Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

一日かけてハラホルンへ

2012年07月08日 | Life
モンゴル旅行、第三日目。

5時起床。1時間の散歩。
散歩から帰って食堂へ行くと、すでに数人のツーリストたちがたのしそうに朝食をたべている。
若者もいるし、わたしと同年齢くらいの夫婦もいる。
自分で飲み物をつくり、パンを焼き、バターやジャムを塗っていただく。
ここでいろんな旅の話や情報交換をするのはたのしい。

しばらくして、日本人のような顔立ちの女性が入ってきた。
でも白いボストンフレームのメガネにショートパンツという出で立ちは、明らかにそうではない感じ。
声をかけるとやはり日本人ではなく、韓国人であった。
むこうはわたしを韓国人だと思ったらしい。(旅先でわたしはよく韓国人か中国人にまちがわれる)

彼女は昨夜おそくウランバートルに到着し、このゲストハウスにやってきたという。
とくに予定はないがモンゴルに3週間くらい滞在するそうだ。
わたしが1週間というと「Very busy!」とおどろいていた。
わたしが学生だった30年くらいまえには、若い女性の一人旅なんて考えられなかったけど、いまは良い時代になったものだと思う。



9時にチェックアウトし、22番バスに乗ってソンギノハイルハン長距離バスターミナルへ向かう。
じつはきのうバスの切符を買ったターミナルからは、ハラホルン行きのバスは発車しないということを切符売場で聞き、ちょっと冷や汗をかく場面があった。
もし、きのう出発の切符が買えていたとしても、べつのターミナルへ移動する時間があったかどうか。
二つのターミナルはウランバートルの町の東端と西端に位置し(距離にして17キロ)、市内中心部からそれぞれべつの市内バスに乗っていかねばならない。
つまり一度乗り換えないと行けない場所なのだった。
それを考えると、きょうの切符が予約できたことは大正解だったわけである。



11時すぎに超満員の長距離バスが発車する。
指定座席なのに通路に立っている客がいるのはなぜ? 6時間以上かかるのにそのまま立って行くのか? そもそもこの人たちは正規の乗車券を買っているのか?
いろんな疑問が思い浮かぶ。
バスが走り出すと、立っていた客は小さなプラスチックのイスを通路に置いて座った。
わたしの目のまえにいる客は車掌用のイスの背もたれを水平に倒し、そこに座っている。こいつの足がわたしの足をぐいぐいと圧してくるので、座りにくいことこのうえなし。



3時間ほど走って休憩。
男たちはみな道路のわきで立ち小便する。
女性はそうもいかないので、ちょっと離れたところにある小屋までいって用をたす。
お腹のすいた人はいくつか並ぶ小さな食堂でなにかたべている。
わたしが昨夜買ったリンゴと巻き寿司をバスのなかでたべているとき、座席のない客たちが車掌に金を払っているのを目撃。
正規料金は17,000Tg(約1,054円)なのに、そいつらは10,000Tg札1枚だけだ。はは、そういうことか。
どうやらこれはバス会社に内緒で客を乗せ、車掌と運転手が小遣い稼ぎしているのだろう。
45分後、ふたたび寿司詰めバス出発。



18時にハラホルン到着。小雨が降っている。
かなり疲れたけど、さて、いまから宿さがし。
こんな地方でもケータイの電波がよく飛んでいるのがおどろきだ。とりあえずガイドブックに載っている適当なホテルに電話をかける。
ラッキーにも1回目の電話で空室のあるホテルを見つけた。だがガイドブックの地図がアバウトすぎて、場所がよくわからない。
ぬかるんだ道を迷いながら30分くらいかかって、ようやくそのホテルにたどりつく。
部屋を見せてもらうと、シャワーとトイレの付いたいい部屋だったが、トイレの電気を点けたとたん「バチッ」といって消えてしまった。
そのせいか、ほかの部屋の電気も点かなくなり、停電状態。わたしはそのホテルをあとにした。



もう一度バスを降りた場所までもどり、近くにツーリストゲルっぽいところを見つける。
運よく一人用のゲルが空いていたので今夜はここに泊まることにした。
併設の食堂でおそい夕食をたべる。
ガイドブックを見せながら注文した料理は「ベンシタェ・シュル」というモンゴルの定番料理で、水餃子の入った野菜と肉のスープ。
歯ごたえのあるこの肉はおそらくヤギだろう。旨い!

とても疲れたので、21時すぎに寝る。だが…

長距離バスのチケットは完売

2012年07月07日 | Life
モンゴル旅行、二日目。

5時に起床。
モンゴルの日本との時差は-1時間、日本はいま6時である。体内時計は正確だ。
1時間ほど散歩しながら町のようすを見る。
12年まえに訪れたときと比べると、高層マンションが増えた。大きな看板も目立つ。
ずいぶん近代化が進んでいる感じだが、それでも大きな通りを1本外れると舗装されていない道も出てくる。

昨夜、バスを降りたあたりを歩いていて、地図上の目標物を見つけた。
予想に反して、ノミンデパートの500メートルほど手前で降りていたことがわかる。
どうやら22番バスの運行ルートが変わったようだ。



8時すぎにAZホテルをチェックアウトし、4番のトロリーバスに乗ってバヤンズルフ長距離バスターミナルへ向かう。
トロリーバスというのはちょうどバスと路面電車が合体したような乗りもので、屋根の部分に大きなアームが付いている。
日本でも昔は走っていたけど、もうなくなったなあ。

30分ほどでバスターミナルに到着。
だが、ハラホルン行きの切符をもとめると、きょうの分は売り切れたという。1日1便だから50人くらいしか乗れないのである。
しかたなく、あしたの便を予約する。
で、きょうもう1日ウランバートルに滞在することに。



このように、一人旅だと思いどおりにいかないことはよくあることだ。
そんなイレギュラーなことも含めて、旅のたのしさを味わう。
もう一度トロリーバスで市内中心部にもどり、エアマーケット(航空券の予約事務所)で帰りの便のリコンファームをする。
それからゴールデンゴビ・ゲストハウスに電話して空き部屋を確認。うまい具合いに一部屋空いてるというので、すぐにそこへ行く。
ダブルベッドにシャワー・トイレ・朝食付きのとてもきれいな部屋で、一泊25ドルに大満足。
さっそく熱いシャワーを浴び、夕方、ノミンデパートへ食糧の買い出し。
今夜はUFO焼きそばに巻き寿司もどきとリンゴ、そして一日の無事をビールで乾杯。



さて、あしたはどんなトンデモナイことが待っているのか。
はたして長距離バスでハラホルンまでたどり着けるのかしらん。

バス停はどこ? ゲストハウスは満室

2012年07月06日 | Life
モンゴル旅行、第一日目。

関西空港を定刻に出発したモンゴル航空OM506便は、ウランバートル国際空港に16時30分に到着。
現地の天候は晴れ、気温は摂氏24度。湿度が低いのでとても涼しく感じる。
22番市内バスに乗ってノミンデパート前まで約40分、とガイドブックに書いてあるけど、バス停ってどこ?

空港の玄関付近にバス停はなく、少し歩いて幹線道路まで出ると市内バスが走ってきた。
そのバスの行く方向へさらに歩いていくと人の集まっている場所を発見。
看板もなにもないけど、どうやらここがバス停のようだ。



そこで待っていると、はたして22番のバスはやってきた。
バスの運賃は400Tg(トゥグリクとよみます)。日本円で約25円だ。
ガイドブックには市内の中心部しかくわしい地図が載っていないので、いまどこをどう走っているのかよくわからない。
とにかく目標とするノミンデパートを見つけて、その近くで降りるしかない。
大きな建物を見つけるたびに指をさして「ノミンデパート?」と隣の人に聞くが、どうもうまく通じていないようだ。
後日わかったのは「デパート」をモンゴル語では「イフデルゲール」というので、わからなくて当然なのだった。

45分ほど走ってバスが大きく左へ曲がったので、きっとここが中央郵便局の角だと予想し、つぎのバス停で飛び降りる。
しらぬまにノミンデパートは通りすぎていたということか。
いったんエンフタイバン通りにもどり、バスの来た道を逆方向へ歩く。
だがいくら歩いても地図にある目標物がひとつも見当たらない。いきなり迷子か。
しかたないので泊まるつもりのゲストハウスに電話する。
ところが予約もなにもしてないので「今夜は満室だ」と断られ、万事休す。



夏のモンゴルは日の入りが遅いので、午後8時をまわってもまだまだ明るい。
だけど疲れてきたし腹ぺこなので、もうどこでもいいと思い、適当に安そうなホテルを見つける。
部屋に荷物を置き、近くのスーパーマーケットへ食糧の買い出しにいく。
チーズ、缶詰、カップラーメン、パン、水を買って、全部で8,050Tg(約500円)。
とりあえず無事モンゴルに到着したことを祝い、ひとりで乾杯する。といってもミネラルウォーターだけど。

明日はハラホルンへ長距離バスで移動する予定。

いざモンゴルへ

2012年07月06日 | Life


今からモンゴルへ行ってきます。
12年ぶり三度目のモンゴルだけど、いったいどんな風景が見られるのかワクワクする。
帰国は13日の予定。
それまでおそらくブログの更新は止まります。
ケータイも持っていくけど、ウランバートルから離れるのでつながらないかも知れません。
それではみなさん、バヤルタエ(さようなら)。

フラストレーションから生まれる写真

2012年07月01日 | Life
福井県のみならず近隣の府・県知事も政府に押し切られた形で、今夜1年3ヶ月ぶりに大飯原子力発電所が再稼働する。
これまでできるだけ政治的な発言は控えてきたが、この再稼働だけは納得いかない。
福島原発の事故を踏まえ、政府は「原発に依存しない社会づくり」と明言したのに、どうしてこうなるのか。
いったい裏にどんなカラクリがあって、だれがトクするようになっているのか。
結局、さいごに割を食うのはいつも一般庶民だ。
地元の原発関係の仕事に従事してきた人たちの言い分はよくわかるが、原発を動かすのではなく、べつの方法でその人たちの就労を保証していく手立てはないのか。
少なくとも政府はその保証をしていくというのが筋道ではないのか。



写真というメディアで権力に対してなにかモノをいおうとしたら、いったいどんな方法があるだろうか。
権力者たちのやりたい放題に一矢報いてやろうと思うけど、いつも考えがまとまらず、ただ写真の無力さを感じてしまう。
いっそデモ隊にまじって太鼓でも叩いている方が、精神的には楽かもしれない。
こういうフラストレーションのたまった状態で、今週末にはモンゴルへ行く。
いったいどんな写真が撮れるのだろうか。