Happyday of LUCKY

日々の気付きと感謝を忘れないように綴るページ

ニコンDf にふれる

2013年11月09日 | Camera
一日中、きょうはデスクワーク。遅れに遅れているアルバムの編集作業をする。
夜になって、実家から一時帰宅している妻と夕食に出かける。久しぶりなので梅田の新地をめざす。
途中、ニコンサロンへ寄って「ニコンDf」をさわる。



まず1枚シャッターを切ったあと、レンズを外して本当にミラーが入っているのかを確認した。
ミラーショックがほとんどないし、やはりシャッター音が擬似的だったからだ。
でもまちがいなくミラーはそこにあった。
それにしてもこの軽さはなんだ? 音だけでなく、カメラそのものが軽い。あたらしく出た「50ミリF1.8Gスペシャルエディション」が付いているが、このレンズも軽い。
全体のボリューム(つまり体積)に対して、手が感じる重量がちょっと少ない。いや、かなり少ない。
ボディとレンズを合わせた重さは955グラムで、このセットはニコンダイレクトで299,800円だから、1グラムあたり314円ということになる。
同じようにD800本体で計算するとグラムあたり298円となり、圧倒的にD800の方が安い。

まあ、カメラを重さで買う人はいないだろうから、こんな計算は成り立たないことはわかっているが、Dfはクラシックな形をしているがゆえに、F3やFM2のあのずっしりとした重さを手が覚えていて混乱を来すのである。
日ごろD800を「くそ重い」とけなしているのに、こんなときだけ持ち上げるのは都合のいい話だが、やはりカメラという機械はある程度の重量がなければダメだ。
そんなわけで、Dfはただ「軽い」というだけの理由で魅力は失せ、百年の恋も醒めたのである。

ついでにニコンサロンでやっていた「瀬戸正人写真展」を観る。
今回の作品は福島の樹木に降り注いだセシウム137をモノクロフィルムで撮影している。
いや、セシウム自体は目に見えるものではなく、フィルムにも写らないのであるが、モノクロプリントだからであろうか、なにか銀色に光るものが樹木に付着しているように見えて、それが恐ろしくも美しく輝いているのだ。
瀬戸さんはいつも挑戦的な作品をつくりだす社会派のアーティストで、作品のテーマによってさまざまな表現方法を自由自在に使い分ける。
その柔軟な方法論と、社会に対してつねに疑問を投げかける制作の姿勢がすごいと思う。



ニコンサロンを出て、新地のミスター・ケリーズというジャズバーへむかう。
今夜はここで二村敦志さんのライブがある。
妻と夕食をたべながら近況をいろいろ話していると、やがてライブははじまった。
生ギター1本ではじまったスローな曲は、2コーラス目からバンドの演奏が重なり、会場が気持ちのいいサウンドに包まれる。
2曲目はファーストアルバムの代表曲「Shootin' Star」で、いっきにヒートアップする。

いやあ、このバンドはバランスがいいね。
でしゃばらないリードギターは聴かせどころをおさえたリフが渋い。キーボードは多彩な音をうまくあやつり、曲に厚みを加えている。そして圧巻はベースとドラムの完ぺきなリズムだ。
ちなみにドラムは関西屈指のドラマー・東原力哉さん。57歳とは思えないパワフルな演奏で、バンド全員をぐいぐいと引っぱっていく。
このメンバーと出会えたことが、二村さんの財産だといえるだろう。
AOR(Adult Oriented Rock = 大人志向のロック)を標榜する彼の音楽は、もっと評価されていいと思う。

ニコンDf は4年かかった

2013年11月06日 | Camera
満を持して、きのう発表となったニコンDfであるが、このカメラの開発は2009年夏からはじまっている。
じつに4年の歳月を経て、わたしたちのまえに現れ出た。
開発室長の後藤哲朗氏によると、いまやカメラ産業は旧来のカメラメーカーだけでなく、家電メーカーも参入し、魅力的な商品をつぎつぎに出してきている。そんな流れのなかで、ニコンらしい独自性を出すようなカメラをつくろうと企画したのがこの「Df」だという。

当初は社内にも「後ろ向き」「アナクロ」「そんなに暇ならもう1機種つくれ」などと反対意見もあったとか。
また、震災によって仙台工場が操業できなくなったり、新機種(D4)の開発もあったりで、紆余曲折を経てようやく完成したわけである。
工業製品の開発ってこんなに時間がかかるんだね。



ところで、ニコンのカメラを見渡してこのDfの立ち位置を考えたとき、どうしても比較してしまうのはライカのカメラである。

現在ライカ社は軸足をデジカメに移してはいるが、フィルムカメラもまだ製造しており、ほぼすべての機種に対して調整や修理も行なっている。たとえばわたしの使っているM2(1962年製)というカメラも、メンテナンスが可能。
こんなアフターケアができるのは、マイスターと呼ばれる職人たちの技術が長年にわたって継承されているからであるが、同時にM型ライカの形がほとんど変わらずに進化してきたからでもある。
つまりM3の登場以来、距離計やシャッターユニットや巻き上げレバーなど、ほとんどの部品が同じもので、未だにその供給ができるからこそのサービスだということだ。(機種ごとに細かいちがいはあるので、すべての部品が同じというわけではありません)

そんな頑固一徹なライカ社もデジタルの波に逆らうことはできず、M7までつづいたフィルムカメラの路線を、2006年からデジタルカメラへと大きく舵を切った。M8の登場である。
いま、あらためてM8を見ると、レンズマウントが同じだというだけで、中身はまったくちがうカメラなのに、よくぞここまで従来のM型に似せて(?)つくれたものだと思う。
M2と並べてみると、それはよりはっきりするだろう。



M8が出た当初、「ボディが分厚くなって持ちにくい」などとオールドライカファンには不評であったが、こうして比べてみるとほとんど変わりがないように見える。
おどろいたことにボディの幅は137ミリでまったく同じ。高さが4ミリ、厚さが5ミリ増しただけだ。
上面にあるのはシャッターボタンとシャッターダイヤルだけというシンプルさ!(丸い窓は撮影できる枚数とバッテリー残量が表示されます)
背面のボタンやダイヤル類もたったこれだけで、設定できるメニュー内容はとても少ない。使用説明書がなくても、なんとかなりそう。
要するにカメラの操作で大切なのは露出(絞り値とシャッタースピード)、ピント、フレーミングの3つだけということを、M8は教えてくれる。
そしてその主張はライカというカメラが生まれたとき(1923年)からまったく変わっていないのだ。

話をニコンDfに戻そう。
ライカM8と比べると、えらくごちゃごちゃと付いているように見えるが、絞り環とシャッターダイヤルで露出を決定するのはライカと同じだ。(もちろんオート露出も使えますが)
ピントはマニュアルで合わせてもよし、わたしのように視力の弱ってきた人はオートフォーカスを使うもよし。
あとは視野率100パーセントのファインダーで、心ゆくまでフレーミングをたのしんでください、というのんびりした撮影スタイルがライカと一脈相通ずるところがある。
旗艦機D4とほぼ同じスペックを持っていながら、それは内側に秘め、写真を撮る本当のたのしさを味わうためにこのDfは生まれた。
仕事とは完全に切り離して、たとえばこのカメラ1台だけ持って旅をするというのが似合いそうだな。

ニコンDf にはミラーが入っている

2013年11月05日 | Camera
じらしにじらされた「ニコンDf」が、ついに登場した。



わたしがまず最初に思ったことは、「ミラーレス一眼でなくてよかった」ということだ。
この間、ホームページにある予告動画を何度も再生して、そのシャッター音を聞いたが、ミラーが跳ね上がる音がしない。
なにか電子的につくられたような音がするので、もしかしてミラーレス? と心配していたのである。
その予想が杞憂におわって本当によかった。

そもそもニコンは、1954年にライカM3が出たのを機にレンジファインダー機から撤退し、以後、約60年にわたって一眼レフ機をつくりつづけてきた。
一眼レフ機というのは言うまでもなく、ボディ内にミラーとペンタプリズムを有するカメラのことで、それによってファインダー像が正立像になり、目のまえの風景と同じように見える。
一方、ミラーとペンタプリズムのないミラーレス機のうち、電子ビューファインダーの付いたタイプ(またはオプションで取り付けられるモノ)を「ミラーレス一眼」などと呼び、どのメーカーも最近はこれが主力商品になってきた。
しかし、EVFの性能が上がってきたとはいえ、まだまだOVFのリアルな見え方には敵わない。
やはり一眼レフ機というのはミラーとペンタプリズムがなければダメなのである。

前置きが長くなったが、きょう登場したニコンDfにはちゃんとミラーとペンタプリズムが入っている。正真正銘の一眼レフ機だ。
そのデザインはF3というよりFM2やFM3Aに似ている。フィルム時代にFM2を使っていたわたしには、なじみのあるデザインである。「Nikon」のロゴがその当時のものなのも好感が持てる。
またケーブルレリーズが使えるように、シャッターボタンにレリーズ用の穴があいているのもうれしい。
フィルム機とちがうのは右手に小さなグリップが付いたことと、前面に電子ダイヤルが付いたことだ。
このダイヤルはカニ爪で絞り情報を伝える非Aiタイプのレンズや、絞り環のないGタイプのレンズを付けたときに、絞り値を設定するためのものらしい。(すべてのニッコールレンズが使えるというのだから、素晴らしいではないか)
デザインが破綻しないようにうまく収まっていると思う。



こういうボタンやらダイヤルがごちゃごちゃ付いているデザインが好きかきらいかは好みの分かれるところだが、わたしは古いカメラが大好きなので、一目見て気に入った。
ダイヤルというのは操作しやすいだけでなく、電源が入っていない状態でもシャッタースピードや絞り値などがわかるので非常に便利だ。
それにダイヤルを回したり、ボタンを押すという動作によって、「操作している感」が指先から脳に伝わるので、これが写真を撮るたのしさを増幅させるのである。

もうD800とD7000を売っぱらって、Dfのシルバーボディとブラックボディを1台ずつ買うことにした。
なんて冗談であるが、見た目はクラシカルでも中身は最新のデジカメだから、仕事にも十分使えるはずだ。
ただオートフォーカス用のズームレンズを付けて、似合うかどうかは微妙である。
さあ、あなたはどうする?

この右手はもう洗わない

2013年11月03日 | Life
きょうは大阪・淀川市民マラソンの日である。
この大会はフルマラソンの部のほか、ハーフと10キロの部があるが、わたしはハーフマラソンに出る。
このところ、あまり練習できていないので、きょうは練習のつもりでゆっくり走ろうと思う。



きのう、受付に来たとき、Qちゃん(高橋尚子さん)が特設ステージでトークイベントをしていた。
現役時代、彼女はマラソン出走の6時間まえには起きて、2時間ほどかるい練習をしてから本番を走っていたという。
6時間まえということは、きょうの大会でいえば午前3時だ。それから2時間も練習だなんて、それだけでバテてしまう。プロランナーってすごいな。
「大会のまえの夜って興奮してなかなか寝付けないでしょ。でも、大丈夫。一晩くらい寝なくてもマラソンは走れますよ」とQちゃんは笑顔で言ってたけど、大丈夫なわけがないよね。わたしたち素人ランナーには。



さて、9時ちょうどに花火が打ち上がり、ハーフマラソンの部がスタートした。
スタート地点でQちゃんが「がんばってくださーい。楽しんでくださいね」とみんなに手を振って、応援してくれる。
わたしは会場入りが遅かったので、うしろから2つめのEエリアからのスタート。号砲の3分後、やっとスタート地点にたどり着いても、なかなか前にすすまない。なので、最初の5キロは33分41秒もかかった。

きょうのコースは、ふだん通ることのできない毛間の河口堰を通って左岸から右岸へわたる。
7キロくらい走ったあたりから、ふだんのペースで走れるようになり、10キロ地点までの5キロは28分47秒だった。1キロ平均5分45秒はわるくないペースだ。
着地の感触だけに意識をはらいながら足を運んでいく。

折り返し地点のすこし手前では、和太鼓の演奏がランナーを励ましている。太鼓のリズムっていいね。なんだか力が湧いてくる。
ほかにも沿道で中学生のブラスバンドが演奏していたり、幼稚園児たちが(なぜか日の丸を振って)応援してくれるので、調子よく走れた。
15キロ地点までの5キロはさらにペースが上がり27分26秒で、1キロ5分29秒ペース。
だが、18キロを越えたあたりから右足のふくらはぎに違和感が出てきた。やばい、つりそう。

痛みをおさえながら走っていると、あと1キロという地点でQちゃんが「あと少し、がんばって!」と右手を出して出迎えてくれた。
わたしも右手を出してタッチすると不思議な力がみなぎり、それから猛烈なスピードで走ってゴールすることができた。
さいごの1キロと975メートルはきょう最速の5分40秒(1キロ平均5分10秒!)であった。Qちゃん、ありがとう。



ゴール後、完走証をもらった。記録は2時間6分20秒。ネットタイム(スタート地点を通過した時点からのタイム)は2時間4分2秒だった。
2時間を切りたかったけど、まあ、楽しめたのでよしとするか。
ちなみに高橋尚子さんが2001年のベルリンマラソンで樹立した世界新記録(当時)の2時間19分46秒は、1キロ平均では3分18秒。プロの速さって圧倒的です。