Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ベトナムではたらく日本人

2011年08月12日 | Life
ハノイの町を歩いていると日本の若者に呼びとめられる。
「日本の方ですか? わたしは○○トラベルのものですが、観光用に日本語で書いた地図を配っています。よかったら、コレどうぞ」
無料でもらった地図を見ると、「ベトナム語指さし会話」とか「ここだけは行こうべスト5」「おすすめレストラン」など、ちょっとした情報も書いてある。
そして、その会社の企画するツアーの案内とクーポン券まで付いているので、フリーでやってきた人たちには役に立ちそうだ。

地図を配っていたスタッフの話によると、経済発展めざましいベトナムでは、先月まであった店がなくなりまた別の店になっていることもしばしばだという。
なので地図の情報に変わりはないか確認するために、彼女はよく自転車でハノイの町をまわっているらしい。
日本でも働いていたが体調を悪くし、いろいろあってベトナムにやってきたのだという。
その表情はとても爽やかで生きいきしていた。



つぎの日、おすすめ第4位のホーチミン廟へ行く。
ここは二度の侵略からベトナムを守り、独立へ導いたあのホー・チ・ミンが眠る場所だ。
ホーおじさんと親しまれた国家的英雄であるが、ホー・チ・ミン自身は「わたしの墓や廟はつくるな」と遺書に書いていたらしい。
ともかく、ホー・チ・ミンを一目見ようとここを訪れる人は多く、わたしたちが到着した9時すぎにはもうすでに長蛇の列であった。
広大な敷地を入口から半周したところで最後尾を見つけ、あわてて並ぶこと1時間。
ようやく入口にたどりつくと、まずカバンやリュックとカメラ類を預ける。
さらに敷地内で半時間ほど並ぶ。
猛烈に冷房のきいた廟に入ると、軍服を着た人が10人くらい直立不動で立っている。
その人たちに囲まれ、ガラス張りのベッドのうえでホー・チ・ミンは眠っていた。
廟内では立ち止まることは許されず、私語も慎まなければならない。
わたしたちはホー・チ・ミンの寝顔を見ながらただ無言で歩く。
わずか1分足らずのご対面であった。

サパでデヴィッド=マーチンと出会う

2011年08月11日 | Life
ベトナム旅行3日目。
ハノイから約400キロ離れたラオカイまで寝台列車で行き、そこから車で1時間半ほどでサパに到着。
標高1600メートルのこの町はベトナムの避暑地として毎年多くの観光客でにぎわう。
もともとフランス領であったことからフランス人などヨーロッパの人が多い。
でもここ数年、中国人の観光客が増え、いまでは一番多いそうだ。
日本人はほとんど見かけない。

きょうは一日フリーなので、町のなかを散策する。
散策といっても小さな町なので、30分もあれば端から端まで歩ける。
ホテルを出るとさっそく黒モン族や花ザオ族の物売りたちがやってくる。
彼女たちはサパのまわりに広がる山々の村から、片道2~3時間もかけて歩いてやってくる少数民族。
なかにはホンダで送り迎えしてもらう人もいるが、それはわずからしい。



彼女たちはそれぞれの民族によって衣装がちがうので、その格好を見るとすぐに何族かわかる。
カタコトの英語を使い、一生懸命売りにくるのはきれいな刺繍をほどこした財布であったり小さなバッグ類、それにズボンなどの衣服類も多い。
手づくりのアクセサリーなどもあって、シンプルだが表面に美しく彫金されたものがたくさんある。
みんなニコニコとやってくるので、ついつられてあいさつしてしまうとたちまち4~5人に囲まれて、「これはいいわよ」「こっちはどう?」などとセールス合戦になる。

それぞれの値段を聞くとおどろくほど安いので、まあ1つくらい買ってもいいかという気持ちになる。
が、それは日本円で考えると安いと感じるだけで、彼女たちにとっては今夜のおかずに牛肉が買えるかどうかの切実なる糧なのだ。
ただ、品数が少なくみんながほぼ同じものを売っているので、1つ買ってしまうとあとは同じものを買う気にはなれない。
なので、いくらニコニコとやってきても断らざるをえない。
もう少しバリエーションを増やすとか、種類によって分担するとかしなければ、なかなか商売としては成立しないと思う。



目抜き通りを歩いているとサパ・イメージ・ギャラリーという店を見つける。
何気なく入って架かっている写真を見たら、これがすばらしい写真ばかりで圧倒された。
デヴィッド=マーチンという写真家が撮ったものだそうだが、彼は数年まえにサパを訪れてこの地の美しさに感動し、ここに4年間住みついて写真を撮りつづけたらしい。
なんと2ヶ月まえに亡くなったという。
サパの風景を愛し、そこに住む少数民族たちを愛する気持ちがどの写真にも現れている。
ふつうの旅行者にはぜったいに撮れないものばかりだ。
迷わずイメージDVDを1枚買う。
そのなかの一部がギャラリーのオーナーによってYou Tubeにアップされているので、ぜひ見てほしい。


ベトナムのホンダと交通事情

2011年08月10日 | Life
ベトナムで「ホンダ」といえば、ヤマハ製でもスズキ製でもすべてバイクのことを指す。
運転免許は70cc以上から必要で、50ccなら不要だとか。
自転車あつかいってこと?
町でよく見かけたのは110ccのスクーター型であった。
一応、ヘルメットの着用と定員2名と決まっているらしいが、見たところあまり守られていないようだ。
かぶってるヘルメットにしたって帽子型かオープンフェイスタイプのもので、フルフェイスなんてだれ一人いない。
しかも三人乗りはあたりまえ、父母のあいだに子供2人をはさんで四人乗りというのもザラだ。
これで事故ると重傷は免れないだろう。



インドもネパールも凄まじかったが、ベトナムの交通事情もかなり無秩序だ。
ハノイの旧市街では信号機のない交差点が多く、その混雑ぶりとクラクションのけたたましさは想像を絶する。
ちょっとでも早く鼻先を突っ込んだ方が進路を優先するので、日本ではありえない間合いで左右からホンダと車が飛び出してくる。
それを避けながら人や自転車が横断するのは、もう決死の覚悟が必要なのである。
ツアーガイドの話では、毎年、交通事故で12,000人もの人が亡くなっているというが、その大半はホンダ乗りであるらしい。さもありなん。
インドではもっと多くの人が亡くなっているけど、ベトナムの人口8,600万人に対して12,000人というのはかなりの割合だと思う。
大阪のあのむちゃくちゃな交通マナーも、ベトナムに比べたらまだましだと感じた。

ベトナムのケータイ普及率

2011年08月09日 | Life


8月のハノイの最高気温は35℃に達するというので覚悟して行ったのであるが、体感的には大阪の方が暑い。
町には街路樹がたくさんあって直射日光をさえぎってくれるし、時々きもちのいい風が吹いて日陰にいれば涼しいくらいだ。
それと、ホテルや大きな店はともかく、ふつうのお店にはエアコンのないところが多い。
大きな業務用の扇風機が何台か回っているだけで、それでも不快なほど暑くはない。
むしろエアコンの室外機から出る熱気が少ない分、町全体の暑さは抑えられているのかもしれない。
子供のころの夏って、大阪もこんな感じだったような気がする。
つくづく日本の生活の貧困さを感じてしまう。

ところでベトナムの携帯電話の普及率はそうとう高い。
ツアーガイドの話では5年くらいまえから料金が安くなってきて、爆発的に普及したという。
少数民族の住むラオチャイ村でもタヴァン村でも、わたしのケータイの電波は飛んでいたし、黒モン族や赤ザオ族の人たちもみんなケータイを持っていた。
あんな山奥にまでケータイのインフラが整っていることを考えれば、ベトナムは国内どこでも通じるようだ。

少数民族の村を訪ね歩いた日、夕方、サパのホテルにもどってから足ツボマッサージに行った。
マッサージ自体はきもちよかったのだが、途中スタッフ同士がべらべらとしゃべるし、なんとケータイで電話しながらマッサージするのにはおどろいた。
旅行最終日にもハノイで全身マッサージに行ったが、その店では大きなモニタでエディ・マーフィン主演のハリウッド映画が放映されていた。
だがそれは、うつ伏せになっている客のためではなく、マッサージ中にスタッフが見るために流されていたのであった。
料金のちがいというより、接客の考え方そのものが日本とはちがうのだと思う。

帰国しました

2011年08月08日 | Life
きょう無事ベトナムから帰国した。
ハノイはとても暑かったが、大阪はそれ以上に暑い。どういうこと?
標高1600メートルのサパはとても涼しく快適であった。
お腹を下している以外、体調は悪くない。

今回の旅行は日本のある旅行会社を通じてプランニングしてもらい、日本語のできるベトナム人ガイドを付けてもらった。
1周間のうち3日をフリーにしたおかげで、観光地を早足で見てまわるだけの旅行にはならず、ゆっくりすることができた。
もっとも妻と二人で行動していたので、そんなに落ち着いて写真を撮ることはできなかったが、とりあえずベトナム北部の雰囲気を味わえたのは幸せである。



あしたから少しずつ旅の話をアップします。
おたのしみに。