Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

写真を撮りつづけるということ

2016年03月04日 | Photography
写真展4日目



昼下がり、バックヤードで本を読んでいると、ひょこっと顔を出したのは友人のRさんだった。遠くから見に来てくれたのですね。
彼女はいつもの笑顔で「写真を撮りつづけて、写真を選び、こうして写真展をするということ。それがどういうことなのか、よくわかりました」といった。

9年ぶりに写真制作を開始した彼女はなにか目に力がこもっていて、いつもより饒舌なのにおどろく。
そのあと写真の行間を読むということや写真のつよさについて、カラーフィルムとデジタルの発色のちがい、プリンターやペーパーのちがいによるトーンの出方のちがい、展示空間と環境光のこと、プラウベルマキナ67のこと等々、写真作家でないとわからないような話を延々とする。

さいごにどうしてわたしたちは写真を撮りつづけるのかという根源的な話になった。その答えは出なかったけど、本当は彼女もわたしもうすうす気がついている。ことばにしなかっただけだ。
気がつけば1時間以上たっていて、そういえばきょうは料理の話をいっさいしなかったことにまたおどろく。
彼女はいま作家人生の岐路に立っている。勝負のときだと思う。

わたしは今夜きつい仕事があるので、16時にギャラリーを出る。

素直でシンプルな写真

2016年01月28日 | Photography
3月の個展に向けて着々と準備がすすんでいる。

1300枚刷ったDMのうち1000枚は、海岸通ギャラリーCASOから50ヶ所の画廊や美術館へ送ってもらった。わたしは自分の足で大阪の写真ギャラリーをまわって置いてもらっている。のこりあと100枚くらい。
きょうもギャラリーまわりをしていると、心斎橋アセンスは現在工事中で、来年あたらしいビルが建つそうだがギャラリーを設置するかは検討中だという。アクリュギャラリーも夏まで閉廊になっていたし、ポートギャラリーはすでになくなっていた。
なんか大阪の写真ギャラリーはお寒い状況になっている。



ついでにニコンサロンでやっている日本写真映像専門学校と大阪芸術大学の卒業制作展を見る。
毎年、両校の展覧会はこの時期におなじ会期で行なわれるのであるが、それぞれ選抜された力作が展示されていて、それを見くらべるのがおもしろい。
その中でわたしの目にとまったのは、写専の松村あかりさんの作品「とべるものならとびたいよ」だ。病気の祖母を撮っている。まだ撮りきれていない感は否めないが、作品解説には「これからもずっと撮り続けていきたい」と書いてあるので、ぜひつづけてほしいと思う。
やはりこういう写真は長く撮りつづけていくことで見えてくるものがあるし、それが作品の質を高めるのだと思う。



ところで、これまでわたしは3回個展をやっているが、毎回思うのは写真とステートメント(制作意図)とが合っていないと感じることだ。その原因はだいたいわかっている。作品をカッコよく見せようと、背伸びした文章を書くから写真と遊離してしまうのだ。
今回のステートメントは非常にシンプルで、等身大の作文ができたと思う。写真もシンプルで素直に自分の感動を写している。巧い写真はないが、わたしにしか撮れない写真なので、そこがこの写真展をする意味なのです。

すでに注文したブックマットは届き、レンタルフレームも予約した。あとはプリントを刷るだけだが、三日もあればできるので、もうすこし先延ばしし、それまで撮影と選択をつづけようと思う。
さあ、どんな写真展になるか、とてもたのしみである。

GIFTS - 受け継ぐもの -

2016年01月16日 | Photography
3月に個展をすることになった。告知にはまだちょっと早いかもしれないが、準備は着々とすすんでいるので、一応書いておこうと思う。
場所は去年「写真茶話会RR展」で使った海岸通ギャラリーCASO。展示室もおなじスペースYである。
展覧会名は「GIFTS - 受け継ぐもの -」。会期は3月1日(火)から6日(日)まで。
お近くの方はぜひ覗きにきてください。



今回の作品は妻の実家である兵庫県の篠山がテーマである。
ちょうど2年まえの1月に義母が他界し、先週三回忌をすませたばかりであるが、この間、義母のいなくなった実家と田畑を彼女の娘たち(つまりわたしの妻と義妹たち)がどのように守り、受け継いできたのかをわたしは記録してきた。
とはいっても、堅いドキュメンタリー作品ではなく、篠山の田舎の風景と彼女たちの日常を気負わずに写したスナップ写真である。

来週、DMができあがるので、それを持って大阪近辺の写真ギャラリーを回らねばならない。
並行してプリントとマッティングの作業が待っている。あれこれと作業していると1ヶ月くらい、あっという間にすぎて搬入日になってしまうだろう。まあ、そういう作業こそがたのしいのだけど。
いままでハーネミューレのフォトラグバライタを使っていたが、アホみたいに高いので、もうすこし安くて質感のいいペーパーをさがしている。
ピクトランの局紙はあたたかい風合いでいいけど、ピクトリコの微光沢紙もなかなかいい感じだ。このへんに落ちつくのではないか。

いずれにしても今回の作品はそれほど大きくなくて、A3くらいの写真を18×22インチのシンプルな額に入れようと考えている。
CASOでは額を貸してくれないので、べつのところでレンタルする予定だが、けっこうな枚数なのでこれもまた悩みどころ。ああ

小ずるい写真

2015年11月28日 | Photography
先週までつづいたI大学の撮影がようやくおわり、下請けの仕事は一段落した。のこるは元請けでつくっている卒業アルバムの編集だ。なんとか年内には完成させたい。
気分転換に朝から10キロ走り、午後から久しぶりに写真茶話会へいく。ギフトシリーズが完結したので、SIGN氏に感想を聞きたいと思っている。



今年度はあたらしいメンバーが2人加わって、みんなで6人の方がここで作品研究をしている。(きょうは5人参加)
いつものようにまず一人が持ってきたプリントを作業台に並べ、みんなで一枚一枚ていねいに見ていく。SIGN氏が参加者に「どう思いますか?」と発問するときもあるが、たいていは自由に質問したり感想をのべたりする。それに対して撮影者が答えたり、さらにプレゼンしていく。
そういうフリーな雰囲気はいままでの写真茶話会とおなじだ。

だいたい一人に1時間くらいかけてじっくりと見るので、きょうは全員の写真を見おわったら19時をすぎていた。
とりわけSさんの写真は自分の身近な人たちを正面から撮った正統派のドキュメンタリーで、この写真についてさまざまな意見が出された。
テーマが重いので作品化して発表するにはかなりの慎重さが必要だ。でもこれを作品にしないのはじつに惜しいと思う。ここはSIGN氏の手腕の見せどころか。来年の展覧会までにうまくまとまることを切に願う。

←ついによみがえったベスパ100

茶話会が終了したあと、おやじ4人がのこってのアディショナルタイム。ギフトシリーズの感想をSIGN氏にたずねる。本音に近い部分を聞かせてくれた。
また同席していたSさんからは、このシリーズは現代アートのような確信犯的「小ずるさ」があると言われた。なるほど。
アート全般に造詣が深く、守備範囲の広い彼の視点はするどい。だがそれは批判的な指摘ではなく、コンセプトを理解したうえでの彼なりのエールだと受け止める。
この小ずるい写真が今後どのような形で作品化するのか、しないのか。本当の意味で真価が問われるのはこれからである。

フィルムで撮ることの意味

2015年11月16日 | Photography
せっかくフィルムで写真制作を再開したのに、いつものプロラボではもう現像してもらえなくなり、出ばなをくじかれたことは先日書いた。
いろいろ考えた末に出した答えは「それでもフィルムで撮る」である。
フィルム現像をプロラボへ出すと、フィルム代とあわせて1本1200円にもなるので、1シャッターにかかるコストは33円とすこし。
こういうコスト計算をしだすといまさらフィルムでなんか撮れないという人が大半であろうが、それでもなおフィルムで撮ることの意味はなにか。



ある人は「この空気感がいい」といい、またある人は「この写らなさが想像をかきたてる」という。さらにちがう人は「このざらざらした感じが最高」といい、また「1枚1枚に魂がこもる」という人もいるだろう。
でもこんなに抽象的なことばではふつうの人にはフィルムの優位性は理解しにくい。フィルムの方がいい写真が撮れるなんて、一種の妄想だといわれてもしかたがないだろう。
「フィルムで撮った写真のよさはわかるヤツにしかわからない」という、やや排他的優越主義的(こんな言葉あるのか?)な気分すらある。

ただ最近わたしが気づいたことは、(いまさらだけど)デジカメで撮った写真とフィルムで撮った写真とはまったく別ものだということ。
おなじ平面の静止画なので、おなじものだとカンちがいする人が多いけど、それは絵画と写真とのちがいくらい、大きな差がある。メディア自体がちがうものだといってもいい。
だから、いくらお金がかかってもフィルムの替わりにデジタルということにはならないのである。

とりわけ黒の濃淡だけで表現するモノクロ写真は、写真というより木炭デッサンなどにちかい。
だとすると、わたしは木炭の替わりにモノクロフィルムで絵を描こうとしているのかもしれない。
まあとにかく、しばらくフィルムで撮ってみて、なにが出てくるのか見きわめてみようと思う。

(上の写真はオフィチエンチム収容所でユダヤ人から没収したメガネ)