。
11時すぎにギャラリーへ行くと、すでに友人のSさんが来ていた。すこし話をしていると、知り合いのカメラマンが来られる。展示している写真とブックに入っている写真のペーパーがちがうことを一発で見抜かれ冷や汗をかく。
そのあと引きも切らず来館者があり、中にはのり巻きとみそ汁まで持って見に来てくれる友人がいて、みんなでバックヤードでいただく。おかげでちょっとパーティー気分でいい雰囲気になった。ありがとう、Tさん。
閉館時間までいろんな方とお話ができて、きょうはじつに実りの多い一日であった。

残すはあと一日。あしたはどんな出会いと気づきがあるのか、とてもたのしみだ。