Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

プロ写真家を養成する学校

2011年07月24日 | Life
きょうはSIGNの写真茶話会で宝塚にある写真表現大学へ行く。
多くのプロ写真家・プロカメラマンを輩出している学校なので、どんな授業がなされているのか、とても興味がある。
SIGNさんのコネクションで幸運にも授業参観が許可された。
こんな機会はめったにない。

わたしたちの参観する授業は13時半にはじまった。
広い教室の中央に大きな作業台のような机があり、すでに一番バッターが作品を広げてスタンバッている。
きょうは1学期のさいごの授業なので、これまでに撮った写真を見せ、この夏休みに撮ろうと考えている写真の方向づけをする授業のようだ。
生徒さんたちはそれぞれ自分の撮った写真のテーマとコンセプトをプレゼンする。
それに鋭いつっこみを入れるのは、サードギャラリーAyaのディレクターでもある綾先生だ。
ディレクターという仕事はふだん表に出ることがないが、まちがいなく綾さんは関西の写真文化を牽引する一人である。
関西だけでなく世界の写真の動向を現地で見つづけている彼女の眼力はたしかで(わたしがいうのも失礼な話だが)、やさしい口調のなかに厳しい指摘がバシバシ入る。

生徒さんのテーマがあいまいだと本当に撮りたいものが何なのかがはっきりするまで、綾さんはどんどん質問していく。
下手な演出写真を撮っていると、
「それは単なる記念写真ね。本当の関係性を見せなきゃダメよ」と一刀両断。
そしてこれまで彼女のかかわってきた写真家の話をさりげなく紹介したりして、作品の方向づけをしていく。
具体的な方法論については、いっしょに授業を担当している天野先生があとを引き継ぐ。
彼はプロの写真家なので技術的なフォローは万全だ。

このように生徒さんの見せたいこと・伝えたいことを綾先生がさぐり、方向性が見えてきたら天野先生が具体的なアドバイスをするという、いわば二人三脚のような授業であった。
このクラスは10人ほどなので、2時間半のあいだ、じつにていねいに作品を見てもらってたのが羨ましかった。

本橋成一の写真から見えるもの

2011年07月23日 | Life
5時すぎに目が覚め、愛犬アルタと散歩に行く。
帰ってかるく朝食をとり、一息ついて今度はロードワークに出る。
涼しいうちに走るのは気持ちがいい。調子よく10キロを59分で走る。
それからプリントを7枚刷る。



午後からリバティおおさかへ本橋成一氏と鎌田慧氏のシンポジウムを聞きにいく。
まず本橋氏が大阪の屠場を撮りはじめたいきさつ、そして今回の写真展で見せたかったことを話した。
つぎにルポライターの鎌田氏が東京で取材した屠場のようすを紹介する。
屠場での解体作業は熟練工による技術の集積で成り立っている。
若者は親方を尊敬し、それぞれの熟練度に合わせた持ち場があるらしい。
牛は一頭一頭が大きさや骨格がちがうので、すべてが手作業でそれぞれの部位に解体されていく。
コンベアーなどを使って効率よく作業はすすむが、オートメーション化された近代的な工場とはちがい、屠場にはどこか温かさを感じるという。
本橋氏の写真にもまさにそのようすが写っている。

本橋氏がチェルノブイリの原発事故で被曝したベラルーシの村を撮影に訪れたとき、おどろいたのはそこに住む老人たちの手であった。
長年にわたり農作業してきた彼らは、手そのものが道具となって農作物を生み出してきた。
彼は自分の手を見せるのが恥ずかしかったという。
いま日本では身体を使った労働は少なくなり、そうした仕事の現場も見えにくくなっている。

本橋氏の話を承け、鎌田氏が話をつづける。
たとえばイスラム圏ではラマダン(断食の修行)のあと、人びとは牛の解体業者のところへ列をなして肉を買いに行く。
解体する場所と売買する場所が同じなので、そこで生産者の仕事のようすが見える。
だから消費者は生産者に対して感謝の念が生まれるのだという。
一方、日本では高度に流通が発達した結果、生産者と消費者との距離が離れてしまった。
そのため屠畜業に限らず、農業や漁業に従事する人びとの仕事が見えなくなり、その職業に対する偏見や差別的な意識が生まれてきたのだという。
さらに彼は和歌山の太地町のクジラ・イルカ漁について、外国の環境保護団体によってずいぶん悪いことをしているような印象を与えられているが、これもわたしたちが実態を正確に知らないところから来ている偏見だといった。
なるほど、こういう切り口で労働を捉えると、屠畜業に対する蔑視というのは個人的な問題ではなく、社会のしくみそのものに問題があることがわかる。

本橋氏と鎌田氏の話は丹念に仕事の現場を見てきたからこその説得力があって、非常におもしろかった。
ただ司会者が無理やり人権問題とつなげようとするのが、ちょっと空々しいというか、押し付けがましかった。
まるでどこかの労組の主催する人権講演会のようでウザイ。
本橋氏の写真はもっと広いチャンネルをもったもので、いろいろな見方ができるからこそ素晴らしいのだと思う。

写真は大きいほどおもしろい

2011年07月22日 | Photography
ブルームギャラリーのディレクターと3回ほどメールでやりとりして、やっときょうDMの原稿が完成する。
ずいぶんシンプルなデザインだが、写真に合わせてこうなったとか。
会期は9/6(火)~18(日)、ディレクターのすすめでオープニングパーティを9/10(土)にすることになったので、お近くの方はぜひご来廊ください。



注文していたハーネミューレのペーパーが届く。
A2サイズ(420×594ミリ)だとさすがに大きい。
今週は忙しいので、来週からいよいよプリント制作に入る。
ここにガンジス河の川面をプリントしたら気持ちいいだろうな。
たのしみだ。

写真って大きければ大きいほど、おもしろいと思う。
そもそも写真というのは情報の集まりだから、最低でも半切、できれば全紙に焼いてはじめてその情報が見えてくる。
六切や四切程度では本当のおもしろさはわからない。
できれば1100ミリ幅のロール紙で1100×1500ミリくらいの大伸ばしをすればいい。
あのおもしろさはやった者にしかわからない。

ところで「銀塩×デジカメ」論議でよくいわれるフィルムの粒子とデジタルのピクセルの話は、いつもバカバカしいと思っている。
人間の目で180dpi以上のピクセルなんて認識できないし、ましてフィルムの粒子を感じるためには全紙以上に引き伸さないと見えてこない。
まさか四切プリントをルーペで見るわけでもなし。
ならば「粒子×ピクセル」論議は机上の空論であって、それがフィルムとデジタルのちがいを決定づけることにはならない。
素人さんは自分の目よりも聞きかじりの知識を信用するから困ってしまう。
フィルムかデジタルかなんて、写真表現にはほとんど関係ないと今なら断言できる。
自分の使いやすいカメラを使えばいいだけの話だ。

涼しい写真ってなんだ

2011年07月21日 | Photography
午前中にプリントを12枚刷る。
そのあと近くのスーパーへ食糧を買いにいくが、コーヒー豆を買い忘れる。
午後からヤボ用で写真学校へ行く。
さらにV中学校へ追加注文の写真を納品に行き、W中学校へアルバムの編集についての打ち合わせ。
カメラマンといえども、じつは撮影の仕事よりもこういう仕事の方が多い。

夕方、西天満のハッテンギャラリーでやっている「涼しむ写真展」へ行く。
この写真展はわたしが教えている写真学校の1年生が行なっているもので、節電に協力するために「写真を見て涼んでもらう」のがコンセプトらしい。
どんなに涼しい写真があるのか、たのしみだ。



ギャラリーに入ると異様に暑い。
節電のためにエアコンの温度を28℃に設定しているという。
なにも、そこまでしなくても…

全体を見わたして、青っぽい写真と白っぽい写真が多いのは、やはり「涼しさ」を意識して寒色系になったということか。
なかでもOさんの写真はたしかに涼しげだ。
画面中央に芝生と水まき用のホースが伸びていて、周辺はなにか青っぽいものがアウトフォーカスで写っている。
ハイライトがふわっと滲んでいるのも、爽やかさに一役買っている。
なにげなく撮ったようだが、けっこうテクニシャンかもしれない。
でもあまりテクニックに走るのは危険だ。

わたしの目を一番惹いたのはWくんの写真だ。
浴衣を着た美しい女性が金魚すくいをしてるのだが、夏を感じさせる気持ちのいい写真だ。
が、よく見ると女性の手に持つポイはもう破れてしまっている。
器の中は見えないが、女性の表情から想像すると1匹もすくえなかったようだ。
そして背景の人物がブレているので、この女性は長い時間じっとしていることがわかる。
そういう微妙な間合いというか、空気感がこの写真を涼しげに見せている。

そして同じく金魚を撮っていたHさんの写真は最高にステキだ。
今どきこんな金魚売りがいるのかという単純なおどろきと、それを逃さずに撮ったことがすばらしい。
フォトショで加工したり、演出過剰な写真の薄っぺらさに比べると、このスナップ写真の力強さがよくわかると思う。
涼しさを感じる写真というコンセプトであるが、見た目の涼しさにこだわった人は寒色系で、いかにも寒そうな絵づくりになっている。
でも、この金魚売りの写真はそうではなく、ここから連想される「夏祭り」や「金魚すくい」やあの「蒸し暑い夜の空気」といったものから、逆に涼しさを感じることができる。
いい写真というのは、見る者の想像力をかきたてるものである。
だけど、これって日本なのかな?


台風のおかげで

2011年07月20日 | Life
昨夜から出ていた暴風波浪警報は朝になっても解除されず、大阪市の公立学校はすべて休校となる。
終業式のきょう、通知表やら夏休みのしおりなどを配布するはずなのに、いったいどうなるのか。
それはともかく、U中学校では毎年1学期の終業式のあと、教職員の集合写真を撮るのだが、警報が出たおかげで2学期に延期となった。
休校だといっても先生たちは休みではないので、撮ろうと思えば撮れるはずだが、交通機関がストップして出て来れない職員もいるのだとか。

きょうの予定が空いたので、部屋のそうじをする。
そうじといってもイスの上に平積みになっている本や書類の整理と、当面必要のない本と撮影機材をロフトにあげるだけ。
毎日こまめに整理整頓していれば、わざわざすることのないことだが、自分でも呆れるくらい整理できないのでふだんは散らかり放題なのだ。
ついでにトイレのそうじもする。
近ごろは洗剤をふくんだ紙雑巾のような便利なものがあるので、わたしのような無精者は助かる。
すみずみまで拭いてトイレに流せばおわり。

いつしか台風は進路を東に変え、大阪市の警報も解除されている。
時おり強い風が吹くものの、雨はまったく降っていない。
久しぶりにロードワークに出て、8.3キロを52分で走る。
午後から1時間ほどシエスタ休憩のあと、さらに書棚の整理と掃除機がけ。

夕食は中華冷麺と鶏もも肉のパリパリ焼き、刺身こんにゃく。
冷麺のトッピングはレタスの千切りと豚しゃぶ肉を麺が隠れるくらい大量に。
しゃぶしゃぶは沸騰水に入れるとすぐに硬くなるので、少し差水をして温度を下げ、そこへくぐらせる。
ざるでお湯を切り、さらにペーパータオルにくるんで水気をしっかりとる。
そして温いうちにゴマ油と塩ひとつまみ振りかけて、さっと和えておく。
おしゃべりクッキング」の濱本先生のいうとおりにしたら、豚肉の食感がとてもよくなった。
ひと手間かけると味がかわる、料理のおもしろさなり。