日本橋から歩いて博労町にあるプロカラーラボにいく。溜まっていたモノクロフィルムを現像に出す。
さらに中之島まで歩いて中央公会堂でオムライスを食う。
そのあと国立国際美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観る。
うまいぐあいに本日は学芸員によるギャラリートークが開催される。先着90人には無料でワイヤレス受信機も貸してもらえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/79/e0f85a3d95fe21c983aa45d7cbd38fc0_s.jpg)
アンドレアス・グルスキーといえば、ライン川を写した作品がクリスティーズの競売で430万ドルという史上最高額で落札されたことで有名なドイツの写真家である。
写真1枚が3億円だなんて、いったいどんな写真なんだと思うだろう。
それが現物を見るとおどろくほど素っ気ないというか、「ええっこれがそうなの?」というくらい、ふつうの川の写真なのだ。
学芸員の話によると、ここに展示してある「ライン川」の作品はじっさいに落札された作品の小型版だそうで、本物は高さ185.4 x 幅363.5センチという巨大な写真らしい。(写真なので小型でもニセモノというわけではないが)
そして本物は世界に6枚しかなくて、そのうち4枚は世界の有名美術館が所蔵している。のこりの2枚は個人が持っていたのだが、そのうちの1枚が競売に出たという話だ。
つまりこの作品が市場に出ることはきわめて稀なことなので、3億円を超える落札価格となったというわけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/42/d5/0aa47aaaf82ba6bd37adee3e8978ad80_s.jpg)
ま、下世話な話はこのくらいにして、作品のことをすこし。
グルスキーの作品はとても大きい。そして水平あるいは垂直の線が際立った構図が多い。
作品に近づいていくと高精細に描写されたいろいろなものが見えてくる。それは人間であったり、99セントショップの商品であったり、あるいはチャオプラヤー川にうかぶゴミや南極大陸の雪面であったりする。
共通するのはどの作品も隅々までピントが合っていてボケている部分がないということだ。
たとえばベトナムの籠編み工場のようすを斜め上から俯瞰で撮っている写真は、手まえの人から奥の人まですべてにピントが合っている。
すこし写真に興味のある人ならこの写真を見て「なんかヘン」と感じるだろう。
でも大型カメラのアオリ撮影を知っている人なら「これはレンズボードをティルトしてるのさ」と説明するかもしれない。
だけどデジタル技術を知る人は「この写真はすべて合成だ」と見抜くだろう。
すべて正解だけど、ある意味すべて不正解だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/2d/5dbb05725df6da072cce1dce1a181a5c_s.jpg)
彼はいわゆるベッヒャー・シューレ、つまりルッセルドルフ・スクールで写真を学んでいる。
類型学的なアプローチと巨大プリントによる見せ方はベッヒャー派の作品に共通するものだ。
彼の作品がおもしろいのは、デジタル合成した虚構の風景であるにもかかわらず、その部分部分は実在するものであるから、ふしぎなリアリティを感じることである。
画面のすべてにピントが合っているので、どこにも曖昧なところがない。じっと見ていると吸い込まれそうになる。
たとえば無数の人間が写っているパリのアパートの写真などは、その厳格な水平垂直の構図によって現代アート的な美しさを感じると同時に、鑑賞者の覗き見的な欲望を誘発する。
そこに写真というメディアのもつ本質的なおもしろさを感じずにはいられない。
わたしが感銘を受けた作品は「オーシャン」というシリーズで、この写真はグルスキー氏が撮ったものではなく、人工衛星から撮影した画像を彼がデジタル技術によって加工し作品化したものだ。
したがって大陸どうしの距離感はじっさいとはちがうのであるが、海の深さをデータ化しそれを青色のグラデーションに置き換えているそうなので、その意味では真実性もある。
もうこうなってくると写真家の仕事とはなにか、写真とはなにか、ということを考えざるを得ない。
とにかくそのスケールの大きさが圧巻で、有無をいわさぬ説得力があるのだ。やっぱり写真ってデカい方がおもしろいなあ。
ここにグルスキー作品がまとめられています。
さらに中之島まで歩いて中央公会堂でオムライスを食う。
そのあと国立国際美術館で「アンドレアス・グルスキー展」を観る。
うまいぐあいに本日は学芸員によるギャラリートークが開催される。先着90人には無料でワイヤレス受信機も貸してもらえる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/6e/a4/f3cd420316a3c1b08edd504038bacf7b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5c/f8/ee035d08556e318c2ff5987793774266_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/61/79/e0f85a3d95fe21c983aa45d7cbd38fc0_s.jpg)
アンドレアス・グルスキーといえば、ライン川を写した作品がクリスティーズの競売で430万ドルという史上最高額で落札されたことで有名なドイツの写真家である。
写真1枚が3億円だなんて、いったいどんな写真なんだと思うだろう。
それが現物を見るとおどろくほど素っ気ないというか、「ええっこれがそうなの?」というくらい、ふつうの川の写真なのだ。
学芸員の話によると、ここに展示してある「ライン川」の作品はじっさいに落札された作品の小型版だそうで、本物は高さ185.4 x 幅363.5センチという巨大な写真らしい。(写真なので小型でもニセモノというわけではないが)
そして本物は世界に6枚しかなくて、そのうち4枚は世界の有名美術館が所蔵している。のこりの2枚は個人が持っていたのだが、そのうちの1枚が競売に出たという話だ。
つまりこの作品が市場に出ることはきわめて稀なことなので、3億円を超える落札価格となったというわけである。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/46/3f/2d4bfc2600abb6eac613f892812f9a17_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/41/7c/662653f4f681608cd1255e2b59677d43_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/42/d5/0aa47aaaf82ba6bd37adee3e8978ad80_s.jpg)
ま、下世話な話はこのくらいにして、作品のことをすこし。
グルスキーの作品はとても大きい。そして水平あるいは垂直の線が際立った構図が多い。
作品に近づいていくと高精細に描写されたいろいろなものが見えてくる。それは人間であったり、99セントショップの商品であったり、あるいはチャオプラヤー川にうかぶゴミや南極大陸の雪面であったりする。
共通するのはどの作品も隅々までピントが合っていてボケている部分がないということだ。
たとえばベトナムの籠編み工場のようすを斜め上から俯瞰で撮っている写真は、手まえの人から奥の人まですべてにピントが合っている。
すこし写真に興味のある人ならこの写真を見て「なんかヘン」と感じるだろう。
でも大型カメラのアオリ撮影を知っている人なら「これはレンズボードをティルトしてるのさ」と説明するかもしれない。
だけどデジタル技術を知る人は「この写真はすべて合成だ」と見抜くだろう。
すべて正解だけど、ある意味すべて不正解だ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/43/18/aae2743c6bfe41a4fb56c551bf621b9b_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5a/ab/921317c4edb2f7db9f37244298274e59_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/1a/2d/5dbb05725df6da072cce1dce1a181a5c_s.jpg)
彼はいわゆるベッヒャー・シューレ、つまりルッセルドルフ・スクールで写真を学んでいる。
類型学的なアプローチと巨大プリントによる見せ方はベッヒャー派の作品に共通するものだ。
彼の作品がおもしろいのは、デジタル合成した虚構の風景であるにもかかわらず、その部分部分は実在するものであるから、ふしぎなリアリティを感じることである。
画面のすべてにピントが合っているので、どこにも曖昧なところがない。じっと見ていると吸い込まれそうになる。
たとえば無数の人間が写っているパリのアパートの写真などは、その厳格な水平垂直の構図によって現代アート的な美しさを感じると同時に、鑑賞者の覗き見的な欲望を誘発する。
そこに写真というメディアのもつ本質的なおもしろさを感じずにはいられない。
わたしが感銘を受けた作品は「オーシャン」というシリーズで、この写真はグルスキー氏が撮ったものではなく、人工衛星から撮影した画像を彼がデジタル技術によって加工し作品化したものだ。
したがって大陸どうしの距離感はじっさいとはちがうのであるが、海の深さをデータ化しそれを青色のグラデーションに置き換えているそうなので、その意味では真実性もある。
もうこうなってくると写真家の仕事とはなにか、写真とはなにか、ということを考えざるを得ない。
とにかくそのスケールの大きさが圧巻で、有無をいわさぬ説得力があるのだ。やっぱり写真ってデカい方がおもしろいなあ。
ここにグルスキー作品がまとめられています。